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利用者‐会話:パンストキ

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こんにちは[編集]

パンストキさん。まずは自分の編集に対し、貴重なご意見ありがとうございます。たしかに弁論の趣旨がずれてしまったきらいはありますね。その点については確かにすいません。しかしそういったことが、ここウィキペディアでは珍しくないのが悲しい現状です。意見の交換であったはずが、いつのまにか自身と意見を違える者を屈服させたいがための「敬語の乱闘」になってしまっていることも、珍しくありません。悲しい事です。失礼ですが、自分が他のアカウントを使用していた際、どこかでお会いしましたでしょうか?「幸運な星のもとに生まれた子供」さん、であるならば、お久しぶりですと述べさせていただきます。もし人違いであるならば、あらためて始めまして、パンストキさん。今後とも、宜しくお願い致します。まずはパンストキさんに戴いたご意見ですが、確かにそうです。まるで演説のような体裁になってしまっていますね。自意識過剰ではないか、というご意見に対しても、全くそのとうりです。当初、当雑誌で件の一文を拝見した際、私は自身の編集からの転用である事を疑っていなかったのですが、結果的に私と同じ文章を考えついた人が存在しており、私は自意識が他の人々とよりも強いのかもしれないというパンストキさんのお言葉を痛感しております。しかし、それがこの疑問を提示したことを「間違っていた」と撤回する理由にはならないと考えます。ここでは「著作権違法が証明された」と仮定して話を進めます。パンストキさんは、多くの人の目に触れるメディアに関わる漫画家さんに、一般市民が介入する事を指して「自意識過剰」と評されたのだと思います。しかし、かの漫画家さんと私の、「双方の有する人間としての権利は対等である」と考えます。漫画家とごく普通の中学生。他の人々に与える影響も社会的地位も隔たっていますが、相互の「人間としての守られるべき最低限の権利」に格差があってはなりません。たとえ有名人であっても一般市民であっても、私の社会的地位がどうあれ、守られるべき基本的権利に変りはないはずです。そして、このサイトでは利用者の編集、ウィキペディアの記述は「著作権」によって守られているのです。ウィキペディアを解さず自身で解決しろと仰るのも理解できます。しかし、「自意識過剰」という概念で「私という人間、私というウィキペディアン」に許された権利を侵す言動は、よろしければお控えになっていただきたいのであります。しかし、私が公私混同したのも事実。著作権違法という問題の厳正を期すという観点を重要視したとしても、それでもウィキペディアというサイトはあくまで「辞書」なのであるということを念頭に置いて、慎重に行動しなければければいけないのだという事を、改めて考えされられました。私達は、このウィキペディアで正しく活動する為に、私達が「善意の活動家」であり、自分達の為にではなく、このサイトを閲覧する為にいらっしゃる訪問者の方々が有意義にこのサイトを活用して頂く為に活動しているのだということを、もう一度よく噛み締める必要があるのかもしれません。そんなあたりまえの事が、ここウィキペディアでは当たり前でない事を、私はうれいています。そして、そんな私自身が今まさに、私がうれいている人々と同じ過ちを辿りかけていました。パンストキさん。本当にありがとうございます。私は「私が過去犯していた過ち」を繰り返さないように。貴方は「貴方が過去犯していたかもしれない過ち」を、もう二度と繰り返さないように。私達は、「私達がなぜこのウィキペディアにいるのか」をもう一度よく見つめなおす必要があるのかもしれません。私は、それを気付かせてくれたパンストキさん。貴方との出会いに感謝します。ムース 2007年11月3日 (土) 09:00 (UTC)[返信]