八尾ヶ関周藏
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八尾ヶ関 周藏(やおがせき しゅうぞう、1841年(天保12年) - 1909年(明治42年)12月13日)は尾張国海東郡佐織村草平(現・愛知県愛西市草平町)出身の大相撲力士。本名は京谷周蔵。大阪相撲で活躍し最高位は大関。
略歴
[編集]三保ヶ関に入門し、初名は平勇と名乗る。1869年(明治2年)3月二段目で黒柳、1870年(明治3年)3月八尾ヶ関と改め1871年(明治4年)6月東前頭12枚目となる。
1876年(明治9年)6月小結、1877年(明治10年)9月も同地位だったが場所前の紛擾で多くの力士が脱走したため1878年(明治11年)9月幸運にも残留組番付の大関となる。
その後2場所張り出され1880年(明治13年)9月限りで引退。八尾ヶ関の名で世話人を務め1884年(明治17年)9月頭取(年寄)7代三保ヶ関を襲名した。門弟育成に努めて勝負検査役の要職にあった。1909年(明治43年)12月13日数え69歳で死去。
参考文献
[編集]- 「大相撲人物大事典」、2001年 ISBN 9784583036403