コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

凌霄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
凌霄
プロフィール
出生: 1889年光緒15年)[1]
死去: 1946年民国35年)6月24日
中華民国の旗 中華民国南京市
出身地: 清の旗 浙江省嘉興府石門県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 凌霄
簡体字 凌霄
拼音 Líng Xiāo
ラテン字 Ling Hsiao
和名表記: りょう しよう
発音転記: リン シャオ
テンプレートを表示

凌 霄(りょう しょう)は中華民国の海軍軍人。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。別号は壮華

事績

[編集]

日本に留学し、東京商船学校海軍大学校を卒業した。帰国後は、北京政府参謀本部科長、奉天省航警学校校長、東北第2艦隊司令、渤海艦隊副司令を歴任する。1929年民国18年)、沈鴻烈配下の東北第1艦隊司令として青島に入った。しかし沈と対立して、東北海軍駐青弁公処処長に転じている。[1]

1940年(民国29年)3月、汪兆銘南京国民政府を樹立すると、凌霄は軍事委員会委員兼海軍部政務次長となった。同年5月、政務次長を離れ、委員専任となる。1944年(民国33年)11月、海軍部長任援道に代理して部長となり、翌1945年(民国34年)1月、正式に海軍部長に昇進した。

日本敗北後の9月26日、凌霄は蔣介石の国民政府により南京で逮捕された[2]。軍事法廷で漢奸の罪により死刑判決を言い渡され、1946年(民国34年)6月24日、南京雨花台において楊揆一胡毓坤と共に銃殺刑を執行された[3]。享年58。

[編集]
  1. ^ a b 東亜問題調査会編、215頁。
  2. ^ 余ほか、1613頁。
  3. ^ 毎日新聞社編、72頁。益井、20頁。

参考文献

[編集]
  • 余子道ほか『汪偽政権全史 下巻』上海人民出版社、2006年。ISBN 7-208-06486-5 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 東亜問題調査会編『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 
  • 毎日新聞社編『毎日年鑑1947』毎日新聞社、1947年。 
  • 益井康一『裁かれる汪政権 中国漢奸裁判秘録』植村書店、1948年。 
  南京国民政府(汪兆銘政権
先代
任援道
海軍部長
1945年1月 - 8月
次代
(廃止)