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利用者‐会話:泉州大夫惟宗朝臣/過去ログ1

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テンプレートの張替えについて[編集]

初めまして。ラッツと申します。あなたは毛沢東胡錦濤などの記事にありますテンプレートを、 Template:Infobox OfficeholderからTemplate:大統領に変えられておいでですが、これは何故でしょうか?どちらを使っても良いのかも分かりませんが、前者のテンプレートを使えばその人の役職名だけでなく、前任者、及びその後任者も明記できるので、私は海外の政治家の記事には極力このテンプレートを使うことにしています。それにこのテンプレートを使えば、大統領だけでなく、首相や閣僚、末端の政治家のページにも適用できます。勿論日本の政治家であれば、Template:政治家を使えば問題はございません。

改めてお聞きしますが、わざわざTemplate:大統領をお使いになられた理由は何でしょうか?--ラッツ 2009年10月9日 (金) 09:59 (UTC)[返信]


ラッツさん、初めまして。泉州大夫惟宗朝臣です。ご質問の件について、回答します。胡錦濤のテンプレートは当初、Template:Infobox Officeholderのうち、Template:Infobox Presidentが使用されていましたが、これだと、このページの右側のようになります(このページの右側に掲出されているテンプレートは、私が変更する以前の版より一部抜粋)。

胡锦涛
胡錦濤
Hu Jintao
第6代中華人民共和国主席
就任
2003年3月15日
副大統領習近平
前任者江沢民
中華人民共和国副主席
任期
1998年 – 2003年3月15日
大統領江沢民
前任者栄毅仁
後任者曽慶紅

胡錦濤の経歴を紹介するこのテンプレートを見て、私は大いに違和感を覚えました。以下にまとめますと、

  1. 中華人民共和国主席(国家主席)の英語表記は「President」、すなわち直訳すると大統領だが、中国も日本も中国の元首は「中華人民共和国主席」と表記する。中国語で大統領にあたる語は「総統」である。なのに、テンプレートで主席を「大統領」としたり、副主席を「副大統領」とするのはおかしい。
  2. 国家主席や党総書記・中央軍事委員会主席は政治的地位・役職である。ふつう、大統領や首相の地位・任務につくことは「就任」という。「着任」とはいわない(少なくとも「大統領に着任」という表現を私は見たことがない)。

というものです。ですから、より自然なTemplate:大統領に変更した次第です。なお、胡錦濤のページを修正する以前に江沢民のページも見ていたのですが、ここではTemplate:大統領が少なくとも2008年1月頃から使用されていました。

毛沢東のテンプレートについては、まず毛沢東は総書記にはなっていないのに、テンプレートでは総書記とあったので、それを修正しようと考えました。そのついでに、江沢民胡錦濤のページに合わせる形にテンプレートを変更しました。それと、これは個人的理由になってしまうのですが、私は外国語が不得手ですので、Template:大統領のほうが使用しやすかったというのもあります。

Template:Infobox Presidentは、欧米の大統領制国家の人物に関しては使用してもいいでしょうが、中国の場合、むりにこのテンプレートを使うと、上記のようになってしまいます。同様の件は温家宝のページでも起こっていて、胡錦濤を「大統領」としたり、国務院副総理の李克強を「副官」とするなど、とんでもない状況になっています。私個人は、Template:Infobox Officeholderは中国・韓国・北朝鮮などの人物に使用するのは、できれば避けたいと考えています。また、前任者や後任者については各ページの末尾にTemplate:先代次代もあるので、Template:大統領でも差し支えはないと思います。

以上が私の趣旨となりますが、この度ラッツさんのご指摘を受け、当該ページのノートにでも一言コメントを残しておけばよかったかなと反省しております。何分、ウィキペディアに参加して日も浅いので、至らぬところが多々ございますが、ご寛恕の上、ご指導・ご鞭撻いただけるよう宜しくお願い致します。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年10月11日 (日) 03:36 (UTC)[返信]

ラッツです。御回答に感謝致します。確かにこの表記はまずいですね。「大統領」「副大統領」「副官」というのは…。せめて「中華人民共和国主席」「中華人民共和国副主席」「国務院副総理」といった具合に表記できれば、Template:Infobox Officeholderを使っても問題はないのですが…。中国や北朝鮮の国家元首に関しては、Template:大統領を使用するのが良いのかもしれませんね。
胡錦濤の記事で、テンプレートに中華人民共和国副主席が書かれておりませんでしたので、追加しておきます。
こちらこそ、御丁寧な回答に感謝致します。同時に、御返事が遅くなりまして大変申し訳ございませんでした。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。--ラッツ 2009年10月15日 (木) 09:54 (UTC)[返信]

「写真の削除」の方針について[編集]

お疲れ様です。毛主席語録のお写真、「意味不明の画像なので削除」とありましたが、「ANDY CHNさん」がこの画像を貼られたからには(あらしなどのイタズラでない限り、)何らかの意味があるのではないかと思います。いつも即時削除されてるみたいですが(前回説明文を記載し忘れたままアップしてしまった私の「SPQR」も含め)、WIKIではこのような場合には、そのような対応するようになってるのか教えてください。規定を把握していないのですが、仮にこの壁の画像をご存知ではないとしても(中国屋さんみたいですのでおわかりだったとは察しますが)、例えば他言語版を参照してみるのもひとつの方法ではないかとも思います。そうすればだいたいどういうものかはわかると思いますし、少なくとも「意味のない画像」、つまり強制的にすぐに削除してしまうべきものでもないということもわかるのではないかと思います。そして、それらをみんなで修正や補記にてフォローしていくことにより、よりよいものになっていくのではないかとも個人的には思うのですが。多謝!--.9098 2010年6月11日 (金) 16:43 (UTC)

