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利用者‐会話:相馬小次郎

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ご意見ページ[編集]

私は編集・投稿をする際には、その項目に対しての自らが所持している参考文献・映像資料等に基づいてしており、個人的見解等は書き込まないように心がけています。ただし文献等資料の一部に関しては、原文のままではわかり辛い・長すぎる等と思われるものは、読みやすいように要所のみに多少短縮したり等はしています。 それでも、多々至らない点もあろうと思いますので、その際はこちらにご意見ください。--相馬小次郎 2008年2月4日 (月) 09:18 (UTC)[返信]

梶原正昭・訳注 『将門記』 東洋文庫 、1975年・1976年、ISBN 458280280XISBN 4582802915 をお持ちだそうですが、これによれば、冒頭の欠落部分には「蓬左文庫蔵の『将門略記』」を充てることで問題無く、『今昔物語集』巻25はこの翻案だとしております。『今昔物語集』の冒頭部分から、「所領問題で将門が伯父等と対立した」という説も無いわけではありませんが、理詰めで考えれば無理があるということを指摘しているわけで、また「女論」についてもしかりです。勿論小説を書くためには勇ましい方が良いので様々な「俗説」があるのでしょうが、折角、梶原正昭・訳注 『将門記』を持っておられるのですから、よくお読みになられて、根拠の無い「俗説」を、正しい解釈に改める方向に努力された方が「前向き」だと思います。

なお「女論」についてですが、現代の日本語でも「女性問題」に不倫とか三角関係という意味があるわけではありません。「女論」と聞いただけで、「不倫とか三角関係に決まっている」と考えるのはそういう種類の人間であって、決して褒められた種類の人間ではないということも付記しておきます。--59.85.133.10 2009年6月6日 (土) 04:18 (UTC)[返信]


どうもご指摘ありがとうございます。「女論」がどうこうとか言うよりも、文献に掲載されている物をほぼ、そのまま掲載しております。いくつかの文献を読んで纏めるのはかまわないと思いますが、それらの文献を自分なりに解釈して編集する事はWikiでは禁止の筈ですので、出典できる著名人の文献に載っている説をそのままの解釈で載せる事はおかしくないと思います。その中で貴方がなさっている編集に文献に示される「説」が記載しているにもかかわらず、それを削除なさっているので編集させてもらいました。自分の読んだ事のない文献などの情報等により自分の編集を再編集される事は自分にとっても良い知識を得る事のできる事だと思っていますので、ご指摘の件につきましては再度読み直して理解を深めたいと思います。ただ、一部につきましては元に戻されるようお願いしたく、また「出典」の提示をしていただきたく思います。 こちらでわからない知識に関して編集などいたしますと元の編者に不快な思いをさせると思いますのでなるべくこちらではそのようにしないように気をつけておりますが、当方もまだまだ多々至らない事もあると思います。その辺を踏まえて当方では編集いたしませんので、そちら様で修正等をお願いいたします。--相馬小次郎 2009年6月8日 (月) 04:29 (UTC)

私の方はIP Userで、またIP Addressが変わってしまいますので、こちらに移させてもらいました。貴方の仰っていることは、概ねその通りで良いのでは無いかと思います。偉そうに言うのも何ですが貴方の編集態度はそれで良いはずですので、今後の益々のご活躍を期待しています。しかし、若干気になることもありますので、僭越ながらコメントを付けさせて貰います。IP UserですのでWikipediaの具体的なルール等には詳しくは無いのですが、基本は同じはずです。

「文献に掲載されている物をほぼ、そのまま掲載しております」とのことですが、「信頼に足る資料の情報を、自分の主張を付け加えることなく、書き込んでいる」という意味だと思われ、Wikipediaに限らず、こういったものはそうで無くてはならないはずです(但し、表現は自分自身のものでなくてはなりません)。しかし、ただそれだけですと対立した情報があった場合対処できず、雑草取りのようなものに終始するならともかく記事の発展にはつながらないので、「いくつかの文献を読んで纏めるのはかまわない」ということだろうと思われます。ですが纏める際も「自分の主張」ではなく、「客観的合理的な判断」で対立した情報の取捨選択をすべきはずです。これらのような一般的なことに加え、Wikipediaでは、取捨選択の際中立的な観点を特に大切にし、またいくつかの情報を組み合わせてそれまで知られていない新しい情報を生み出すことは、一般の研究ですと良いことなのですが、他の場で公表され評価されている情報のみの記載に留めるのがWikipediaのルールだ、ということだと思います。

Wikipediaに限らず、正しい情報を得るためには、自分の主張ではなく客観的な判断で対立した情報の取捨選択をすべきなのですが、人間というものは欲がありますので、これがそう簡単なことでは無いのです。厳格に自分の主張をしてはいけない、とすると誰も書き込む人が居なくなってしまいますので、それは無理というものなのかも知れません。

「女論」については、著名人の説だからといっても、信頼に足る情報とは限らない、ということを申しあげたかったのですが、まだ貴方には無理だったのかも知れません。

そういうことで、貴方がWikipediaを自己主張の場ではなく、自己研鑽の場だと捉えているのは、賢明なことだと思います。--59.85.157.50 2009年6月9日 (火) 03:45 (UTC)[返信]


追記

実際には、どうしても自己主張をしたいという人はおりますので、平将門に関連する記事にもどうかと思われる記述が多々見受けられます。それで私も図書館に行って、梶原正昭訳注『将門記』を調べてみたのですが、ところが1回や2回読んでみたところでは何のことかさっぱり判らないのです。最初の方だけなのですが何回か読みなおしているうちに、梶原正昭は全くといって良いほど自分の意見は出しておらず、様々な人の種々の意見を紹介し、そして自分の主張ではなく客観的な判断、合理的な判断で情報の取捨選択しているのに気が付き、やっといくらか意味がわかりました。梶原正昭の意図は、できるだけ正しく『将門記』を復元する、ということなのでしょう。

なお、これは私の個人的な感想なのですが、通常の研究者は誰しも欲はありますので必ず自分の説が正しいと力説します。ですがそれとは全然逆なようにも思われ、その態度が正しい結論を導き出し、そして多くの人の支持を得ているのでは無いでしょうか、まさしくWikipedia:中立的な観点を具現していると感じた次第です。

偉そうに書いてしまい、疲れてしまったのですが、平将門に興味がおありで、良い本をお持ちなのですから、そしてそう簡単には理解できないいわば奥が深い本のように思われますので、良くお読みになられることをお奨めします。Wikipediaの場だけでなく、ひょとすると人生一般とか、そういうようなことにも益するような気もします。

それから、ひょとして私も強引な編集をしてしまったのかも知れませんが、多分それは私が梶原正昭ほど偉くはないからだということでしょう。

まあ、何かのご参考ということで。--59.85.157.50 2009年6月9日 (火) 03:45 (UTC)[返信]