八木春樹
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八木 春樹(やぎ はるき、1871年8月6日(明治4年6月20日[1][2][3][4]) - 1943年(昭和18年)1月25日[3][4][5])は、明治から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・長野。
経歴
[編集]伊予国越智郡今治町(現愛媛県今治市)で[3][4]、長野謙吉の弟として生まれる[1][2]。1892年(明治25年)12月、素封家、酒造業・八木守三郎の養子となり、1911年(明治44年)2月に家督を相続した[1][2]。
1904年(明治37年)以降、愛媛県越智郡酒造組合長、四国酒造連合会評議員、愛媛県酒造組合連合会会長、同県商工団体連合会副会長、今治商業銀行取締役、伊予相互貯蓄銀行取締役、今治清酒取締役、愛媛水力電気監査役、伊予鉄道電気監査役などを務めた[1][2][3][4][5]。
政界では、1911年9月、愛媛県会議員に当選し、1923年(大正12年)9月まで3期在任し[3][4]、同県参事会員も務めた[5]。1920年(大正9年)今治市制施行により市会議長に就任し1928年(昭和3年)まで2期務めた[3][4]。
1925年(大正14年)憲政会の推薦[3]で貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日から[6]1932年(昭和7年)9月28日まで在任した[3][4][5]。在任中は同成会に所属した[5]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社『大衆人事録 第3版 タ-ワ之部、補遺』帝国秘密探偵社、1930年。
- 愛媛通信社『伊予の事業と人物』愛媛通信社、1934年。
- 『愛媛県百科大事典』下、愛媛新聞社、1985年。
- 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。