NederlandsNederlandsさん、初めまして。泉州大夫惟宗朝臣です。ANDY CHN氏の編集については、氏が掲出した画像の説明に、「中国は現在、毛沢東です」とありました。この文は日本語として破綻しており、全くもって意味不明でした。確かにANDY CHN氏の掲出した画像は、NederlandsNederlandsさんがフォローされた説明文によって意味を成すものとなりましたが、氏が掲出された段階の説明文では内容的にも、そして氏の意図するところも理解不能でしたので、削除しました。これは私の個人的見解になるのですが、日本語版ウィキペディアにおいて、文法的に破綻した日本語で執筆することは「荒らし」的行為だと思います。閲覧される方に対して意味不明・内容不明の記事を提供することは失礼にあたります。故に、そのような記事を見かければ即時修正(場合により削除)を行っているわけです。その意味で、NederlandsNederlandsさんの「SPQR」の画像も差し戻した次第です。私の即刻差し戻しというやり方は乱暴だったかもしれませんが、貴方の意図(その画像の説明内容)が不明だったので、あのような形となりました。
さて、今度は逆に貴方に申し上げたいことがあります。貴方は、各種記事に色々と画像を掲示されていますが、少々多すぎませんか。Wikipedia:画像利用の方針の慣例則第7項に、「関連する主題だけを示すように、画像を編集してください」とあります。これは、アップロード時のことを言っているだけかも知れませんが、画像を記事に掲載する時についても示唆している文言だと私は理解しています。その画像一種を掲示することで、その記事について効果的に理解できる。記事における画像掲出はかくあるべきではないでしょうか。その意味では先述の「SPQR」に現在貴方が掲出している画像5種のうち、2枚目・3枚目・5枚目は現代における「SPQR」の使用例を表すものとして価値あるものですが、1枚目と4枚目は果たしてそうでしょうか?毛沢東の画像も然り。貴方は第一次国共内戦や日中戦争時の毛沢東の画像として、よく「File:Mao Zedong in Yan'an2.jpg」を掲出されますが、とくにこの画像にこだわりをもたれる意図が私にはわかりません。タイトルに「in Yan'an2」とあるから、延安に立てこもっていた時期の写真らしいのですが、延安時代のいつ、どのような状況を示す写真なのか不明です。延安に立てこもっていた時期の写真を使用するのであれば、もっとそのときの状況を説明しやすい写真があるはずです。他の方も貴方に呼びかけていたように、ウィキペディアは画像投稿サイトではありません。多すぎる画像はページの容量を肥大化させる原因となりますので、内容を吟味して、使用する画像を取捨選択をしていただきたい。そして、画像を掲出する時は、ページのレイアウトも考えていただきたい。貴方が色々と画像を貼り付けた結果、余計な空白(しかも大きい!)が生じており、見栄えが良くないだけでなく、印刷時にも不都合が生じております。レイアウトのこともご考慮のうえ、編集されることを私としては希望致します。
以上、きつい言い回しになってしまい、申し訳ありません。ご不快な点も多々あったと思います。その点についてはただただ恐縮するばかりです。ただ、私ごときが申し上げるのもなんですが、このウィキペディアが、閲覧される方々にとって本当に役立つものであってほしいとの願いから、記事の内容については厳正でありたいと思っています。ですから、あえて厳しい言い回しをしてしまいました。私も貴方が仰られたように、記事が「みんなで修正や補記にてフォローしていくことにより、よりよいものになっていく」ことを願っております。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年6月15日 (火) 18:14 (UTC)[返信]
泉州大夫惟宗朝臣さま。おはようございます。この度は大変お世話になっております。上記、拝見いたしました。いろいろとご迷惑をおかけしておりまして申し訳ございません。即時修正、アップ、レイアウトなどの方針やあるべき姿などについていろいろとアドバイスをいただき、大変勉強となりました。また気になる点などがございましたらば、ご指摘いただければ幸いです。今後とも何卒宜しくお願いいたします。本当に申し訳ございませんでした。--.9098 2010年6月18日 (金) 21:06 (UTC)
追伸、上記のメッセージに気が付かず、先ほど「ノート:毛沢東」に質問をしてしまいました。今回のご回答で解決したとも思いますので削除したいのですが、ノートの削除は私の方で差し戻しとかをおこなっても問題ないのか教えていただけますか?いろいろとお騒がせしてしまい申し訳ございません。--.9098 2010年6月18日 (金) 21:11 (UTC)

「泉州大夫惟宗朝臣さん」がご指摘の30年代の写真について、について[編集]

おはようございます。お世話になっております。先ほど「「泉州大夫惟宗朝臣さん」がご指摘の30年代の写真について」を「当事者との合意により削除」として、削除させていただきました。いろいろとご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。今後とも宜しくお願いいたします。本当に申し訳ございませんでした。--.9098 2010年6月19日 (土) 22:33 (UTC)

南ベトナム首相の肩書について[編集]

泉州大夫惟宗朝臣さん、こんばんは。(たぶん)初めまして、Ashtrayと申します。
本日はベトナム関連記事で、接触が多かったですね。私は、ベトナム関連の知識がいまひとつなので、勉強を兼ねて編集しています。もう少し、人物関連を増せればと思っています。
さて、南ベトナム共和国の首相の肩書「顧問会同主席」についてですが、私も以前、気になって調べたことがあります。ベトナム語の知識は皆無ですが、ベトナム文字→漢字の変換は意外と簡単です。
まず、グエン・フー・トのベトナム語版記事から、"Chủ tịch Hội đồng Cố vấn" という Title が判明します。これを、2単語ずつGoogle検索すると、「主席 會同 顧問」となります。
もうお判りになると思いますが「顧問会同主席」は、越語からの遂語訳です。間違いではないでしょうし、日本語としてもギリギリ通じますが、まぁ不自然ですね。(意訳をすれば「顧問会議主席」か「諮問委員会議長」あたりでしょうか)。--Ashtray 2010年7月19日 (月) 14:31 (UTC)[返信]

Ashtrayさん、初めまして。泉州大夫惟宗朝臣です。南ベトナム共和国首相について、ご指摘ありがとうございます。貴兄のご指摘を受け、グエン・フー・トの記事の「顧問会同主席」に手を加えてみましたが、あのような形で宜しいでしょうか?もし良いのであれば、南ベトナム共和国の記事についても同様に修正したいと思います。

