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全日本選抜スキー・ジャンプ大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

全日本選抜スキー・ジャンプ大会は1938年と1939年に甲子園球場後楽園球場で行われたスキージャンプの大会。野球場で行われた意外なスポーツとして話題になるのが本大会である。

概要

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雪に恵まれない大都市の市民にスキー競技をアピールすることを目的に東京日日新聞社大阪毎日新聞社全日本スキー連盟が立案し実行した。

第1回大会[1]

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1938年1月10日、甲子園球場に特設された木造のやぐらに妙高山麓から貨車30両で運ばれた雪を敷き詰めたジャンプ台で甲子園大会が開催された。

参加選手はガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック代表の宮島厳関口勇ら36人であった。

順位 氏名 所属 1本目 2本目 3本目  得点
1 木村隆一 小樽中学校 25.0m 27.0m 26.5m 338.1点
2 星野昇 北海商業学校 25.5m 26.5m 26.0m 337.0点
3 宮島厳 北海道炭礦汽船 25.0m 26.0m 25.5m 331.3点

最長不倒:27.0m 木村隆一、若本松太郎

続いて1938年2月27日に後楽園球場にて後楽園大会が開催された。

順位 氏名 所属 1本目 2本目 3本目  得点
1 浅木文雄 北海商業学校 32.0m 30.5m 31.5m 332.7点
2 木村隆一 小樽中学校 30.0m 31.5m 32.5m 332.2点
3 安達五郎 札幌鉄道管理局 31.0m 32.0m 31.5m 332.1点
4 伊藤英夫 明治大学 30.5m 30.5m 31.0m 325.6点
5 宮島厳 北海道炭礦汽船 30.0m 31.0m 31.0m 323.1点
6 野村四郎 北海商業学校 28.0m 30.5m 32.5m 319.8点
7 村本貞雄 早稲田大学 30.0m 32.0m 31.5m 319.3点
8 若本松太郎 ホッパー 28.5m 30.5m 30.0m 317.2点
9 関口勇 北大若老会 27.0m 29.0m 29.0m 313.0点
10 久慈庫男 早稲田大学 27.5m 29.0m 31.0m 311.0点

最長不倒:32.5m 木村隆一、野村四郎

この大会に先立って後楽園球場の外野スタンドにスロープを設けて特設スキー場とし、1月29日から31日までスキー講習会を行った。さらにその後2週間一般開放を行い延べ5000人のスキー客を集めた。

第2回大会[2]

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前年の成功を受け後楽園球場に最大高さ39mのやぐらが組み上げられ、1月28日、29日に2回目の大会が行われた。今回はジャンプに加えてスラローム競技も行われた。

回転競技少年組

順位 氏名 所属 タイム
1 門屋孝 水上小学 35秒8
2 山本富雄 草津小学 48秒2
3 山口栄二郎 水上小学 49秒4
4 阿部良一 水上小学 49秒8
5 山崎九二夫 水上小学 55秒4
6 望月 虎男 関川小学 57秒0

回転競技女子組

順位 氏名 所属 タイム
1 鶴見敏子 高田女出 29秒2
2 内藤昌子 旭川女出 41秒0
3 佐藤啓子 旭川高等女学校 41秒2
4 山本克子 小樽高等女学校 45秒0
5 木元セツ子 小樽高等女学校出 57秒8
6 川西静子 旭川女出 64秒0

回転競技男子組

順位 氏名 所属 タイム
1 富井堅 沖電気
2 佐藤勝兵 日本大学
3 龍田鳳三 早稲田大学
4 木村隆一 早稲田大学
5 及川良彦 日本大学
6 野崎彊 東京
7 園部政晴 水上

飛躍競技

順位 氏名 所属 1本目 2本目 3本目  得点
1 中川政治 明治大学 31.0m 32.5m 32.0m 329.2点
2 木村隆一 早稲田大学 31.5m 32.0m 32.0m 325.7点
3 佐藤勝兵 日本大学 31.5m 33.0m 32.5m
4 村本貞雄 早稲田大学 31.5m 30.5m 33.5m 320.9点
5 関口勇 東京 30.5m 31.5m 32.5m 320.4点
6 龍田鳳三 早稲田大学 31.5m 31.5m 34.0m 320.1点
7 西哲司 早稲田大学 30.0m 31.0m 32.5m 318.6点
8 久慈庫男 早稲田大学 30.5m 30.5m 32.0m 313.7点
9 園部政晴 水上 29.5m 30.0m 31.0m 308.2点
10 荻野實 明治大学 31.0m 31.5m 31.0m 308.1点

最長不倒:34.0m 龍田鳳三

本大会で使用されたジャンプ台は次のような規模であった。

  • 全高  :39.0m
  • 斜面全長:85.7m
  • アプローチ長:33.6m
  • アプローチ幅:6.0m
  • 着地斜面長:52.1m
  • 着地斜面幅:15.0m


続いて1939年2月18日、19日に甲子園球場にて甲子園大会が開催された。

関西組

順位 氏名 所属 得点
1 久留島敏明 美津濃 66.9点
2 上野桂二 清和 63.6点
3 秋元東津男 関西大学 59.1点
4 田中敏夫 神鍋 54.2点
5 藤本繁雄 神鍋 53.4点
6 岡崎晃 大阪大学 52.5点

一般組

順位 氏名 所属 得点
1 浅木文雄 北海商業学校 74.5点
2 若本松太郎 豊原 73.3点
3 木村隆一 早稲田大学 73.1点
4 星野昇 明治大学 73.0点
5 中川政治 明治大学 72.9点
6 坂田時人 慶應義塾大学 72.5点

第3回大会[3]

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1950年1月28日に後楽園球場史上3回目のジャンプ大会が行われた。

脚注

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  1. ^ 北海道立図書館蔵、スキー年鑑1938-1939(第一書房刊)P124-128「都スキー・ジャンピング」
  2. ^ 北海道立図書館蔵、スキー年鑑1939-1940(第一書房刊)P130-134「帝都の空飛ぶスキーヤー」
  3. ^ 別冊週刊ベースボール秋季号 さようなら後楽園球場(ベースボールマガジン社、1987年11月30日発行)

関連項目

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