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内村剛介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内村 剛介(うちむら ごうすけ、1920年3月18日 - 2009年1月30日)は、日本のロシア文学者評論家。文芸誌『同時代』同人。本名、内藤操

シベリア抑留された人

来歴・人物

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栃木県生まれ。1934年、満州に渡る。1943年、ハルピン学院卒業。同年、関東軍に徴用される[1]

敗戦とともにソ連に抑留され、以後、11年間をソ連内の監獄ラーゲリで過ごした。1956年末、最後の帰還船で帰国。帰国後、商社に勤務する傍ら文筆活動を始め、『生き急ぐ』はロングセラーとなる。スターリニズムソ連の文学・思想を、抑留体験から解読・批判したほか、現代日本への批判も行なった。

1973年、北海道大学教授。1978年から1990年まで上智大学教授。2009年、心不全のため88歳で死去。

著書

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単著・対談集

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第1巻 わが二十世紀茫々
第2巻 モスクワ街頭の思想
第3巻 ソビエト作家論
第4巻 ロシア・インテリゲンチャとは何か
第5巻 革命とフォークロア
第6巻 日本という異郷
第7巻 詩・ことば・翻訳

編著ほか

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  • 『われらの内なる反国家』大沢正道共編 太平出版社 1970
  • 『スターリン時代 ドキュメント現代史4』平凡社 1973
  • 『だれが商社を裁けるか』 高木書房 1979
  • 監修『ラーゲリ(強制収容所) 註解事典』恵雅堂出版 1996

翻訳

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脚注

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  1. ^ 内村剛介著作集 第1巻 (恵雅堂出版)| 版元ドットコム
  2. ^ 著書に『シベリアの思想家-内村剛介とソルジェニーツィン』風琳堂 1994

外部リンク

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