凌霄
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凌霄 | |
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プロフィール | |
出生: | 1889年(清光緒15年)[1] |
死去: |
1946年(民国35年)6月24日 中華民国南京市 |
出身地: | 清浙江省嘉興府石門県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 凌霄 |
簡体字: | 凌霄 |
拼音: | Líng Xiāo |
ラテン字: | Ling Hsiao |
和名表記: | りょう しよう |
発音転記: | リン シャオ |
凌 霄(りょう しょう)は中華民国の海軍軍人。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。別号は壮華。
事績
[編集]日本に留学し、東京商船学校、海軍大学校を卒業した。帰国後は、北京政府参謀本部科長、奉天省航警学校校長、東北第2艦隊司令、渤海艦隊副司令を歴任する。1929年(民国18年)、沈鴻烈配下の東北第1艦隊司令として青島に入った。しかし沈と対立して、東北海軍駐青弁公処処長に転じている。[1]
1940年(民国29年)3月、汪兆銘が南京国民政府を樹立すると、凌霄は軍事委員会委員兼海軍部政務次長となった。同年5月、政務次長を離れ、委員専任となる。1944年(民国33年)11月、海軍部長任援道に代理して部長となり、翌1945年(民国34年)1月、正式に海軍部長に昇進した。
日本敗北後の9月26日、凌霄は蔣介石の国民政府により南京で逮捕された[2]。軍事法廷で漢奸の罪により死刑判決を言い渡され、1946年(民国34年)6月24日、南京雨花台において楊揆一・胡毓坤と共に銃殺刑を執行された[3]。享年58。
注
[編集]参考文献
[編集]- 余子道ほか『汪偽政権全史 下巻』上海人民出版社、2006年。ISBN 7-208-06486-5。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 東亜問題調査会編『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。
- 毎日新聞社編『毎日年鑑1947』毎日新聞社、1947年。
- 益井康一『裁かれる汪政権 中国漢奸裁判秘録』植村書店、1948年。
南京国民政府(汪兆銘政権)
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