しかし、「顧問会同主席」というのは不自然ですよね。「会同」という言葉は「会議」と同じ意味だと思いますし、貴兄の仰るとおり、「顧問会議主席」あたりが良いのかなとは思いますが、意訳をウィキペディアの記事に記載して良いのかという疑問もあります。「顧問会議主席」が先行研究の文献にあれば使用するのですけど。

私は中華人民共和国関連を中心に各国の政治機構・政治家に興味があり、編集活動に携わっております。今後ともご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年7月20日 (火) 14:51 (UTC)[返信]

泉州大夫惟宗朝臣さん、こんばんは。
グエン・フー・トの編集、ありがとうございます。あのような形で良いと思います。
役職・肩書等は文献に拠るべきと思いますが、せっかくベトナムも同じ(旧)漢字圏ですので、なるべく原語を尊重したいですね。
とはいえ、中国関連でも、漢字を巡って揉める例はあるでしょうし、臨機応変に行きましょう。時には意訳もOKだと思います(例えばレ・ズアンの肩書を「総秘書」とするも不自然ですし)。
私も編集分野は「旧東側」ですので、中華人民共和国も大好きです。ただ、最近の興味はその周辺の「小国」で、WP-Jの中では、まぁ、ニッチな活動をしています。
それでは、今後とも宜しくお願いいたします。--Ashtray 2010年7月21日 (水) 12:10 (UTC)[返信]

Re:「毛沢東」における編集について[編集]

はじめましてこんばんは、以前より大幅に加筆された記事にてお目にかかっておりました。Baalcyと申します。先程の毛沢東の件はありがとうございました。関連項目の量が多くて見づらいと思ってたのですが、何分中国史と毛沢東個人について詳しくないもので、あのような形になってしまいました。それでも泉州大夫惟宗朝臣さんにあのような形で矛盾を処理(なんて言うと毛沢東っぽいのかな?)いただけた上に、メッセージまでいただけて頭が下がります。今後ももし私がおかしな部分のある編集をしてしまった場合はご指摘くださいませ。それでは失礼します。--Baalcy korbo 2010年7月21日 (水) 18:01 (UTC)[返信]

中華人民共和国の党と国家の最高指導者の項目について[編集]

始めまして。中華人民共和国の党と国家の最高指導者へのリンクを毎回取り外されているようですが、どこか間違いがあったのでしょうか?あなたは中国について詳しいようですので私のほうが至らないところがあるのだと思うのですが… この項目は孤立していてリンクが必要なので、項目の内容が間違っているなら修正していただけたらと思いますし、そうでなければどこか適した場所へ内部リンクを作っていただければありがたいと思います。--Remington 2010年8月3日 (火) 12:07 (UTC)[返信]

Remingtonさん、はじめまして。泉州大夫惟宗朝臣です。表題の件ですが、当該記事の有り方についてかなり疑問を持っています。というのは、当該記事がどうも中国語版の黨和國家最高領導人 からコピペ(ないし翻訳)した形跡が非常に強いからです(ちなみに履歴をご覧頂ければお解りになると思いますが、当該記事の最初の記事名は「党と国家の最高指導者」というもので、これを中国語表記すると「党和国家最高領導人」となります)。もしこれが、黨和國家最高領導人 のコピペないし翻訳ならば、その旨が編集内容の要約欄に記載されていないので、削除対象になるのではないでしょうか。また、「中華人民共和国の党と国家の最高指導者」の記事名にも疑問があります。「党」とは何党を指すのでしょうか。無論中国共産党だと承知していますが、一応中国にもその他の政党・会派はあるので、記事名が正確ではないと考えます。また、肝心の記事内容についても単なるリストであり、今の状態だと中華人民共和国主席中国共産党中央委員会総書記中華人民共和国の歴史中華人民共和国の政治を参照したほうがより詳しい知識を得ることができます。よって、当該記事が現状のままでは、リンクは外しておいて、当該記事を一旦削除するか、もしくは再改名(例えば「ソビエト連邦の指導者の一覧」に合わせて「中華人民共和国の最高指導者一覧」とか)のうえ、あらためてリストなり記事を作成してから、順次内部リンクを作成していくべきではないかと考えます。私もそれを実施しようとは思いますが、何分本業が立て込んでいて、なかなか時間がとれないのが現状です。故にとりあえず内部リンクは外している次第です。ですが、Remingtonさんのご指摘を受け、当該記事のノートにでも私の考えを述べておいたほうが良かったかなと反省しております。この度はコメントを戴き、ありがとうございました。不行き届きな点につきましては、これからもご指導をお願いいたします。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年8月3日 (火) 17:39 (UTC)--コメント内のリンクを修正。泉州大夫惟宗朝臣 2010年8月20日 (金) 06:48 (UTC)[返信]

私も、少なくとも記事名の再改変や他言語版からの内容の増補が必要だと思います。とはいえ、今後いつか記事を改変する予定のようなので、内部リンクは作らずに置いておきたいと思います。私は詳しくないのでできればお任せしたほうがいいと思いますし…。丁寧な説明ありがとうございました。--Remington 2010年8月4日 (水) 12:56 (UTC)[返信]

「抗日パルチザン」の項目について[編集]

「抗日パルチザン」の項目について、私が、李命英のトンデモ本を根拠にした記述を削除したところ、元に戻されましたが、なぜでしょうか。 なお、李命英の説が否定されていることは、普天堡の戦いにも記述があります。Everton FC 2010年8月14日 (土) 11:04 (UTC)[返信]

