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共産主義労働者党赤色戦線派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の旗 日本政党
共産主義労働者党赤色戦線派
代表 いいだもも
成立年月日 1972年12月
解散理由 指導者離脱による解散
政治的思想・立場 共産主義
マルクス主義
毛沢東主義
機関紙 赤色戦線
赤光
現闘通信
三星紅旗(静岡地区赤色戦線編集局)
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共産主義労働者党赤色戦線派(きょうさんしゅぎろうどうしゃとうせきしょくせんせんは)とは、日本の新左翼党派共産主義労働者党から分裂し1972年に結成された組織である。

概要

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70年安保闘争の後、共産主義労働者党(共労党)及びその学生組織であるプロレタリア学生同盟(プロ学同)の運動方針、1969年の沖縄闘争や11決戦、70年安保闘争の総括を巡り党内に分裂が生じていた。

そのような中でかつて党内において「全人民武装決起貫徹」を標榜していたいいだももらを中心とした一部のメンバーによって赤色戦線派として1971年頃より党内の一フラクションとして組織され、1971年秋に武装闘争に踏み切ろうとした折、共労党内の労働者革命派とプロレタリア革命派が同調して阻止し、その後除名された赤色戦線派が1972年12月に共労党赤色戦線派として結成された。

1972年8月25日には日本赤軍結成後の共産同赤軍派内の残存メンバー、反戦共闘(レーニン研究会)や旧ML派(後に解放委員会)[注釈 1]らとともに「ベトナム八月革命支援集会」を開催し、「八・二五共闘」を発足した。

独立後、三里塚闘争等にも参加していたが、メンバーが集まらず更に指導者であるいいだももの離脱などにより党派としては停滞し1980年頃まで活動していたとされる。一部の残存メンバーはその後も三里塚闘争などで活動していた。

エピソード

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三里塚闘争に参加していた折、毛沢東語録を読んでおり他党派から失笑されたという。

ヘルメット

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前面 後面
赤色戦線 RF

脚注

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注釈

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  1. ^ 後者2党派は後にマルクス主義青年同盟を形成。

出典

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参考文献

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  • 『三里塚 勝利と変革の思想』(戸田徹編、三一書房
  • 『マルクス葬送』(戸田徹、青土社、1983年)
  • 『日本革命思想の転生(上・中・下)』(黒木龍思、『情況』1972・73)

外部リンク

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