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利用者‐会話:61.210.25.210

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越後長岡藩/職制/江戸組のご質問に付いて

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61.210.25.210さん、はじめまして。越後長岡藩/職制でご質問を受けた218.227.59.123です。京都所司代における、職制が別個に存在するのではないかとの御指摘は私もその様に思われましたので、とりあえず手元資料を調べましたところ 長岡郷土史第42号所収「所司代就任期の長岡藩家臣団、-京詰めの藩士を中心に-」(東谷 智著・2005年)の所論が確認できました。 これに依れば、長岡藩は京都所司代に牧野忠精・忠雅・忠恭の各代で就任実績があり、その都度に京詰め家臣団を編成していた事実が指摘されます。そして、おっしゃるとおり、家老・用人・公用人・取次・御所使などの職制が有ったことも知れます。しかし、同時に同論文は長岡藩においては京詰めの家臣は江戸組や国元から臨時的に出向させたものとされ、家老以下の役職は江戸・国元の職を兼帯したままのようです。そして、これは常設の機関でないため、例えば京詰め家老は2~3名いたが、本来家老職の資格でない、用人や奉行が兼帯することがあるなど必要に応じた登用人事であったようです。 よって、京詰め終了後は本来の分限に応じた地位に戻ったようです。更に同論文では各職の藩士の表示石高はとくに知行・役高の注記が無く、知行高で論じておられるようです。各職の平均石高の推移でたとえば家老と家老の嫡子の石高の相違を無視して京都詰め家老の平均石高を算出するなど疑問の点もありました。

また、河井継之助は文久3年(1861)1月上京し公用人として京詰めに加わったとされるが、東谷氏の同論文では文久3年当時の京詰め藩士の一覧に河井継之助の名は存在していません。私の「河井の公用人・150石役と推定」の記述は、「定本・河井継之助」(安藤英男著、1977年 白河書院刊)の「物(者)頭格・御用人勤向で公用人兼帯として、江戸詰めを命ぜられた」の記述から、者頭の役高が宝暦の制で150石高と定められているので推定と書いたのです。京都武鑑などによる確認ではないため(残念ながら私の手元にない)あくまで推定とした筈ですが、その後別の方が編集され、断定的表現になったようです。(下記)

2006年9月21日 (木) 18:54の版 (編集)218.227.59.123 「河井の適用例から公用人の役高は定府用人(200石役)より低い、者頭格・150石役と推定される。」

→2006年9月22日 (金) 15:29の版 (編集)219.120.30.142 「河井は、150石が適用されていたので、はじめは添役級の公用人であったと推定される。」

尤も、編集された方は各武鑑を確認されているようなので150石役に確信が有るのかも知れませんが。 なお、念のためこの150石は役高であり、知行高ではありません。河井継之助は文久2年(1862)の御家中総名順で(知行)120石が確認されます。

臨時の職制である京都詰め家臣の役職をこのページに掲載するかどうか、本藩の職制・軍制も完成していないので私には保留とさせて下さい。他にやっていただける方が有れば別ですが、現状資料不足もあるので。河井継之助の公用人・150石役云々も彼の京都詰めの事実確認ができず、勇み足であったと思いますので一旦取り下げを検討しますが、どうでしょうか。218.227.59.123 2006年9月23日 (土) 08:46 (UTC)[返信]


  • 新潟県長岡市は、郷土史の研究に盛んな都市です。一度、長岡市立中央図書館のホームページをご覧下さい。各種検索サイトから、長岡市立中央図書館と検索すればすぐに見つかります。その中に文書資料室というコーナー(トップページの左下)がありますから、そこをクリックすると、長岡市が郷土の史料を出版していることがわかります。これらを全て読破すれば一応の知識はできると思いますが、簡単な説明はついていますが、歴史の門外漢であると云う方には、少々難解で、骨の折れる作業になると思います。また量的にも膨大です。これを仮に中級編と呼びます。
  • 中級編以上となると、東京大学史料編纂所蔵史料、京都大学文学部所蔵図書(史料)、国立公文書館の文書から長岡藩関係の史料を検索して、分析します。これらは、いずれも生の古文書・文献ですから草書体や旧字の文字を読めないと、お話しにならないことがあります。また国立公文書館は、誰でも利用できますが、東大・京大の史料の利用は、部外者は許可制で、特に素人が閲覧しようとすると、理由を細かく尋ねられて、閲覧許可が出るまでかなりの日数を要することがあります。玄人の場合は、所属長や大学図書館長等の紹介状を持参すると、運がよければ直ちに許可が出ます。長岡市立中央図書館には、価値としては玉石混合ですが、活字本化されていない史料がまだ山のようにありますから、これも大いに参考にはなります。また個人所有の文献であっても、大学院の紀要(研究論文)や、書籍に引用があれば、頼んで見せて頂いたりします。これらを仮に上級編と呼びます。
  • 初級編としては、新人物往来社の物語藩史がよくまとまっています。また長岡市立中央図書館長であった稲川氏が著述した一般向け書籍があります。

                                      --鉄三郎 2006年9月24日 (日) 07:07 (UTC)[返信]