利用者‐会話:坂東地方

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

利根川東遷事業の編集[編集]

貴殿の 2023年7月31日 (月) 05:05‎ の利根川東遷事業の編集は取り消させていただきました。利根川上流ダム群に関しては反対を押し切っての建設で、周辺地域への負担を強いていることは間違いないことであり、さらにカスリーン台風と同規模の洪水が発生した場合、死者最大3,800人、罹災者数160万人に上ると推測されおりますので、終わりのない問題が無くなっていないのも事実です。--2400:4051:820:9E00:716B:DAF0:A3AC:975A 2023年8月1日 (火) 12:24 (UTC)[返信]

問題ではなく対策(強化堤防は令和元年東日本台風で効果を発揮)。あとHelp:パイプ付きリンクのパイプ付きリンクを使う時の注意点を読みましょう。首都圏氾濫区域堤防強化対策の内部リンクは前述にあるので取り消し。終わりのない云々は「それらについての永続的な努力の結果として今日があり」と重複、くどい言い回しです。あなたは東遷事業を反対側からしか書いていません。--坂東地方会話2023年8月1日 (火) 14:02 (UTC)[返信]
了解しました。私としてはただ単純に削除することを問題にしたのであり、確かにその記述の前には「それらについての永続的な努力の結果として今日があり」とありますのでおっしゃることには同意します。ですが、長期に渡って検討中や凍結中のダムはもう無くなっているからといってもダム周辺地域の負担を強いたのは事実ですので、若干加筆させていただきます(2400:4051:820:9e00:e517:cdc8:f994:b979 、2400:4051:820:9e00:716b:daf0:a3ac:975aと同一人物です )。--2400:4051:820:9E00:5137:DD14:742F:56FD 2023年8月2日 (水) 12:19 (UTC)[返信]
私としてはただ単純に記述を削除した貴方の編集を咎めただけであり、これ以上付きあう気はありませんので新たな編集はしませんが、[個人攻撃のためコメントアウトしました--坂東地方会話)]
明治43年の大水害の記事の背景には「現在の東京都区部の平地の部分は、元々海の干潟や低湿地帯だったものを、徳川家康入府後の埋め立てや治水事業によって可住地化したもので、東京(江戸)は本質的に水害に対して脆弱であり、また水害対策を目的のひとつとした利根川東遷事業によって利根川の下流域となった旧香取海周辺などのように、その代償として水害に襲われるようになってしまった地域もある(途中省略)このような治水は理解を得ることが難しくなっていた」とあり、中条堤の歴史には「強権のもと統制強化されてきた地域格差が社会的に許されなくなったことによるもので、さらなる拡大強化には無理があり、中条堤自体は復旧されたもののこの治水システムは崩壊に至った」とあります。
私の考えすぎかも知れませんが、[個人攻撃のためコメントアウトしました--坂東地方会話)]--2400:4051:820:9E00:711F:A567:18BE:2128 2023年8月3日 (木) 12:23 (UTC)[返信]
可変IP利用者にレッテル張りされる筋合いはありません。貴方はアカウントを作らずに特定を恐れて匿名でコソコソと、IP変えてブロック破りの荒らしと何ら変わりがありません。事業を始めた徳川氏は元々関東へ左遷された人物です。群馬県の八ッ場ダムの工事を再開させたのは当時の民主党ですよ?。千葉県でも千葉県側の調節池である田中良節池や菅生調節池が容量拡大中。今一度Wikipedia:中立的な観点をお読みください。ウィキペディアの根本的な方針の一つです。あとで誹謗中傷として通報します。--坂東地方会話2023年8月6日 (日) 02:34 (UTC)[返信]