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利用者‐会話:北州斎娯楽

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池田氏の件

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北州斎娯楽さん、はじめまして、故城一片之月です。 ご質問の件は私の会話ノートに書きましたので、御覧下さい。

それと、私のノートではご質問には見出しを付けていただくよう皆様に御願いしております。また記入の末尾のサインは編集ウィンドウの上部に表示のアイコン列の右から2番目をクリックして(または--~~~~を小文字でキー入力してもよい)、投稿ボタンを実効すれば自動表示されます(「プレビュー実行」ボタンで事前の表示確認もできます)。--故城一片之月 2008年5月11日 (日) 08:35 (UTC)[返信]


出典上の問題で、本文には書けませんが、学生さんの書いた論文をひとつ紹介させて下さい。

池田氏は、外様であるため忠誠心の証として殉職を選んだほか、その嫡子が身障者(小児麻痺など)・知恵遅れなどではなかったかと推論されています。そのために願い出により家督相続を遠慮したと考えるのが自然だと。

後にこの嫡子は、足軽頭150石となっていますが、この時代の番方の頭は、名誉職化しており、無能や使い物にならないが家格の高いものを登用したり、功労ある藩士を最後の花道に、一つ格上に当たる番方の頭に登用することは、幕府・諸藩においてよくおこなわれていました。

長く当主が病身であれば、養子か一族のほかの者をたてるか、そうでなければ家禄削減は避けられませんでした。池田氏は実の子供に家督相続をさせたいというのが、本音でありながら、反対の行動に出て、心情に訴えたとみるべきだと。

池田氏は嫡子の家督相続を遠慮し、みずからの命と引き換えに、嫡子を、日本流に守ったものと考えられるとしています。

それに応える形で150石、足軽頭に登用したみるべきだとの考えだと。

そのために300石の池田氏は、本家150石と、分家50石の合計200石(後に本家は50石加増)に留め置かれたのでしょうとのことです。

想像が多いですが、参考になるかと思いまして、紹介しました。--Kounosu 2008年5月12日 (月) 03:42 (UTC)[返信]

故城一片之月さん はじめてウィキペディアに投稿した北州斎娯楽です。要領が悪くて、ご迷惑おかけしたと思います。 本日、早速、訂正版とご返事をいただきまして、大変、ありがたく思っています。まずは、お礼申し上げます。 お示し頂ました改訂版で、ずいぶん明らかになり、納得できるところが多くなりました。参考文献もお示しいただけましたので、小生にもこれから勉強できそうです。一部削除しました。--北州斎娯楽


↑北州斎娯楽さん、これ、投稿ミスですね、自分の書き込みなら自分で消しても大抵は大丈夫ですよ。問題あれば管理者のかたが教えてくれます。ところで、私の会話ノートの方のカキコは場所移動(降順(発生順)で記載に統一してるので)してコメント入れときました。上の意見をみて一言、池田成直の嫡子成儀は150石足軽頭から奉行職(評定衆)200石に栄進してるので無能者であったとは考えにくいと私はおもっています。--故城一片之月 2008年5月13日 (火) 16:16 (UTC)[返信]


故城一片之月さん Kounosuさん 大変、失礼しました。不馴れなもので、ご迷惑おかけしています。変なところは削除しておきましたが。これで良かったでしょうか。--北州斎娯楽