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六郷政賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

六郷 政賢(ろくごう まさかた、1872年4月5日明治5年2月28日[1][2][3])- 1926年大正15年)3月6日[2][4])は、明治から大正期の華族政治家貴族院議員子爵

生涯

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出羽国本荘藩第11代藩主・六郷政鑑の長男として生まれる[1][2]。幼名は鋹五郎[要出典]1882年(明治15年)、学習院初等科に入学[要出典]。その後、ドイツなどに8年間留学し、農学や美術を学んだ[要出典]

1905年(明治38年)岩手県立水産学校の教員となる[4]。その後、帝室林野管理局技手、東京帝室博物館技手などを勤めた[2][4]1907年(明治40年)7月、家督を相続し[1]、同年10月1日、子爵を襲爵した[5]

1920年(大正9年)8月19日、補欠選挙で貴族院子爵議員となり[2][6]1925年(大正14年)7月9日に任期満了のため退任した[4]。また、上野動物園嘱託となった[7]。1926年、55歳で没した。

家督は子の六郷政貞は白雨)が継いだが、1941年に爵位返上した[3]

栄典

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親族

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注釈

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第4版』ろ1頁。
  2. ^ a b c d e 『日本人名大辞典』2070頁。
  3. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 下巻』839頁。
  4. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』60頁。
  5. ^ 『官報』第7279号、明治40年10月2日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、29頁。
  7. ^ 『日本の名門200』51頁。
  8. ^ 『官報』第667号「叙任及辞令」1914年10月21日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 中嶋繁雄『日本の名門200』立風書房、1994年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。


日本の爵位
先代
六郷政鑑
子爵
本荘六郷家第2代
1907年 - 1926年
次代
六郷白雨