Everton FCさん、初めまして。泉州大夫惟宗朝臣です。お問い合わせの件について、回答いたします。貴方の記事を差し戻した理由は、貴方の編集方針に問題が見られるからです。まず、貴方は自分の意見にあわない文献をよく「トンデモ本」などと仰いますが、そのような仰りようは社会人としていかがなものでしょうか。また、李命英氏の説があなたの仰る「トンデモ」ないものであれば、貴方がそのように判じる理由および根拠を具体的に抗日パルチザンノートページに記入したうえで、当該記事の編集に携わるべきでしょう(現状、ノートページにある貴方の説明では他者を納得させるのは難しいと私は思います。李命英氏の説が学問的に否定されているならば、どのような根拠をもって否定されており、貴方が首肯されたのかを明記すべきでしょう)。その場合は李命英氏の説とそれに反対する識者の説の両論を併記すべきです。そのほうが、百科事典としての記事の質向上につながるでしょうから。ウィキペディアは貴方の思想・立場を主張する場ではないことをご理解ください。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年8月14日 (土) 11:42 (UTC)[返信]

「韓国学校」の項目の編集について[編集]

「韓国学校」の項目で、わたしは「学校法人白頭学院」と書きくわえ、あなたは「学校法人名は必要ない」として削除されましたが、建国小・中・高は「白頭学院」とよばれることがおおいので、その名前も書き加える必要があると考えます。Everton fan 2010年9月1日 (水) 19:04 (UTC)[返信]

韓国学校の件は、他の学校が学校法人を記載していないのに、建国小・中・高校だけ学校法人名が記載されていたので、他に合わせただけのことです。さて、Everton fanさんに逆質問ですが、 「建国小・中・高は『白頭学院』とよばれることがおおい」と仰いますが、その根拠はありますか?根拠がなければ独自研究じゃないでしょうか?
なお、以下は独り言です。私の個人的体験なので読み飛ばしていただいてもかまいません。私は建国高校の近隣にある某高校(校名を出すのは私の個人情報につながるのでご勘弁を)に通っていましたが、「建国高校」は耳になじんでいたけれども、「白頭学院」などとは一切聞いたことがないですね。まあ、建国高校の内部で白頭学院と呼んでいたり、入試説明会や学校案内のパンフレットで「学校法人白頭学院 建国高等学校」などとは記載されていたかもしれません。でも、私が通っていた高校も、パンフレットや南海電鉄の駅の広告に「学校法人×× ○○高等学校」とは書いていましたが、学校法人名よりも校名のほうが通りが良かったですけどね。まあしかし、まさかウィキペディアで高校時代の思い出にふけるとは思ってもいませんでした。以上、独り言終わり。
本題に戻りますが、Everton fanさんがどうしても韓国学校の項目に「白頭学院」を記載されたいのであれば、他校の学校法人も記載して、記事としての統一性をとられたらいかがでしょうか。それでは、私の質問も含めて、この件についての御返事をお待ちしております。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年9月2日 (木) 01:45 (UTC)[返信]

南ベトナム臨時政府首相について[編集]

泉州大夫惟宗朝臣さん、こんばんは。

Ashtrayです。いつもお世話になっております。

実は以前にお話しました「顧問会同主席」に関連した事なのですが。最近いろいろベトナム関連の文献を読み集めているのですが、この職は、どうも私たちの理解していた内容とは違うようなのです。詳しくはこちらのノートに記しましたので、宜しければご意見いただければと存じます。--Ashtray 2010年9月14日 (火) 15:33 (UTC)[返信]

Ashtrayさん、精力的な編集活動、お疲れ様です。おかげさまで、現代ベトナム指導者の記事がだいぶ整備されてきましたね。本当に頭が下がる思いです。さて、議論へのお招き、ありがとうございます。お尋ねの件については当該ノート記事に愚見を記しておきましたのでご確認ください。宜しくお願い致します。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年9月15日 (水) 16:35 (UTC)[返信]
泉州大夫惟宗朝臣さん、こんばんは。こちらこそ、いつも助かっています。なにせ昔から作文の苦手な人間でして。こうしてベトナムに詳しい方がいらっしゃいますと心強いです。
ノートのご返事、ありがとうございました。やはりご相談して良かったです。
また坪井氏の本は、新書2冊『夜明け』と『模索』は入手したのですが、『現代政治』は見落としていました。あのセンセの文章は読み易く、けっこう好きなので、是非読んでみたいと思います。
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。--Ashtray 2010年9月16日 (木) 11:53 (UTC)[返信]

Fidel Castro[編集]

Dear user, instead of rollbacking a useful edit, could you please check what are you doing or even discuss? Thanks. --Lucas 2010年10月9日 (土) 12:59 (UTC)[返信]

申し訳ないですが、私は英語を苦手としていますので、英語での質問にはお答えしかねます。ここは日本語版のページですので、日本語で質問していただけないでしょうか。おそらく、フィデル・カストロの肖像写真を差し戻した件についてのお尋ねでしょうが、これは原本の写真を裏焼(左右逆転)したもので、到底使用しかねるものですので、差し戻した次第です。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年10月9日 (土) 16:11 (UTC)[返信]

Could you think that not every one in the world speak your language? I will try to translate with google translation and answer. Anyway you are really unkind and vandalistic... I'm really sorry about that. --Lucas 2010年10月10日 (日) 06:02 (UTC)[返信]
私はあなたのメッセージを訳してみました。翻訳がよくないと私は少し理解しています。これは、自動翻訳したものです。私が撮影した写真は、ほとんどのwikipediaの世界のすべてで使用されるものです。あなたが理由を説明することなくそれを削除するようなぜですか? E'の思いやりのない行為や破壊行為に近い...悲しいことを確認します。挨拶の種類。--Lucas 2010年10月10日 (日) 06:05 (UTC)[返信]
私は数年間の管理者だと十分にルールを知っている。あなたは再びそれを削除する前に改善して説明してもらえますか? --Lucas 2010年10月10日 (日) 06:05 (UTC)[返信]

理由の説明ですか?上記の通りですよ。あなたが撮影した写真は、本来のものを加工していますよね。その際、カストロの顔を切り取る時に、左右を反転させているでしょう?あなたは外国人で日本語を理解されていないでしょうが、日本語で写真とは「真実を写す」という意味があるのですよ。左右を逆転させているような写真のどこに真実があるというのですか?「私が撮影した写真は、ほとんどのwikipediaの世界のすべてで使用されるものです」と仰るが、それがどうしたというのですか?真実を写していない写真が「ほとんどのwikipediaの世界のすべてで使用される」ことのほうがおかしいではないですか!--泉州大夫惟宗朝臣 2010年10月10日 (日) 08:03 (UTC)[返信]

