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冨田斅純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

冨田 斅純(とみた こうじゅん、1875年5月2日 - 1955年7月22日)は、明治昭和期日本僧侶真言宗豊山派管長および教育者

「斅」が特殊文字であることから、ウェブ上では「富田学純」という代用表記も見られる。

生涯

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長野県水内郡水内村(現・長野市信州新町)に生まれる。1897年、哲学館(現・東洋大学)卒業。1882年、長野県更府村長勝寺の冨田容純の従弟となる。1902年、哲学館の卒論を「新義真言宗史綱」として出版。1911年、真言宗豊山派宗務長、同派集議などを経て、1932年、同派管長となり、大僧正。

宝仙寺住職の時代

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1914年より東京中野宝仙寺住職。一方1920年豊山大学長となり、1926年同大と大正大学合同で、大正大学教授となった。のち感応幼稚園(現・宝仙学園幼稚園)、中野高等女学校(現・宝仙学園中学校・高等学校)を設立、1951年宝仙学園短期大学(現・こども教育宝仙大学)長に就任。

主な受章

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藍綬褒章1953年

著書

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