コンテンツにスキップ

利用者‐会話:2400:4150:87A2:1E00:F4B5:7A38:D645:B938

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

体験談加筆の中止のお願い

[編集]

こんにちは、2400:4150:87A2:1E00:F4B5:7A38:D645:B938さん。2400:4150:87A2:1E00:F4B5:7A38:D645:B938さんは記事を加筆する際に、個人的な経験による体験談を加筆追記することを繰り返されておられるようです(今年に入ってからだと、西谷祥子忠津陽子水野英子一条さゆり村西とおるなどです)。しかし、そのような行いはウィキペディアでは推奨されておりません。

詳しくはウィキペディア日本語版の公式方針に含まれる

をお読みになり、理由をご理解下さい。

また、理由をご理解いただけましたら、今後の加筆の際には加筆内容の信頼性を上げるために、加筆と同時に出典を明記することを心がけていただけますと助かります(Wikipedia:出典を明記する)。

加筆時に出典を追加することは、2400:4150:87A2:1E00:F4B5:7A38:D645:B938さんが記事の信頼性を向上させるということになり、ウィキペディアへの貢献に直接的に繋がります。

お願いとなりますが、以上のこと、よろしくお願いします。

2400:4150:87A2:1E00:F4B5:7A38:D645:B938さんの今後の編集活動が楽しくありますように。--小石川人晃会話2023年11月11日 (土) 14:38 (UTC)[返信]

IPユーザーを名前付きに扱っていただいてありがとうございます。
その基準を知らないわけではないし、自分の記憶違いの経験も自覚していますが、書かないでいるとまずいと思われることについては、しかたありません。バランス感覚なので行き過ぎもあるかもしれません。
出典明記は検証可能性にとって必要なことですが、検証可能性は「評判のいい研究者」によるデータであるはずで、宣伝的な立場による不用意な文章もよく見かけます。まともな研究・証言集などがない分野はしようがないでしょうが、何かの本の著者が不注意に書いた一文を出典にすると、反論したい人が書き込みにくくなる。「出典」とだけこだわりすぎると、そんなことが起きます。
私としてはバランス上放置したくないこともあります。反論があれば書き込まれればいいと思っています。反論がふさがれる状態は、誰のせいともなしにブレーキがきかなくてかえって危険、と。制度一般にいえることですが。
また、出典を確認しつつも、書けないことがあります。ヤフオク!の出品写真や古本屋のリストから古い雑誌の収録作品を確認しても、すぐ消えるからウィキペディアの出典根拠にアップできないでしょう。忠津陽子がこれにあたります。
一条さゆりは単純な計算の指摘です。村西とおるで書いた修正文は、修正前が根拠がなく比喩的表現に見えるし、私が書いたのは用語を検索すればすぐ確認できるでしょう。つまりすぐ検証可能だから出典は不用と思いました。
水野英子は、文字だけでは絵柄が見えないから書きました。確かに他の人がどこかで書いてるかどうかは知らないけど、そういう本には絵の見本があるから書く必要が無いのです。ウィキの記事に絵柄の写真があれば書く必要も少ないでしょうが、無い以上は書くべきと思いました。
出典への注意は承りました。「体験談加筆の中止」と言い切る題名には不満ですが。