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別府隆彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
別府 隆彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道旭川市
生年月日 1926年2月27日
没年月日 2010年12月25日(84歳没)
選手情報
ポジション 内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

別府 隆彦(べっぷ たかひこ、1926年2月27日 - 2010年12月25日)は、北海道旭川市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは内野手

来歴・人物

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旧制明治中学校では内野手としてプレーし、明治大学に進学[1]。大学3年生の時にマネージャーをする傍らに、島岡吉郎監督の後を受けて母校の明治中学の野球部監督を務めた[1]。大学卒業後は大和証券に入社し、同社の軟式野球部の監督も務め、硬式への切り替えに取り組んだ[1]

1988年から1995年までに島岡吉郎の後任として、明治大学の監督を務めた[1]。監督在任時には、東京六大学野球リーグでは、4回優勝を果たし、1995年明治神宮野球大会では、エースの川上憲伸を擁して、日本一を果たした[1]。監督就任直後に東京六大学野球において、初めて女子マネージャーを採用し、一塁手であった野村克則には父・克也と同じ捕手転向、背番号19を着用させたり、1995年の秋季リーグで、アメリカ出身のジョディ・ハーラー投手を野村とのバッテリーで女性で初めてリーグ戦に登板させるなど大学野球に新しい風を吹き込んだ[1]1996年から総監督を務めた[1]

2010年12月25日間質性肺炎のために死去[2]。84歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 現代物故者事典 2009-2011 p541
  2. ^ 2010年 12月27日 読売新聞 東京朝刊 p18

関連項目

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