内田実久
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天文7年(1538年) |
死没 | 元和3年(1617年) |
別名 | 通称:善兵衛 |
主君 | 毛利元就→秋月種実→種長 |
藩 | 日向高鍋藩家老 |
氏族 | 内田氏 |
兄弟 | 壱岐守、実久 |
子 |
彦太郎、四郎右衛門、仁右衛門、 萱島善右衛門、板浪帯刀、白井種盛、 秋月種正 |
内田 実久(うちだ さねひさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。秋月氏の家臣。高鍋藩家老。
生涯
[編集]永禄2年(1559年)、筑前国の秋月種実が大友宗麟に敗れ、毛利氏を頼って周防国へ逃れた際、これを迎えて邸を提供したのが、実久の兄・内田壱岐守であるという[1]。実久は、種実の旧領回復の際に毛利氏からの援軍を指揮して功があり(休松の戦い)、それ以降は秋月氏の宿将の一人となって、筑前左右良岳城(麻底良城)の城主に任じられた。
天正15年(1588年)、豊臣秀吉の九州平定により秋月氏が日向国財部(後に高鍋)へ移封された際には隠居料500石を拝領し、戦乱で壊滅していた新納院高城の復興に尽力した。
元和3年(1617年)に死去した。享年80。家督は長男・彦太郎が天正14年(1587年)の岩屋城の戦いで戦死していたため、次男・四郎右衛門が継いだ。
脚注
[編集]- ^ 秋月氏の史料である『本藩実録』では、壱岐守と実久は改名した同一人物ではないか、ともする。
参考文献
[編集]- 『高鍋藩史話』 安田尚義著 (鉱脈社) ISBN 4860613325