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内村美代子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うちむら みよこ

内村 美代子
結婚直後の21歳の内村美代子(1924年12月撮影)
生誕 大館 美代子
1903年8月??
日本の旗 日本東京
死没 2003年7月22日
職業 翻訳家著作家
配偶者 内村祐之
大館源太郎
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内村 美代子(うちむら みよこ、1903年(明治36年)8月[1] - 2003年(平成15年)7月22日)は、日本翻訳家著作家である。内村鑑三の英文著作や野球雑誌『ベースボール・マガジン』の翻訳などで知られている。旧姓、久須美。

内村鑑三の長男で東京大学医学部教授だった内村祐之の妻でもある。

生涯

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1903年越前福井藩の士族の海軍少将大館源太郎の娘として東京で生まれる。1911年夏、酒井忠宝の娘・久須美鉐子の息子の養女となる。1913年、実父が死去する。日本女子大学付属高女卒業後、大学部の英文科に進んだが、肋膜炎を患い休学する。

1924年東京帝国大学医学部を卒業した内村祐之と結婚。1980年に祐之と死別する。

家族

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著作

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編著

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  • 『内村鑑三思想選書』(全6巻)羽田書店、1949年。
  • 内村鑑三(著)、内村美代子、山本泰次郎(編)『内村鑑三 非戦論』角川書店角川文庫>、1953年。

翻訳

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脚注

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  1. ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)う96頁
  2. ^ a b c 大館尚氏藤島神社、2011.01.29
  3. ^ 国史大年表 第八卷 改訂版 日置昌一 平凡社 1941年
  4. ^ 続・大館尚氏藤島神社、2011.01.29
  5. ^ 久須美秀三郎
  6. ^ 久須美東馬 『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  7. ^ 『晩年の父内村鑑三』内村美代子、教文館, 1985、p185
  8. ^ 福島縫次郎コトバンク
  9. ^ 福島縫次郎『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  10. ^ 水谷叔彦『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  11. ^ 水谷叔彦『大日本博士録 第5巻』発展社 1930
  12. ^ 水谷叔彦『人事興信録 第13版下』1941
  13. ^ 水谷叔彦歴史が眠る多磨霊園

参考文献

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