八重垣神社 (垂井町)
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八重垣神社 | |
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所在地 | 岐阜県不破郡垂井町1126 |
位置 | 北緯35度22分21秒 東経136度31分20.5秒 / 北緯35.37250度 東経136.522361度 |
主祭神 | 素盞嗚尊(牛頭天王) |
創建 | 文和2年(1353年) |
別名 | 牛頭天王社 |
例祭 | 5月2日、5月3日、5月4日 |
主な神事 | 垂井曳軕祭 |
八重垣神社(やえがきじんじゃ)は、岐阜県不破郡垂井町にある神社である。垂井町の氏神とされている。
また、毎年5月2日 – 4日に開催される「垂井曳山祭り」[注 1]は当社の例祭である。
祭神
[編集]沿革
[編集]- 南北朝時代の文和元年(1352年) - 南朝が京を軍事的に制圧して足利義詮を追い、正平一統は破綻する。このさい、後光厳天皇は京から脱出し。
- 文和2年(1353年) - 土岐頼康らに守られて垂井に到着する。この仮御所に京都の祇園社の御霊代を分祀し、牛頭天王社として創建する。後光厳天皇が京都に戻った後は、この地域の氏神となる。
- 天文元年(1532年) - 現在地に移転する。
- 明治元年(1868年) - 神仏分離令のさい「八重垣神社」に改称する。八重垣は、御神詠の「夜幣賀伎」に由来する。
例祭
[編集]南北朝時代、後光厳天皇を慰めようと、村人が花車3輌を造って曳き回したことが始まりという。現在は、毎年5月2日 – 5月4日に「垂井曳山祭り」として開催される。
- 曳山(山車) - 3両あり、花車に舞台が造られたのは安永年間で、漆塗り、豪華な彫刻、飾金具などが施されている。3両とも昭和36年(1961年)6月19日に岐阜県の重要有形民俗文化財に指定されている[1]。
※ 3両の曳山の上ではそれぞれ小学生による歌舞伎が演じられる。これは全国に残る素人歌舞伎の中で、全国8ヶ所(不定期は除く)に伝承されている曳山子供歌舞伎山の一つで、垂井町の無形民俗文化財に指定されている。
※ 伝統継承という名のもと、子どもを2週間学校を休ませ練習をさせる。また、 11時~22時以降、1日6公演あり、伝統の名のもと、労働基準法が適応されない。以上のことから、教育の義務違反、児童虐待が疑われる[2][3]。
交通機関
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “垂井祭曳やま”. 岐阜市. 2013年4月25日閲覧。
- ^ 岐阜県観光連盟. “垂井曳やままつり|イベント|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」”. ぎふの旅ガイド. 2024年10月3日閲覧。
- ^ https://www.tarui-kanko.jp/docs/2015071600026/file_contents/H31.pdf