Template:Infobox:Officeholder について[編集]

泉州大夫惟宗朝臣(いまさらですが、何とお読みすれば良いのでしょうか?)さん、こんにちは。ラッツでございます。精力的な編集活動、お疲れ様です。以前、 Template:Infobox Officeholder の使用時に表示される日本語の問題についてあなたと議論しましたが、以下のようにすれば解決するのではないかと考えます。テンプレートを書き込み、国家元首(あるいは首相)を記入する際に 「blankname」 、その下に 「namedata」 という引数をそれぞれ挿入して 「=」 の右側にそれぞれの名前を書くと、その通りに表記されるようになります。温家宝を例に取りますと、

温家宝
Wen Jiabao
2009年、ダボス会議にて
第6代国務院総理
就任
2003年3月15日
国家主席胡錦濤
国務院副総理黄菊
呉儀
李克強
前任者朱鎔基

…という具合です。「だからどうした」と言われればそれまでですが、少なくとも表記には問題は無いと存じますが、いかがでしょうか。泉州大夫惟宗朝臣さんが、このテンプレートがどうしても気に入らない、使いたくない、とおっしゃるのであれば仕方がありませんが、レオニード・ブレジネフの英語版(→ en:Leonid Brezhnev )を見てみたところ、ブレジネフの基礎情報として、このテンプレートのすぐ下に、「Military Service」と、基礎情報も一緒に付加されています。このTemplate:Infobox Officeholderは、軍歴も一緒に表記できる便利な代物なのです。しかし、Template:政治家も、Template:大統領も、軍歴を一緒に記述できません。これは不便な状況ではないでしょうか? politician も、 prime minister も、 premier も、 president も、 chancellor も、general secretary も、いずれも「政治家」です。英語版、ロシア語、フランス語版をはじめ、Wikipediaの政治的権力を持った人物の記事では、同じテンプレートを用いて基礎情報を作っています。以前 プロジェクト‐ノート:政治#政治家の個別記事テンプレートについて にて、私が述べたことと重複しますが、はっきり申し上げて、 Template:政治家 と Template:大統領 は、( Template:Infobox Officeholder に比べて)基礎情報が少なすぎるのです。「信仰する宗教」や「埋葬地」といった項目すらありません。軍歴も一緒に記入することすらできません。「プロジェクト 政治」のノートページでも申し上げましたが、改めまして、「 Template:大統領 は要らない。そのうえで、 Template:政治家 の基礎情報を Template:Infobox officeholder 並に充実させるべきだ」と考えます。泉州大夫惟宗朝臣さんのお考えを、お聞かせ願えないでしょうか?--ラッツ 2010年11月4日 (木) 21:59 (UTC)[返信]

ラッツさん、こんにちは。ご無沙汰しております。お問い合わせの件について、思いつくまま回答させていただきます。

ウィキペディア日本語版において、編集活動に携わるユーザーは圧倒的に日本語話者が多いのは当然ですよね。ですので、テンプレ内の各項目の入力箇所は日本語であるほうが便利なのは間違いないでしょう。Template:Infobox officeholderの使用が推奨されずTemplate:政治家などが作られたのも首肯できる話です。Template:Infobox officeholderは説明書きで「英語版と完全互換仕様」とありますが、ウィキペディア日本語版の各テンプレが別に英語版と完全互換である必要はないでしょう。ということで、私はより編集に便利なTemplate:政治家Template:大統領を使用していきます。

また、Template:Infobox officeholderは私から見て項目が多すぎるのではないかと思います。特にTemplate:先代次代と情報が重複している部分は不要です。また、ラッツさんの仰る「宗教」や「埋葬地」も私個人はいらないと考えます。ある政治家が信仰する宗教がその人物の政治活動に大きく影響しているのならば、人物伝の本文に反映すればよいのではないでしょうか。「埋葬地」というのは今ひとつ重要性が感じられません。ウラジーミル・レーニンレーニン廟)や毛沢東毛主席紀念堂)などならともかく、多くの政治家が特筆すべき墓所・廟所に葬られているのでしょうか?特別な廟所があるのなら、人物伝本文に記せばよいでしょう。

結局、Template:Infobox officeholderは「英語版と完全互換仕様」であるが故に翻訳して記事を立ち上げた段階では使用されてもよいでしょうが、後の校正・編集でTemplate:政治家Template:大統領に変更されても仕方がないと私は考えています。

以上の観点から私はTemplate:Infobox Officeholderは使用しませんし、その使用が推奨されていない以上、各テンプレの使用法に則ってTemplate:政治家Template:大統領に変更していきます。

これについては、私も合併させるべきだと思います。文字のサイズやテンプレ全体のデザインはTemplate:大統領の方がよいと思いますので、Template:政治家の各項目をTemplate:大統領に反映させていき、そしてテンプレの名称をTemplate:政治家に変更すればよいと考えます。

  • 軍歴について

うーん、これは難しいですね。最も避けるべきは、ある人物の記事でTemplate:政治家があるうえにTemplate:Infobox 軍人まであるという状況ですね。これは不恰好ですよ。Template:政治家には「その他の職歴」というのがあって、コリン・パウエルのようにそこに軍事関係を記入するという手もありますが……。この件に関しては、Wikipedia:ウィキプロジェクト 政治だけでなくWikipedia:ウィキプロジェクト 軍事史の意見も聞く必要があるでしょう。

以上、徒然なるままに愚見を述べました。宜しくお願いします。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年11月9日 (火) 03:54 (UTC)[返信]

