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六山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玻座間御嶽

六山六御嶽(ムーヤマ、ムトゥヌヤマ[1])は、沖縄県八重山郡竹富町竹富島にある6つの御嶽(竹富島では「ウタキ」ではなく「オン」と呼ぶ)である[2]

概要

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竹富島に28ヶ所ある御嶽の中で、『八重山島由来記』に記された6つの御嶽の総称である[1]。かつて竹富島には各地から渡来した6人の酋長がいて、守護神の招来を願ったところ6柱の神が招来されたのでそれぞれを御嶽に祀ったとされ、後には酋長も御嶽に祀られるようになったという[2]。これらの御嶽にはそれぞれ、神事を司る神司(かんつかさ)がいる。

六山一覧

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  • 玻座間御嶽(ウーリャオン)
玻座間集落の北部に位置する。屋久島から渡来した根原カンドゥが拝み始めたとされる[1][2]
  • 仲筋御嶽(サージオン)
竹富小中学校の西に位置する。沖縄本島から渡来したアラシハナカサナリが拝み始めたとされる[1][2]
  • 幸本御嶽(コントゥオン)
仲筋集落の西部に位置する。久米島から渡来したコントゥフシカーラ(幸本節瓦)が拝み始めたとされる[1][2]
  • 久間原御嶽(クマーラオン)
東集落の東方に位置する。沖縄本島から渡来した久間原ハツガニが拝み始めたとされる[1][2]
  • 花城御嶽(ハナックオン)
久間原御嶽の先の小丘に位置する。沖縄本島から渡来したタカネドノ(他金殿)が拝み始めたとされる[1][2]1957年及び2011年に改築されている[3]
  • 波利若御嶽(バイヤオン)
花城御嶽の向かいに位置する。徳之島から渡来したスーガードゥン(塩川トノ)が拝み始めたとされる[1][2]

八山・九山

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国仲御嶽

六山に以下の2つの御嶽を加えたものを八山八御嶽(ヤーヤマ)と呼ぶ[4]

  • 国仲御嶽(フィナーオン)
島のほぼ中央の国仲原に位置する。西塘首里園比屋武御嶽の神を分祀したもの[4]
  • 清明御嶽(マイヌオン)
竹富小中学校の西北に位置する。島を造ったシンミガナシとオモトテラスホーラスの2神を祀る[4]。結願祭での奉納芸能の舞台となる[5]

さらに以下の御嶽を加えたものを九山九御嶽(クヌヤマ)と呼ぶ[4]

  • 西塘御嶽(ニシトウオン)
玻座間集落のほぼ中央に位置する。西塘を祀る[4]

村御嶽

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世持御嶽

八山及び九山に加えられた3つの御嶽に世持御嶽を加えた4つの御嶽を村御嶽(ムラオン、トゥクルオン)と呼ぶ。村御嶽は、地縁団体法人竹富公民館が管理している[6]

  • 国仲御嶽(フィナーオン)
  • 清明御嶽(マイヌオン)
  • 西塘御嶽(ニシトウオン)
  • 世持御嶽(ユームチオン)
玻座間御嶽の隣に位置する。火の神と世持ち神を祀る[4]。種子取祭での奉納芸能の舞台となる[7]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 町史 2011, p. 21.
  2. ^ a b c d e f g h 島立て伝説(六山)”. 竹富島ゆがふ館. 2021年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月14日閲覧。
  3. ^ “花城御嶽で落成祝い 50年以上が経過し改築”. 八重山毎日. (2011年12月22日). オリジナルの2012年7月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120722210508/http://www.y-mainichi.co.jp/news/18987/ 
  4. ^ a b c d e f 町史 2011, p. 24.
  5. ^ “竹富島で結願祭 8点の芸能を奉納”. 八重山毎日新聞. (2006年4月10日). オリジナルの2012年7月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120722210508/http://www.y-mainichi.co.jp/news/18987/ 
  6. ^ 町史 2011, p. 21-24.
  7. ^ “繁栄願い 芸能奉納 竹富島”. 八重山毎日新聞. (2018年10月26日). オリジナルの2018年10月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181026055559/http://www.y-mainichi.co.jp/news/34371/ 

参考文献

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  • 竹富町史編集委員会 編『竹富町史 第二巻 竹富島』2011年10月31日。