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全洞院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
全洞院
所在地 埼玉県入間郡越生町黒山734
位置 北緯35度56分22.1秒 東経139度15分21.4秒 / 北緯35.939472度 東経139.255944度 / 35.939472; 139.255944座標: 北緯35度56分22.1秒 東経139度15分21.4秒 / 北緯35.939472度 東経139.255944度 / 35.939472; 139.255944
山号 岩松山[1]
院号 全洞院
宗派 曹洞宗[1]
創建年 室町時代[注釈 1]
開山 喜州善欣[1]
法人番号 7030005010943 ウィキデータを編集
全洞院の位置(埼玉県内)
全洞院
全洞院
全洞院 (埼玉県)
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全洞院(ぜんとういん)は、埼玉県入間郡越生町にある曹洞宗寺院

歴史

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室町時代、喜州善欣によって開山された[1]

当院の墓地には、渋沢平九郎の墓がある。平九郎は武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)の名主尾高勝五郎の子で、尾高惇忠の弟である。後に渋沢栄一義理の弟となり、栄一の見立養子となっている。平九郎は旧幕府方の振武軍に入隊し飯能戦争を戦ったが敗北、顔振峠に落ち延びた。峠の茶屋で「落武者姿は危ない」といわれ、百姓姿に変装したが、黒山村(現・越生町黒山)で官軍に発見され、壮絶な最期を遂げた。黒山村の村人は、この無名の勇者[注釈 2]を当院に葬り、敬意を込めて「ダッソ様(脱走様)」と呼んだ[2]

後に兄の惇忠によって、そのダッソ様が平九郎であることを確認、義兄兼養父の栄一によって谷中霊園に改葬された。当院には「澁澤平九郎之墓」の墓石が建てられている。

交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 新編武蔵風土記稿』「開山喜州善欣天文五年九月二十三日示寂セリ」[1]
  2. ^ 死亡当時、彼の身元は不明であった。

出典

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  1. ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 黒山村.
  2. ^ インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年、254-255p

参考文献

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  • インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年
  • 「黒山村 全東院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ174入間郡ノ20、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764003/109