ラッツです。ご回答、ありがとうございます。埋葬地については、日本の政治家であればともかく、外国の政治家については、レーニン、スターリン、ジダーノフ、チャーチルといった、明らかにされている人物であれば付けても良い、ということです。ただ、基礎情報を一度に示せるのがテンプレートの良き点なのですから、テンプレートに組み込めるのは魅力的ではないかと。わざわざ本文に書く手間が省けます。 occupation(専門) という引数についても同様ですが、テンプレートに組み込んだうえで、本文内で補足すれば良いと思います。
宗教について。お言葉ですが、泉州大夫惟宗朝臣さんは宗教を甘く見過ぎています。アメリカのブッシュ(ジョージ・W・ブッシュ)やムスリムたちを見ればお分かりでしょう。2003年のイラク戦争で、イラクに侵攻する前のブッシュは「(神に)独裁者を倒せと言われた」と、宗教を政治に利用したではありませんか。アメリカやイギリス、ヨーロッパの白人たちは、生まれたときからキリスト教の洗礼を受けることが多いですし(家族が先祖代々からだと、なおさらです)、キリスト教の思想がその後の生き方にも人生にも深く関わってきます。そんな彼らが宗教を捨てるというのは、よほどのことなのです。リンカーン政権のスウォードは「日本や中国はキリスト教の国ではなく、彼らは自分たちを管理する能力も無い野蛮人であるから、我々が管理しなければならない」などと言って、第2次世界大戦の80年前から日本と戦うことを決めていました。「キリスト教徒でない者は人にあらず」と考えているわけです。その際は「神の名のもとに」です(ちなみに彼らは有色人種も「人間」とはみなしていません)。スターリンは共産主義者でしたが、幼い頃にキリスト教の神学教育を受けていますし、その後の彼の人生にも一応の影響は及ぼしています。
{{Infobox Officeholder}}を使いたくないという立場の泉州大夫惟宗朝臣さんと、使いたいという私のあいだでこれだけ意見が対立するほど、政治家のテンプレートについての問題は色々とあることが分かりますが、テンプレートの統一が達成されることは私も望みます。念のために申し上げますが、私は別に泉州大夫惟宗朝臣さんを非難しているわけではないのですよ。「こうしたほうがより良いものを作れるのでは」と、あくまで提案をしているのでございます。プロジェクト‐ノート:政治#政治家の個別記事テンプレートについて での議論が半ば停止状態にありますので、議論を呼びかけたいと思います。--ラッツ 2010年11月11日 (木) 04:15 (UTC)[返信]
そうですね。現行より便利なテンプレートを製作していくために、皆で建設的な議論ができればと思います。Template:政治家Template:大統領が作られたとき私はウィキペディアに参加していなかったので、このTemplate:政治家Template:大統領の作成に関係された方や、過去にプロジェクト‐ノート:政治#政治家の個別記事テンプレートについての議論に参加されたことのある方々からも意見をお聞きしたいですね。
では先般申し上げたとおり、私は編集活動において、テンプレートの趣旨に従い、首相・閣僚・国会議長・国会議員・党首・党役員などにはTemplate:政治家を、国家元首にはTemplate:大統領を使用していきますし、使用が推奨されていないTemplate:Infobox officeholderについては適宜変更をかけていきます。テンプレート自体についての議論はプロジェクト‐ノート:政治#政治家の個別記事テンプレートについてにて行いたいと思います。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年11月12日 (金) 08:26 (UTC)[返信]
ちょっとお待ち下さい。全然納得されていないじゃありませんか。最後のご意見だと、今まで私とあなたとでお話ししてきたことは全部水の泡ということになりますが。「使用が推奨されていない」かどうかではなく、「有益かどうか」ではないのですか?そもそも「使用が推奨されていない」って、誰がそう決めたのですか。{{Infobox officeholder}}の使用が推奨されないのなら、何のためにこのテンプレートがあるのですか。使用は「禁止」されてもいません。かといって私は、「禁止されていないから使い放題」とも考えてはいません。日本の政治家の記事でしたら、{{政治家}}で充分でしょう。「{{Infobox Officeholder}}を使用した者は投稿ブロックに処する」などといった規則でもできればともかく、そこまで厳格にはなっていません(そこまでして使用させないようにする必要性は無いでしょうし)。詳細な情報が書けるテンプレートを蔑ろにしてそれと比べて心細い内容のテンプレートを使う理由がどこにあるのですか?このままですと、スターリン、ブレジネフ、フランシスコ・フランコのような記事も、軍歴の基礎情報も何もないまま、(記述するなら){{Infobox 軍人}}(あるいは{{基礎情報 軍人}})も一緒に記載しないといけないという、あなたがおっしゃるように不格好な記事のままですよ。
テンプレートについて、妥協できない、あるいは妥協されるおつもりが無いのあれば、私を含めた他のユーザーとテンプレートを巡る不毛な編集合戦が今後も起こりかねないのですが、それでも構わない、衝突が起ころうと関係ない、自分の方針を貫く、ということですか?--ラッツ 2010年11月17日 (水) 19:02 (UTC)[返信]
テンプレについて妥協しないとは申しておりません。Template:政治家Template:大統領を合併した、有益な新テンプレートは作るべきだと申しているではありませんか。Template:Infobox officeholderについては、繰り返しになりますが、私は使いません。ただそれだけのことです。別にラッツさんがTemplate:Infobox officeholderを使用することを禁止しているわけではないです。そんな権限は私にはありませんから。
「このテンプレートは英語版と完全互換仕様になっている、大統領、首相、国会議員、裁判官などの記事に使われる基礎情報テンプレートです。(中略)このテンプレートは英語版記事の翻訳に使用するのが主な目的であるため、政治家記事の新規作成にはTemplate:政治家の使用も検討してください」とあるように、Template:Infobox officeholderの主目的は英語版記事の翻訳に使用することです。私は英語版の記事を翻訳するつもりなんかありませんから、このテンプレートを使用しません。それに、「政治家記事の新規作成にはTemplate:政治家の使用も検討してください」とあるので、もし英語版記事を翻訳する場合はTemplate:政治家(国家元首の場合はTemplate:大統領)を使用するでしょうね。再三申し上げていますが、日本語版ウィキペディアにおいては、入力項目が英語のTemplate:Infobox officeholderよりもTemplate:政治家Template:大統領の方が、誰もが簡単に使用できますので。
また、Template:Infobox officeholderは英語版記事を翻訳する際に使用されるということは、その後加筆されていく段階でTemplate:政治家Template:大統領に変更されても仕方がないでしょう。これは、他の方も指摘されていますが、Template:Infobox officeholderTemplate:先代次代とかぶる箇所があるなど、冗長な面があります。加筆・校正の段階で無駄なところは整理していくわけでしょう。また、テンプレートよりも記事本文の充実が優先されます。だから、その人物の情報として必要不可欠にして基本的・最小限な項目のみ挙げているTemplate:政治家Template:大統領に変更されても仕方がないと考えます。
ラッツさんは「{{Infobox officeholder}}の使用が推奨されないのなら、何のためにこのテンプレートがあるのですか」と仰いますが、これについては上述の通り、「英語版記事の翻訳に使用するため」と回答します。では逆にお聞きしますが、何故Template:政治家Template:大統領が存在しているのでしょうか?また、Template:政治家を日本の政治家に限定させようとするのですか?「鶏が先か、卵が先か」みたいな不毛な論争になりそうですが、この点についてラッツさんのお考えをお聞かせ願えませんか。
プロジェクト‐ノート:政治#政治家の個別記事テンプレートについてでも述べようと思っていましたが、私はテンプレートであれやこれやとその人物の情報を書き記すよりも記事本文の充実・わかりやすさに努めたいと思っています。当然ながら、記事本文が主でテンプレートは従の関係です。記事の読者がまずテンプレートに目をやるよりも、記事本文に目を通してもらいたい。ゆえに政治家のテンプレートの項目は必要最小限でよいと考えています。この点もふくめて、プロジェクト‐ノート:政治#政治家の個別記事テンプレートについてで議論されるべきでしょう。
最後に、ラッツさんは先般私に対して「テンプレートについて、妥協できない、あるいは妥協されるおつもりが無いのあれば、私を含めた他のユーザーとテンプレートを巡る不毛な編集合戦が今後も起こりかねないのですが、それでも構わない、衝突が起ころうと関係ない、自分の方針を貫く、ということですか?」と仰いました。私としてはどなたに対しても議論の門戸は開いているつもりです。まあ、言葉足らず故に誤解される場合は私の不徳のいたすところではありますが。ただ、ラッツさんの先般の仰りように対しては少々気分を害しました。--泉州大夫惟宗朝臣 2010年11月18日 (木) 03:26 (UTC)[返信]

