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八木邸

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八木家から転送)
八木邸

入口
所在地 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町24
位置 北緯35度0分7.34秒 東経135度44分37.71秒 / 北緯35.0020389度 東経135.7438083度 / 35.0020389; 135.7438083
類型 農家
建築年 1804年(長屋門)、1809年(母屋)
文化財 京都市指定有形文化財
所在施設・区域 新選組・壬生屯所旧跡
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八木邸(やぎてい)は京都府京都市中京区壬生にある郷士八木家の邸宅で、幕末新選組の屯所として使われた。

概要

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2024年令和6年)現在も八木源之丞の子孫が継承している[1]一方、歴史的建築物として一般に公開されている[2]芹沢鴨が暗殺された際に付いたとされる刀傷など、新選組にかかわる遺構がある。

歴史

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八木家の始祖は八木又兵衛。壬生村の郷士。越前の戦国大名・朝倉義景の子[3]。八木家のウェブサイトでは、「但馬国で八木安高により起こった」としている[4]源頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領したと伝わる[4]室町時代の壬生に移ったとする[4]

八木邸のある壬生の地は水が豊かで農耕に適した土地であり、京都でも有数の農業地帯であった[5]。八木邸は小高い場所に建てられた。幕末には江戸浪士の宿所となる[4]

文久3年(1863年2月23日、浪士組として上洛した近藤勇と試衛館一門の7名、及び芹沢鴨新見錦平山五郎平山重助野口健司らが投宿した[6]。その後、浪士組の江戸への引き上げの際に残った芹沢鴨、近藤勇ら13名はそのまま八木邸に残り、同年3月16日「松平肥後守御領新撰組宿」と八木家右門柱に表札が掲げられる。同年9月18日芹沢鴨、平山五郎ら4名が八木邸奥座敷にて暗殺される[7]

1983年昭和58年)6月1日、京都市指定有形文化財に指定される。

観覧情報

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  • 営業期間:9時~17時、休業は不定。

※ 現在の八木家は和菓子店を営み、見学者には「屯所餅」が出される[2]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 当主のご挨拶 - 八木家ウェブサイト(2024年6月23日閲覧)
  2. ^ a b 見学のご案内 - 八木家ウェブサイト(2024年6月23日閲覧)
  3. ^ 八木喜久男,p20
  4. ^ a b c d 八木家の歴史 - 八木家ウェブサイト(2024年6月23日閲覧)
  5. ^ 八木喜久男,p58
  6. ^ 歴史春秋社,p18
  7. ^ 八木喜久男,p92

参考文献

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外部リンク

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