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内藤元長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内藤 元長(ないとう もとなが、1584年 - 1600年)は、安土桃山時代の武将[1]

解説

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内藤家長の次男。兄に内藤政長がいる。通称は小一郎。

慶長5年(1600年)、父家長らとともに伏見城に籠城し、小早川秀秋の軍勢と伏見城西の丸にて対峙し、壮烈果敢に奮戦するが力尽き、父家長、鳥居元忠らとともに戦死した。享年16。

この伏見城の戦いは、9月15日に行われる関ヶ原の戦いの前哨戦となり、西軍は伏見城に10日以上期間をかけたことから展開の遅れにつながった。

延岡市の亀井神社には、内藤家長・元長親子を讃え、没後300年を前にした明治32年(1899年)に旧延岡藩士らにより建立された「英霊気節厳霜烈日」と書かれた石碑がある[2](延岡藩主内藤家は政長を祖とする)。

脚注

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  1. ^ https://nobeokahanamonogatari.net/naitoukinenkan_s.pdf
  2. ^ 宮崎県神道青年会. “延岡市”. 宮巡 ~神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト~. 2023年3月13日閲覧。