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内藤利紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内藤 利紀(ないとう としのり、1910年明治43年)3月18日[1][2] - 1983年昭和58年)4月10日[2])は、日本政治家東京都保谷市(現・西東京市)長(2期)。

来歴

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福島県出身[1]1934年日本大学法文学部法律科を卒業[1]。卒業後は逓信省に入り、簡易保険局書記となる[1]1951年保谷町議会議員となり、のち市制施行で保谷市議会議員となる[1]1969年保谷市長に当選。市長就任後は小学校や保育園、児童館の建設、休日診療所の開設、市街化区域及び市街化調整区域の決定、市の木を「ケヤキ」、市の花を「サザンカ」に決定した[1]。ほか、1977年に市長を退任するまで教育や福祉の各施設、都市計画や環境整備の拡充に力を尽くした[1]。1983年死去。正六位に叙された[1]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1004頁。
  2. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』147頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。