初代加州兼若
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初代加州兼若(しょだいかしゅうかねわか、生年不詳 - 寛永5年? (1628年?)[1][2])は、江戸時代前期の加賀国の刀工。姓は辻村。通称は甚六、のち四郎右衛門。授領銘、藤原高平。
美濃国(現在の岐阜県)に生まれる[1][2]。 慶長10年(1605年)ころ、加賀の前田家に招かれ、金沢に移る[1][2]。元和5年(1619年)、越中守を受領し、兼若から高平へと名を改めた[2]。
志津三郎兼氏の末裔と称する。
作柄としては、地金板目刃文互の目乱れなど志津風である。
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