八木久兵衛
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八木 久兵衛(やぎ きゅうべえ、1849年4月21日(嘉永2年3月29日[1])- 1923年(大正12年)11月29日[2])は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]仙台大町の小間物商「紅久」の4代目[3][4]。味噌、醤油醸造業を営んだ[3]。1884年(明治17年)仙台味噌醸造所社長になる[2]。ほか、宮城貯蓄銀行、七十七銀行各頭取、仙台瓦斯社長、仙台商業会議所会頭、宮城県工業会副会長、仙台市会議員などを歴任した[2]。凶作対策に尽力し[4]、また、仙台市営電車事業の推進に関与した[3]。
1918年(大正7年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1923年(大正12年)8月29日[6]まで在任した[2]。
逸話
[編集]八木が大正期に購入した八木山を、八木家で70万円を投資し市民の憩いの場として開発し、その後、仙台市に寄付された[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
- 竹内理三ほか 編纂『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。ISBN 4040020405。