コンテンツにスキップ

利用者‐会話:61.213.51.220

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

教えてください[編集]

こんにちは。郭援などで見る投稿内容、頭の下がる思いです。

さて、鍾ヨウについてなのですが、荀イクが彼の弟子だったというのは、何を参考にされましたか。個人的にもちょっと興味のあるところで、教えていただけると幸いです。Aboshi 2006年5月1日 (月) 12:32 (UTC)[返信]


こんにちは

正史によると、、鍾繇荀彧の年長の従子に当たる荀攸と親友関係にあったと記されています。参考までとはいきませんが、鍾繇(151年生)と荀攸(157年生)はお互いに年も近いし、同時に同郷で名門出ですし。そういった縁で、荀攸の年少の従父である荀彧(163年生)が既に学者としての名士だった鍾繇に師事するのはあり得たと思われます。同時に荀彧が鍾繇のかつての部下であり、鍾繇がその荀彧の推挙で曹操に仕官したというのは初耳でした。また、演義では、鍾繇が鍾進という弟がいるというのも知ってます。正史では別の名でしょうが…

ありがとうございます。そうですね、鍾ヨウと荀攸の親交は『三国志』魏書中に掲載されています。ただし、荀彧が鍾ヨウの弟子であったということについては想像の範囲内であったということですね。
今後歴史関係の記事については、史書・先行研究に記述のある事項のみ書き込まれるようお願いいたします。ちょっとこうるさい言い方で申し訳ないのですが、不確定なものは掲載しない(または史書・先行研究のソースを添付する)のが「歴史を記述する際」のルールです。お気をつけください。また、今までの投稿でそういうことをされたのであれば、訂正をよろしくお願いします。Aboshi 2006年5月4日 (木) 23:41 (UTC)[返信]

初めまして、らりたと申します。それでいきなりで失礼なのですが、61.213.51.220さんが中山国で書かれたがトュルク系であるというのはどなたが唱えている説であるのかお教え願えないでしょうか。私は初めて聞いたのですが。らりた 2006年5月11日 (木) 14:43 (UTC)[返信]