六角時綱
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時代 | 室町時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文安3年9月5日(1446年10月4日) |
別名 | 五郎(通称) |
戒名 | 円満寺殿義空勝公大禅定門 |
官位 | 民部少輔 |
氏族 | 六角氏 |
父母 | 六角満綱 |
兄弟 | 持綱、時綱、久頼、三井高久 |
子 | 政堯 |
生涯
[編集]六角満綱の次男として誕生。
文安元年(1444年)、兄・持綱に不満を抱いた家臣団から擁立され、翌文安2年(1445年)に父と兄を自殺に追い込んだ。室町幕府は弟・久頼を還俗させ、文安3年(1446年)8月に京極持清と共に時綱一派を討ち取る命令を下した。時綱らは近江国愛知郡飯高山で蜂起したが、9月5日に久頼と京極持清の軍勢に攻め込まれ、飯高山で家臣団と共に自害した。
子・政堯は生き残り、後に近江守護に任命されている。