お詫び(朝鮮労働党[編集]

おはようございます。ご無沙汰しております。意外なページでの再会に一瞬驚きましたが、北朝鮮関連にも精通されていらっしゃったのですね、すごいです。さて、ご指摘の「読者に不親切」という件ですが大変失礼いたしました。なんだか荒らしてしまったみたいで、不愉快な思いをさせてしまいまして申し訳ございませんでした。取り急ぎ、後ほど修正させていただきますね。もしもまだ気になる点がございましたらば修正いただければ幸いです。では、今後ともよろしくお願いします。--.9098 2011年2月26日 (土) 23:51 (UTC)

皇孫時代[編集]

日本で初めて皇孫と呼ばれた人物は、瓊瓊杵尊だ。以来、皇孫は瓊瓊杵尊の代名詞になっている。また、天皇の孫も字義通り皇孫と言うのだが、ひ孫以降の代の子孫も皇孫と称される。平将門は桓武天皇の玄孫だが、皇孫と称された。いまどきは天皇の娘の娘であっても、皇孫と称して差し支えあるまい。また、徳仁親王は今でも昭和天皇の孫であり、皇孫でなくなったわけではなく、皇孫時代という表記はおかしい。徳仁親王は天皇に即位する可能性が非常に高く、平将門や中丸薫などと同じ称号で呼びたくはない。何とか「東宮の一の宮」を表わす称号に書き換えてくれないかね。--大魔王シャザーン 2011年5月4日 (水) 13:35 (UTC)[返信]

初めまして。さて、お問い合わせの件については、まず皇太子徳仁親王の項目をご覧ください。親王殿下が皇太子になられる以前については「皇孫時代」と表記されています。靖国神社の件については、私の編集を変更する必要はないでしょう。それに「皇孫は瓊瓊杵尊の代名詞になっている」とありますが、それは本当ですか?私からすれば独自研究だと思いますが?平将門云々については、今回の編集とは余り関係ないので論評は差し控えます。もし、どうしても靖国の件で編集し直したいのであれば、「皇太子となる以前に参拝」などにしたらどうでしょうか。
末尾ながら、上記のあなたの仰り様(挨拶がない、「何とか『東宮の一の宮』を表わす称号に書き換えてくれないかね」などの表現)については、礼儀・丁寧さに欠け、また私に対し随分と上から物を言う印象を強く持ちました。はっきり申せば不愉快です。私と貴方は直に面識があるわけではなく、文字を介しての交流ですので、会話ページにおいては最低限の礼儀を守って頂きたいものです。--泉州大夫惟宗朝臣 2011年5月4日 (水) 14:47 (UTC)[返信]

