全文燮
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全文燮 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 전문섭 |
漢字: | 全文燮 |
発音: | チョン・ムンソプ |
日本語読み: | ぜん・ぶんしょう |
全 文燮(チョン・ムンソプ、전문섭、1919年11月24日 - 1998年12月29日)は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家・軍人。女婿は朝鮮労働党国際部長などを務めた金永日[1]。
経歴
[編集]満州出身[2]。1937年、抗日パルチザンへ参加し、東北抗日連軍第2軍第6師に入隊[3]。金日成の伝令兵から軍歴を始める。解放後は38度線以北に帰還。
1946年、保安幹部訓練大隊創設要員[4]。同年6月、咸興地区鉄道警備大隊長[5]。1948年、歩兵独立旅団第1大隊長[6]。後に第2師団第4連隊参謀長[7]。同年10月、第3師団第2大隊長[8]。『6・25戦争史』第2巻によれば、朝鮮人民軍第17連隊長として朝鮮戦争に参戦[9][注釈 1]。
1956年4月、第10師団長[17]。1960年8月、第2軍団長[18]。1961年9月、第2集団軍司令官[18]。1963年、社会安全省副相兼護衛局長[2]。1964年、人民軍大将[17]。1983年、国家検閲委員長[2]。1988年、人民武力部副部長[2]。1998年、最高人民会議常任委員会名誉副委員長[2]。
1974年2月、朝鮮労働党中央委員会第5期第8次全員会議にて政治委員会候補委員に選出[19]。1976年4月から1986年2月まで政治局委員を務める[19]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 捕虜尋問報告書によれば、 以上の捕虜は第603モーターサイクル連隊長を全文燮(総佐)と供述している。 以上の捕虜は第17連隊長を全寛洙(大佐)と供述している。
出典
[編集]- ^ “북한정보포털”. 大韓民国統一部. 2018年1月30日閲覧。
- ^ a b c d e 鈴木 2002.
- ^ 김선호 2020, p. 188.
- ^ 김선호 2020, p. 298.
- ^ 김선호 2020, p. 162.
- ^ 김선호 2020, p. 455.
- ^ 김선호 2020, p. 460.
- ^ 김선호 2020, p. 521.
- ^ 6・25戦争史第2巻.
- ^ “LEE, Pong Gol”, 포로신문보고서, 국사편찬위원회 2022年4月20日閲覧。
- ^ “PAK Won Ch'un”, 포로신문보고서, 국사편찬위원회 2022年4月20日閲覧。
- ^ “SON TAE KWANG”, 포로신문보고서, 국사편찬위원회 2022年4月20日閲覧。
- ^ “YU T’aek Chin”, 포로신문보고서, 국사편찬위원회 2022年4月20日閲覧。
- ^ “LEE Kwan Hyon”, 포로신문보고서, 국사편찬위원회 2022年4月20日閲覧。
- ^ “PAK, Won Jong”, 포로신문보고서, 국사편찬위원회 2022年4月20日閲覧。
- ^ “KO, Yon Su”, 포로신문보고서, 국사편찬위원회 2022年4月20日閲覧。
- ^ a b 世界政経調査会 1966.
- ^ a b 강만길 & 성대경 1996.
- ^ a b 이종석 2001.
参考資料
[編集]- 강만길; 성대경 編「전문섭」『한국사회주의운동인명사전』창작과비평사、1996年、422-423頁。ISBN 8936470302。
- 이종석「전문섭(全文燮)」『한국민족문화대백과사전』한국학중앙연구원、2001年 。2022年4月20日閲覧。
- 鈴木典幸 著「チョン・ムンソプ」、和田春樹; 石坂浩一 編『岩波小辞典 現代韓国・朝鮮』岩波書店、2002年、189頁。ISBN 4000802119。
- 『6⋅25전쟁사』(PDF) 2巻《북한의 전면남침과 초기 방어전투》、국방부군사편찬연구소、2005年、421頁 。2020年8月24日閲覧。
- 김선호 (2020). 조선인민군 : 북한 무력의 형성과 유일체제의 기원. 한양대학교 출판부. ISBN 9788972186809
- 世界政経調査会, ed (1966). 韓国・北朝鮮人名辞典. 世界政経調査会. p. 183