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利用者‐会話:61.115.233.16

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こんにちは。記事からテキストを除去するのはやめてください。こうした編集は荒らし投稿とみなされます。もしテスト投稿がしたければ、テスト専用ページWikipedia:サンドボックスの使用をおすすめします。

あなたのウィキペディアでの活動が充実したものでありますように。--Tietew 2005年10月6日 (木) 08:42 (UTC)[返信]

オートバイに関する議論について

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IPユーザさんですので確実に読んでもらえるかどうかわからないのですが、「ノート:オートバイ」における以下の問答につきまして、私見を述べておきます。

  • 2005年10月6日 (木) 16:57 Nekosuki600 M (Reverted edit of 61.115.233.17, changed back to last version - 履歴残ってますし、対話の削除はやめてくださいな(ためいき)。)
  • 2005年10月6日 (木) 17:16 61.115.233.16 (ここは2ちゃんねるじゃありません。納得のいかない事柄を削除するのは書いた者の権利です。)

議論など複数の者が関与するものにつきましては、書いた者に、その一部を、(自分の発言部分だからといって)独断で撤回する権利なんてありません。

対談・議論など、複数の当事者が参加して一体の著作物が構成される場合、その著作物は「共同著作物」となり、その著作物は「共有著作権」のもとに置かれます。共有著作権は、行使に際して全員の合意を必要とします(行使には撤回も含まれます)。つまり、参加者のひとりひとりが独断で自分の寄与部分を撤回することはできない、ということです。それを許した場合、「議論の結果、劣勢に立たされた者が、自分の寄与分を一方的に撤回することによって議論を無化する『ちゃぶ台返しの技』を使える」ことになってしまいます。それを封じる著作権法の規定は、著作権法の64条と65条にあります。

今回のケースについて、「IP=61.115.233.16」さん、あるいは「IP=61.115.233.17」さんに、たとえば書き込んだIPが会社のものでありバレたらまずいというような事情があっての撤回であるならば、丁寧にご相談いただけたならば、おれに関しては関係発言も含めてまとめて削除するということについても検討の余地があったと考えます。しかし、単に喧嘩腰で議論に臨み、自分の意見が通らなかったことを理由としてちゃぶ台返しの術を使おうとしているようにしか見えませんし、そういった事情での撤回には共同著作権者として同意するわけにはまいりません。Wikipediaで求められる「ノートでの議論参加には署名を添えること」といったルールを無視なさっていることについても好感が持てませんし、自分の発言を削除することによって行われた議論が意味不明なものになることをどう避けるかといった共同作業者としては当然に必要な心遣いがないことについても、強く遺憾に思います。

なお、Wikipediaのシステムは、改変履歴を全て残しておりますので、単に表面上削除しても、削除された文面はいつでも誰でも見ることができます。それだけではなく、どういうタイミングで誰が削除したのかもわかります。ですから、劣勢に終わった議論から自発言を削除するというのは「なかったことにする」ための役には立ちませんし、どちらかというとみっともない痕跡を増やすだけに終わってしまいます。

  *

わたしは長年オートバイに乗ってきており、重傷を負ったこともありますので、あなたの「安全性」に関する熱意には敬意を表します。しかしながら、それをどういう場でどのように伝えればわかってもらえるのかといった、いわば説得術のようなものが、一筋縄ではいかないむずかしいものであるということもまた、熟知しております。ライダー仲間で重傷を負ったやつや死んだやつは何人もいますが、同じバイク屋に出入りしている常連仲間についてすら、事故の再発を止めることはできていないのです。若くてへたくそなやつに説教をしても、うざがられて終わりなんてことも珍しくありませんね(まあ、どうせ他人の人生ですし、あまりしつこく説教しようとも思いませんが)。

こういうことは単に熱意があればどうにかなるような問題ではないと思います。また、事故の回避策も、経験値をはじめとするさまざまな要素に左右されるものであり、簡単にまとめられるようなものではないでしょう。ぼくはあなたの熱意は認めますが、今回のやり方が効果的なものだとは思いません。それに、今回の議論でみられたような「ぱーっと怒る」というようなあり方が、一番ライダーにとっては危ない心の動き方ではないのだろうかとも思いました。

ま、最近Wikipediaをお知りになったのだとしたら、あまりいい出会いではなかったかもしれません。しかし、「熱意をどう生かすかといった老獪な知恵」を伴うのであれば、熱意というのはいいものです。まあこれに懲りず、もうちょっと落ち着いて、「Wikipediaとどうつきあうか」を考えてみてはいかがでしょうか。

誰だったかライダーが書いたものに、「速く走ることと遠くまで走ることとどちらかを選べと言われたら、迷わず、後者を選ぶ」という言葉がありました。バイクもWikipediaも、そういうものではないかと思います。もしかしたら人生というやつが、そもそもそんなものなのかもしれません。

--Nekosuki600 2005年10月6日 (木) 18:35 (UTC)[返信]