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具志川テレビ中継局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

具志川テレビ中継局(ぐしかわてれびちゅうけいきょく)は沖縄県うるま市字具志川にあるテレビ中継局である。

概要

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もともと旧具志川市には(旧)具志川中継局と具志川東中継局の2つのテレビ中継局があり、いずれも1980年代に設置されたが出力が0.1Wと弱く、放送エリアも狭かった。このため、2つの中継局を統合し、さらに広範囲にエリア拡大する必要があるため、1994年9月に旧具志川東中継局を発展解消する形で現在の具志川中継局が開局、出力も10Wとこれまでの2つの中継局の0.1Wの100倍に増力した。現中継局開局して2か月後の11月には旧具志川中継局も廃止され、完全に現中継局に一本化された。これにより旧具志川市内はもちろん、与勝半島金武湾を挟んで島嶼部にもエリアが拡大した。ちなみに、琉球朝日放送1995年に開局したが、当中継局は開局と同時ではなく、しばらくたってから開局した。なお、本項では、廃止された(旧)具志川中継局と具志川東中継局についても併せて記述する。

現存中継局

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地上デジタルテレビ放送送信設備

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ID 放送局名 物理
チャンネル
空中線
電力
ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
開局日
1 NHK
沖縄総合
19 1W 4.9W 沖縄県 16,254世帯 2009年
12月1日
2 NHK
沖縄教育
25 4.7W 全国
3 RBC
琉球放送
30 4.8W 沖縄県
5 QAB
琉球朝日放送
21
8 OTV
沖縄テレビ放送
23
  • 当中継局の前身である具志川東中継局ではNHK教育とOTVのチャンネルが逆だった(旧具志川中継局では違うチャンネルを使用していた)。
  • 地上デジタル放送の中継局は、2009年10月8日に予備免許が、11月30日に本免許が、それぞれ交付された。

廃止中継局

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地上アナログルテレビ放送送信設備

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(現)具志川テレビ中継局

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チャンネル 放送局名 空中線
電力
ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
開局日
44 QAB
琉球朝日放送
映像10W
/音声2.5W
映像68W
/音声17W
沖縄県 約14,200世帯 1997年
12月24日[1]
46 NHK
沖縄総合
1992年
9月9日[2]
48 NHK
沖縄教育
全国
50 RBC
琉球放送
沖縄県 1992年
9月8日[3]
52 OTV
沖縄テレビ放送

(旧)具志川テレビ中継局

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チャンネル 放送局名 空中線
電力
ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
開局日
55 NHK
沖縄総合
映像100mW/
音声25mW
不明 沖縄県 不明 1981年
11月3日[4][5]
57 OTV
沖縄テレビ放送
59 RBC
琉球放送
61 NHK
沖縄教育
全国

具志川東テレビ中継局

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チャンネル 放送局名 空中線
電力
ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
開局日
46 NHK
沖縄総合
映像100mW/
音声25mW
不明 沖縄県 不明 1982年
12月2日[6][7]
48 OTV
沖縄テレビ放送
50 RBC
琉球放送
52 NHK
沖縄教育
全国

脚注・出典

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  1. ^ 琉球朝日放送10年史編纂委員会『琉球朝日放送10年史』琉球朝日放送、2008年、32頁。 
  2. ^ NHK沖縄放送局史編集事務局『NHK沖縄放送局史 ~NHK・OHK70年のあゆみ~』NHK沖縄放送局、2012年、264頁。 
  3. ^ 琉球放送株式会社50年史編纂委員会『琉球放送50年史』琉球放送、2005年、年表1992年頁。 
  4. ^ 沖縄テレビ放送総合企画室『沖縄テレビ30年史』沖縄テレビ放送、1989年、161頁。 
  5. ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'82』日本放送出版協会、1982年、399頁。 
  6. ^ 沖縄テレビ放送総合企画室『沖縄テレビ30年史』沖縄テレビ放送、1989年、164頁。 
  7. ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'83』日本放送出版協会、1983年、446頁。 

関連項目

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