利生護国寺
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利生護国寺 | |
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本堂 (2020年10月) | |
所在地 | 和歌山県橋本市隅田町下兵庫732 |
位置 | 北緯34度19分28.1秒 東経135度38分0.9秒 / 北緯34.324472度 東経135.633583度座標: 北緯34度19分28.1秒 東経135度38分0.9秒 / 北緯34.324472度 東経135.633583度 |
山号 | 覚王山 |
宗派 | 真言律宗 |
開山 | 行基(伝承) |
開基 | |
札所等 |
南都 真言律宗 ぼさつの寺二十ヶ寺霊場第12番 伊都郡四国八十八ヵ所第31番 |
文化財 |
本堂(重要文化財) 山門(登録有形文化財) 大日如来坐像(県指定有形文化財) |
法人番号 | 1170005004672 |
利生護国寺(りしょうごこくじ)は、和歌山県橋本市に所在する真言律宗の寺院。山号は覚王山。院号は利生院。本堂が国の重要文化財に指定され、山門が登録有形文化財に登録されている。
歴史・概要
[編集]地元では「大寺」と呼ばれる。寺伝などによると奈良時代に聖武天皇の勅命で僧行基が畿内四十九院の一つとして創建したと伝承される。その後、荒廃したが、弘安年間(1278-88) に鎌倉幕府5代執権であった北条時頼により再興された。1298年 (永仁6年) の記録には鎌倉幕府の祈祷寺三十四か寺の一つになり、隅田荘のみならず鎌倉幕府の信仰を得ていたと推定される。南北朝時代から室町時代にかけても地方寺院としてある程度の規模を有していたようで、後村上天皇綸旨(りんじ)や長慶天皇綸旨、畠山義就・基家らの寺領安堵の古文書を伝えている。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 本堂 - 桁行5間、梁間4間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を意味する)、単層、寄棟造、本瓦葺きの建物。内部は前方1間通を外陣、中央の方三間を内陣とし、その両側に桁行1間・梁間3間の脇陣を設ける。南北朝時代初期に兵火により焼失し、天授年間(1375 - 81)頃に再建されたという説が有力。全体の姿は簡素で優雅、本格的な様式を踏襲している。内部の柱や天井、床板、菱形欄間、連子窓などは創建当時の形態を残す。1965年(昭和40年)5月29日指定。
登録有形文化財(国登録)
[編集]- 山門 - 境内の南辺、本堂正面に開く一間一戸の四脚門。江戸時代中期の建築。木造、切妻造、本瓦葺き、板桟戸両開き、間口3.6m。門柱は円柱、控柱は面取角柱とし、控柱と門柱は頭貫、腰貫、腰長押でつなぐ。控柱上に実肘木付の連三斗を備える。軒は一軒疎垂木。2019年(令和元年)9月10日登録。
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山門
和歌山県指定文化財
[編集]- 大日如来坐像 - 平安時代の作とされる木造大日如来坐像が安置されている。昭和40年4月14日、に指定された。
現地情報
[編集]所在地
[編集]- 和歌山県橋本市隅田町下兵庫732