これは失礼しました。申し遅れましたが、はじめてお目にかかります。どうぞよろしくお願いします。
さて、皇太孫という称号を誰が書いたか、わたしは知らないし、明らかに誤りなので、書き換えました。すると、間もなく惟宗氏が太を抜いた皇孫に書き換えました。どのくらいのタイムラグがあったのか知りませんが、わたしの編集に対する歩み寄りがあまり感じられず、皇太孫という言葉の印象を維持したいように感じました。だから、こちらが「天皇の最初の内孫の男子」などと妥協を見せた編集をしても意味がないと感じて、惟宗氏の利用者ページに押しかけました。
昭和天皇にしても、明仁天皇にしても、ウィキペディアの項目で、皇太子の長子であったとき、皇孫時代という表現はされていない。現在の天皇の孫である眞子内親王、佳子内親王、愛子内親王、悠仁親王たちにしても、皇孫と呼ばれたのを聞いた覚えはない。徳仁親王の項目の編集者は、日本語の感覚が、少し偏っているのだ。偏った項目に他の項目が合わせる必要はなかろう。
ともかく、つまらぬ編集合戦でサーバーに負担をかけたくなかった。確かに徳仁親王は、現天皇の孫から、現天皇の嫡男に立場が変わった。前者の時代を皇孫時代と呼んで、字義は間違っていない。しかし、わたしは文仁親王とも黒田清子とも、東久邇信彦とも鷹司尚武とも違うんだよ。生まれた時から違うんだよ。ということを表現したかった。残念ながら、わたしの交渉はただ惟宗氏の感情を逆なでしただけに終わった。これからは当該項目の編集とノートでの議論で対応する。お騒がせいたしました。今後ともよろしくお願いします。--大魔王シャザーン 2011年5月4日 (水) 23:28 (UTC)[返信]
靖国神社の編集はありがとうございました。わたしとしては文句はありません。ところで江沢民の「批判する者もいる」という記事ですが、田久保忠衛が言っているのなら、「田久保忠衛は~と批判している」と書けば、言葉を濁すことにはなりません。一人でも複数でも、批判しているものは全て主語にしてください。しかし、「批判する者もいる」では、無制限に大勢が批判している印象を与えるので、編集や削除の対象になります。わたしが江沢民を批判する記事を書くわけにもいかないので、彼に対して否定的な人が書いてください。--大魔王シャザーン 2011年5月5日 (木) 05:44 (UTC)[返信]

シャザーンさん、こんにちは。江沢民の件ですが、1998年の訪日の際の彼の振る舞いについて批判していたのは田久保氏だけではなかったですよ。いわゆる保守系の論壇(産経新聞の『正論』や文藝春秋の『諸君!』など)では大騒ぎになっていた記憶があります。ただ、手持ちの記事が、先般の私の編集の通り『週刊新潮』だけでして…。上記雑誌を調査して田久保氏以外の批判者を列記しても良いのですが、おそらく数名では終わりますまい。それだと文章が冗長になって私は逆に読みづらいと思います。現行の記事のように、具体例は脚注に委ねたほうが良いでしょう。それに「『批判する者もいる』では、無制限に大勢が批判している印象を与える」とは私は思いませんが。ならば、池上彰氏の著者から「どこに行っても日本を批判する。『江沢民主席は、日本に何をしに来たのか』という日本国内での反中ムードが広がりました」という部分(『そうだったのか!中国』集英社、2007年、14ページ)や、高村正彦元外務大臣の講演[1]から「日本での講演の中では、日本の過去について徹底的に糾弾する演説をした。宮中晩餐会においても、過去に触れた話をした。これにたいして日本国民は、大変無礼だと受け止めた。中国は嫌いだという嫌中感情が噴出した」という部分を引用しましょうか?これらの方が、当時の日本国民の感情をストレートに表していると思いますが。
シャザーンさんは「わたしが江沢民を批判する記事を書くわけにもいかない」と仰いますが、これは何故でしょう?私はできるだけ事実に合った、中立的な記事執筆を心がけていますが、返答しだいではあなたへの対応も考えなくてはいけないので、是非ご返答ください。--泉州大夫惟宗朝臣 2011年5月5日 (木) 08:16 (UTC)[返信]

日本国民のほとんど、あるいは過半数が非難した、というならそれでもよい。それが事実であれば、そのように書けば多くの人は誤解しない。「批判する者もいる」では、批判するものと批判しないもののどちらが多いのかわからないではないか。ウィキペディアはその発表が事実であるか事実でないかを議論する場所ではない。ある著名な専門の研究者が「これは事実だ」と信頼できる媒体に発表したものなら、そのまま書いてよい。ただし、池上と高村の主張は、晩さん会での中山服の着用が無礼だと述べているわけではない。
「わたしが江沢民を批判する記事を書くわけにもいかない」と言ったのは、わたしは江沢民の外交姿勢が礼を欠いているとは思わないし、むしろ過激な反日思想を制限していたと思うからだ。このことは、日本国民のコンセンサスではないし、惟宗氏に押し付けるつもりもない。無礼だと思っているものが書くのが筋だ、と言っているだけだ。--大魔王シャザーン 2011年5月5日 (木) 08:57 (UTC)[返信]

「『批判する者もいる』では、批判するものと批判しないもののどちらが多いのかわからない」とありますが、どちらが多いということをはっきりさせなくてはいけないことなのでしょうか?私はそうは考えません。江沢民を批判する者が多いか少ないかは、江沢民の記事を読んだ読者の判断に委ねれば良いではありませんか。多い少ないをはっきりさせるよりも、よほど中立的だと思いますが。なお、宮中晩餐会における江沢民の振る舞いへの批判は、グーグルで検索すれば色々出てきますよ。擁護派の意見は少ないようです。まあ、専門家のウェブサイトは少ないようで引用するわけにはいきませんが、一般人の意見としてご覧にになればいかがですか。
貴方のご意見を拝聴していると、どうも一定の政治的立場から江沢民を擁護したいようですね。他の編集を見ても、やはり一定の政治的立場にあるとしか思えないです。でも、それはWikipediaでは禁止されていることですよ。まあ、私の杞憂であれば良いと思いますが。--泉州大夫惟宗朝臣 2011年5月5日 (木) 09:35 (UTC)[返信]

わたしだけの責任ではないが、最近のわたしの江沢民の項目への編集を契機に、過剰な編集が起こっており、解決の糸口が見えない。君は故意に、わたしのナショナリズムに対する嫌悪感を引き出そうとしている。あまり熱くなってはまとまる話もまとまらなくなる。今後の議論は江沢民の項目のノートで、ニュートラルな人間を交えてすることにしよう。何かやり残した編集があったら、存分にしておきたまえ。当分わたしは手を出さないよ。--大魔王シャザーン 2011年5月5日 (木) 12:05 (UTC)[返信]