内藤信方
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享和2年11月30日(1802年12月24日) |
死没 | 文政5年7月13日(1822年8月29日) |
別名 | 信思、三左衛門 |
官位 | 従五位下豊前守、従四位下紀伊守、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 越後村上藩世嗣 |
氏族 | 内藤家 (信成系) |
父母 | 父:内藤信敦、母:柳沢保光の娘 |
兄弟 | 信方、信親ら |
妻 |
正室:酒井忠進の娘・鑑 継室:松平忠恵の娘・縄姫 |
内藤 信方(ないとう のぶかた)は、江戸時代後期の越後国村上藩の世嗣。別名は三左衛門、信思(のぶこと)。官位は従四位下・紀伊守、侍従。
略歴
[編集]村上藩の第6代藩主・内藤信敦の長男として誕生。母は柳沢保光の娘。正室は酒井忠進の娘・鑑。継室に松平忠恵の娘・縄姫。
越後村上藩嫡子だったが、家督を継ぐことなく父に先立って死去した。代わって、異母弟・信親が嫡子となり、のちに第7代藩主に就任した。