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利用者‐会話:郷土史

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歴史節の加筆について

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はじめまして。宝蘖一已と申します。いつも南砺市の歴史節に加筆していただきありがとうございます。

加筆に関して心掛けていただきたいことがありますので、恐れ入りますが何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。

それは、「歴史節において、1つの事項に関する種々の出来事を過剰に加筆するのは控える」ということです。 例えば、「城端サービスエリアに南砺市桜ヶ池農産物直売所オープン」や「城端サービスエリアに合掌造り風のヤギ小屋オープン」といったような出来事は、城端サービスエリアの記事(ページ)に加筆すべきであり、南砺市の歴史節に加筆するのは控えるということです。 Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるにありますように、ページの分量が肥大化するのを防ぐため、雑多な内容は上位概念の記事に転記すべき場合があります。

また、立野原についての詳細な記述も南砺市の歴史節に加筆するよりも、城端町に加筆するか、立野原という新たな記事を作成した上で詳細に加筆するほうが望ましいです。( Wikipedia:ページの分割と統合も併せてお読み下さい) 桜ヶ池クライミングセンターに関する出来事も、桜ヶ池 (南砺市)に加筆するか、桜ヶ池クライミングセンターという記事を作成した上で加筆したほうが良いのではないかと思います。(あくまでも私論です)

『文化庁長官表彰「文化芸術創造都市」を全国で13番目に受賞。古くから受け継がれている伝統文化と、新たな創造的な文化の共存が評価された』のような内容は他の記事に加筆しようがないので、南砺市の歴史節に書いて構わないと思います。

歴史節に何を加筆すべきかという明確な基準はありませんが、他の自治体の歴史節を見ると、その自治体が成立する以前の歴史(例: 江戸時代は〇〇として栄えた)や、その自治体に関する特に公的な出来事(例: 〇〇が世界遺産に登録された、市役所が〇〇に移転した)、その自治体に顕著な影響を与えた出来事(例: 〇〇豪雨により多大な被害を受けた)が書かれていることが多いようです。

《》で挙げたものはあくまでも例であり、これら以外のことを加筆することはもちろんできます。ただし節の肥大化防止の観点から、お手数ですが、南砺市の歴史節に加筆すべきか、他の記事に加筆すべきかを見極める心掛けをするようお願い申し上げます。

長文失礼しました。

--宝蘖一已会話2022年4月1日 (金) 08:11 (UTC)[返信]

ご教示いただきましてありがとうございました。現物としての歴史的遺産が他の自治体よりも南砺市が本当に多く、自治体として厚みがあるので、無闇な肥大化を避け要約することに本当に本当に頭を悩ませていました。私も私見で申し訳ありませんが、例えば近隣で言えば「●沢市」はかなり肥大化させていますが、結局観光資源を理解させる情報を記載して肥大化させてある印象でした。観光のみならず、南砺市に住むあるいは南砺市出身の若い世代達(後生達)が誇れる文化に少しでも気軽に興味が湧くあるいは気づくきっかけになればと思ってコツコツ記載させていただいた次第です。しかし、ご指摘のごとく肥大化させると良くないと思いますので、今後は肥大化させないように努めさせていただきます。--郷土史会話2022年4月2日 (土) 08:14 (UTC)[返信]


ご理解いただきありがとうございます。
まず、先のコメントでWikipedia:分割提案ノート:南砺市を介さずに郷土史さんに直接、ページの分割等を勧めたことをお詫び申し上げます。
再度私見になり恐縮ですが、南砺市のように平成の大合併で多数の市町村が合併して誕生した市の歴史は、「宍粟市のように新市のページに旧市町村別に分けて書く」か、「塩山市,勝沼町,大和村(以上、現甲州市)のように旧市町村各々のページに書く」のどちらかが良いと思われます。個人的には、南砺市は比較的多めの8町村が合併して誕生した市なので、旧町村ごとの歴史(主に南砺市誕生以前の歴史)は旧町村各々のページに加筆した方が良いのではないかと思います。
加筆する際には、ウィキペディアの方針とガイドラインを守るため、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:検証可能性なども今一度お読みいただけると幸いです。
私は、余力があれば、南砺市に関する記事の新規作成などを行い南砺市の分量を軽減したいと思います。
--宝蘖一已会話2022年4月2日 (土) 12:22 (UTC)[返信]
私見の解釈の程、大変勉強になります。方針やガイドライン等熟知しておりますし、そもそもガイドラインも抽象的な指示ですので、人によって解釈が異なりますね、新鮮です。おっしゃられている意味は当然わかります。
確かに、平成の大合併でやむなく合併したため、不幸にもこれまでの歴史等が探しづらく、見づらくなってしまっている自治体が多いと思います(まるで何も無かったかのように編集されていることがほとんどかもしれません)。世の中は私どものように、そも積極的に南砺市の事をさらには掘り起こしてまで検索しようとする方は少ないと思いますので、あんまり無味乾燥な唯の事実だけを羅列するような記載(市のHPで)になると魅力等が伝わらず、印象にも残らず読まれにくくなる思います。ですので、魅力が伝わる最低限と私が思うことは記載していこうと思います。
ここまで南砺市のwikipediaの分量に熱心な方がいらっしゃるとは驚きました、どういう思いで語られているかわかりませんが是非とも南砺市がお好きな方であると願っています。これからも頑張ってください。--郷土史会話2022年4月3日 (日) 05:39 (UTC)[返信]


私は南砺市に縁がある者として、かつて分量の少なかった南砺市のページに地理節(主に気候)や議会節、公共施設節等を新たに設けたり大幅に加筆した経験があるので、私の意見がダブルスタンダードになっていたのを深く自省しております。
実は私も南砺市の歴史節に、主に近代以前の南砺地方の歴史を加筆しようとしたことがあるのですが、どの程度書けば良いのか悩み加筆を躊躇していました。郷土史さんは南砺地方の歴史にお詳しいようなので、歴史節は郷土史さんにお任せしたいと思います。他節の加筆も極端に肥大化しない程度(といっても適切な分量はわかりかねますが)で宜しくお願いします。
私はジャンルを問わず、あるページに加筆する際は同種のページに倣って加筆するなど、方針とガイドラインの遵守を心がけているつもりでしたが、もう少し他の編集者の意見も聴くべきでした。管理者やベテラン編集者でもない私が、独りよがりで幾分高圧的な提言をしてしまったことを重ねてお詫び申し上げます。
--宝蘖一已会話2022年4月3日 (日) 07:57 (UTC)[返信]