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歴史上の遣隋使・遣唐使の航路について[編集]

こんにちは。宗像大社が田島神社の分社という話には私はこだわっていません。そういう話もありますということを引用元を提示して書いておりました。これにつきましては削除後も他の方がアップされ続けていまして私も閉口している状態です。元々、田島神社では田島三神と申しまして、宗像神社の分社ではなく、北部九州土着の時代からの神様ということになっています。御存知とは思いますが各神社の社伝は史料とは言えません。それを承知で社伝ベースで比較申し上げると宗像大社が現在の地(田島)にいらっしゃった年の半世紀弱ほど前に田島神社は朝廷より「田島大明神」の神號をいただいたという話になっております。とりあえずそれだけ申し上げて、どう考えられるかはおまかせします。どちらにしても北部九州沿岸の交通は磐井の乱以前の住吉神社(象徴)と志賀海神社(実務)の役割に代わって宗像大社(象徴)と田島神社(実務)となり、田島神社が宗像神社をサポートする形で遣隋使・遣唐使派遣に尽力したに違いないことは国史の神階に見て取れます。それはそれとして、遣隋使・遣唐使が沖ノ島経由で実際に航海したという話は私の知る限りでは関係書籍に全く出てこない上に、『平成25年「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告Ⅲ抜刷 古代宗像氏の氏族的展開(篠川賢)』の中でも否定されています。沖ノ島はあくまでも祭祀場であり、現実は博多に必ず寄らなければならなかった航路であったことは疑う人のいない話です。 荒唐無稽に見える文言ですので、せっかくの宗像大社の品格さえ失いかねない一言ということで削除させていただきました。--3gods会話2023年8月7日 (月) 07:05 (UTC)[返信]