共和村 (埼玉県児玉郡)
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きょうわむら 共和村 | |
---|---|
廃止日 | 1957年7月18日 |
廃止理由 |
編入合併 共和村 → 児玉町、本庄市 |
現在の自治体 | 本庄市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 児玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,891人 (1950年) |
隣接自治体 |
本庄市 児玉郡児玉町、美里村、上里村、神川村 |
共和村役場 | |
所在地 | 埼玉県児玉郡共和村大字蛭川 |
座標 | 北緯36度12分33秒 東経139度09分05秒 / 北緯36.20925度 東経139.15125度座標: 北緯36度12分33秒 東経139度09分05秒 / 北緯36.20925度 東経139.15125度 |
ウィキプロジェクト |
共和村(きょうわむら)は、埼玉県児玉郡に存在した村。現在の本庄市北部に位置する。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、今井村、蛭川村、高関村、入浅見村、下浅見村、下真下村が合併して発足。上真下村、吉田林村と町村組合を結成し、共和組合村となる。
- 1900年(明治33年) - 共和組合村3村が合併し、改めて共和村が発足。
- 1951年(昭和26年)
- 1957年(昭和32年)7月18日 - 大字今井および共栄の一部が本庄市、残部が児玉町に分割編入[1][2]。同日共和村廃止。合併により共和の名は一旦は消え、大字はそのまま新しい児玉町の大字に引き継がれる[3]。
- 2006年(平成18年)1月10日 - 児玉町が本庄市と合併し、改めて本庄市が発足。旧村域の全域が本庄市となる。児玉町と本庄市が合併した後も、共和の名は地区名や小学校の名前として使用されている[3]。
現在の町名
[編集]今井、共栄、児玉町共栄、児玉町蛭川、児玉町高関、児玉町入浅見、児玉町下浅見、児玉町下真下、児玉町上真下、児玉町吉田林
経済
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、共和村の篤農家は「荻野、田邊、福島、中、菅沼、内田、片貝、矢崎、吉田、古川、山田、鈴木、奈良、高橋、、古川、新井」などがいた[4]。
地域
[編集]医療
[編集]施設
[編集]- 宗教
- 駒形神社 - 共和村大字蛭川字坊畑鎮座[6]。
- 八幡神社 - 共和村大字下浅見字八幡鎮座[6]。
- 金鑚神社 - 共和村大字今井字西廓鎮座[6]、共和村大字上真下字神西鎮座[6]。
- 日枝神社 - 共和村大字吉田林字山王山鎮座[6]。
出身人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』324頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1426頁。
- ^ a b 『本庄市の地名②-児玉地域編-』42頁。本庄市教育委員会。2022年9月21日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』294頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月31日閲覧。
- ^ 『関八州名士肖像録』177頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月21日閲覧。
- ^ a b c d e 『児玉郡神社一覧』79 - 94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月26日閲覧。
- ^ 『解放への飛翔 東日本における解放の父野本武一の生涯』137頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 内田安蔵編『関八州名士肖像録』東江堂、1904年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『児玉郡神社一覧』埼玉県神職会児玉郡支会、1935年。
- 丸山友岐子編『解放への飛翔 東日本における解放の父野本武一の生涯』部落解放同盟埼玉県連合会、1976年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日、324頁。ISBN 4040011104。