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利用者‐会話:124.24.209.126

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ご忠告を拝読いたしました。 まず、全くノートなどに反論などを書いたりせず、いきなり削除するという行動をするというのはウィキペディアに限らず荒らし行為です。私の書いたことが複数の史料に基づき書かれた白川亨さんの著作によることは、ずっと前から複数の箇所に書いてあるので、各項目のノートなどでご確認ください(ノートの書き込みすら削除されたものもあるようですが、本文以外まで差し戻すのはあまりに項目が多いのでそっちは放置しています。削除する方は私の書き込みを全否定するがごとくほとんどすべての項目をやっているようなので、全部消されなければ、そのことは伝わると思ったので)。 私は「石田三成」のノートなどの複数の場所、さらに削除を行った人へのメッセージで「異論や反論があるなら、(合意を形成するために)いくらでも議論をしましょう」と呼びかけていますが、一向に荒らし行為をやめないのです。すでに数回の削除と差し戻しが行われ、それでも何の返事もありません。これでは議論ができない、しようとしない、有効な反論を持っていないと判断せざるを得ないために、保護ということになったのではありませんか? 私は通説になんでも異論を唱えようとは思っておりません。しかし、広まっている俗説がいまだにまかりとおる現状には深い危惧を抱いています。いわゆる通説は江戸時代の徳川家の御用学者が徳川方の自己正当化に基づいて書いたり、その政権下で編纂されたがゆえに堂々と真実を書けない(徳川家や家康に批判的なことは書けない)状況で唱えられているものや「大日本史」や明治政府の下で皇国史観に基づいているものがほとんどで、それを歴史の研究が未熟だった頃に形成されたものが多いのです。事実、戦国時代の通説だけでも、かなりの数が覆されています。 例 1、北条早雲(伊勢宗瑞)は素浪人から伊豆、相模を切り取った下克上の代表と言われていたが、実際は室町幕府の側近で幕府の政権構想と連動した軍事行動の中で徐々に独立していったものである。また生年も24年下回っていたことが認められている(家永遵嗣氏、黒田基樹氏らの研究)   2、斉藤道三は油売りの商人から美濃一国を奪ったとされているが、商人から重臣に成り上がったのは彼の父であり、道三自身は重臣の子という出である。 (横山住雄氏らの研究)   3、桶狭間の戦いは迂回による奇襲ではなく、正面攻撃によるものである。(藤本正行氏らの研究)   4、長篠の戦いで信長が三千丁の鉄砲による一斉射撃をして武田軍を破ったというのは、音(号令が届かない)、戦場の広さ(千人規模で横に並ぶことができない)から見てあり得ない。(鈴木真哉氏らの研究) 改めて申し上げますが、この20年ほどの間に日本史の研究はかなり進んでいて、どの時代においても通説は覆されていることが多いですし、それ以前の時代の著作が現在でも認められているとは限りません。むろん、すべての研究が新たな通説として浸透されているものでもないし、すべての人に認められているものはむしろ稀です。ただ、歴史的事実を指摘することによって明らかにおかしい通説の誤りを正すことは、決して間違った行動だとは思いません。ここで通説を覆そうと思っているわけではなく、ウィキペディアを見る人の大半が専門的な知識を持っていないだけに、誤った通説を鵜呑みにしてもらいたくないだけです。実際、私は上記の例が歴史学会などでは認められているにもかかわらず、相変わらずドラマやNHKのドキュメンタリーなどでは通説に基づく演出がされていることや、司馬遼太郎氏や山岡荘八氏の小説が国民的常識になってしまっていることに強い不満があります。 石田三成だけでなく、伊東甲子太郎も田沼意次も真田昌幸も明智光秀も江藤新平も、皆敗者となったがために勝者側が作った歴史において不当な評価をされている人たちです。何度でも言いますが、私一人がそう思っているわけでもなく、私自身の説を書いているわけでもありません。ただ、専門家が認めている、また提唱していることを紹介することにより、通説を鵜呑みにしてもらいたくないのです。また、特に否定する材料がない通説にまで異を唱える気は全くありません。 論考とおっしゃるのは通説を否定する根拠を書いただけの話で、全く当てはまりません。むしろぶっきらぼうに説明不足な形で否定する方がよっぽど独善的ではないかと思われたので書いただけです。私の書き込みを全く否定する理由の指摘もなしに黙って削除する方がよっぽど独善的ではありませんか。--歴史研究家 2007年2月15日 (木) 00:50 (UTC) 長くなりすぎたのでいったん途中でアップしましたが、私の書き方(節として区別しなかったことなど)については私の側にも反省するところがあると思います。ですから、そういう編集でしたら特に反対はしません。あくまでも保護を依頼したのはすべて削除するという荒らし行為に対してのものです。また、私は何度も議論をして合意を形成しようという態度を貫いており、決して独善的な態度ではおりません。最後に、ご忠告に心より感謝いたします。--歴史研究家 2007年2月15日 (木) 02:02 (UTC)[返信]