利用者‐会話:Ariesmarine/Einstige Diskussionen (bis 20. Dezember 2007)
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お礼
- 森林科学科の加筆ありがとうございました。--草苺 2007年8月28日 (火) 02:04 (UTC)
- 加筆といえるほどたいしたものではありませんので、お礼を頂きますと恐縮してしまいます。--Ariesmarine 2007年8月28日 (火) 02:15 (UTC)
すみません!m(_ _)m
Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票の件ですが、こちらの言葉足らずですみません。主語を書かなかったためにご心配をおかけしました。お詫び申し上げます。Siyajkak 2007年12月13日 (木) 03:40 (UTC)
- 私も邪推かもしれないと感じていたところがあったので、あまりお気になさらないで下さい。--Ariesmarine 2007年12月13日 (木) 03:44 (UTC)
了解いたしました。削除いたしました。---Siyajkak 2007年12月17日 (月) 11:26 (UTC)
- 不本意な文章のままで投票にかけられているということは理解できるのですが、昨日の時点で加筆・修正が求められていない以上は、あの時点で投票に堪えうる案だったということでご寛容下さい。--Ariesmarine 2007年12月17日 (月) 11:54 (UTC)
こんにちは
どうもKanbunです。場所を移させていただきました。おじゃまします。
最初に少しだけ苦言を。ちょっとAriesmarineさんの発言には、他人の発言に対して、有害無益だから出て行けとか無意味だから消すとか攻撃的な言葉が多いように思います。はっきり言ってしまえば、誰も有害無益だと思ったり無意味だと思って発言しているわけではありません。その点、もちろん議論を空回りされているとか、相手の論点が考慮するに値せず無意味だという指摘をするのはよいことだと思うんですが、それを出て行け、黙れという言葉と結びつけるのはやはりよくないと思います。相手の意見を「ご自分の世界の論理」と断じるのは私は論外だと考えています(←こじれるもと)。以上挨拶まで。
さて、Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票での私の意見に何かありますでしょうか。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 04:51 (UTC)
- 確かに発言にとげとげしさがあったと思います。不快に感じられる点があったとは分かっていました。その点は私に非があります。ですが明らかに本論から逸れているからそのように申し上げていたのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 04:57 (UTC)
- その本論というのがくせ者です。議論の本筋というのは誰もがここは通したい、こうしたいという部分がありまして、全体から見て本筋から外れていると思われるようなことでも、その人の意見の核心部分を論じている場合もあります。議論の本筋というのは人それぞれ捉え方があるということです。しかし、今回の件は緊急案件でもあり、私は元々自分の我を通そうと思って議論に参加したわけではなく、早急に対処をしてほしいという気持ちで言ったので、一方でAriesmarineさんの言い分にはしっかり納得しております。ただ、ああいう場合はもう少し言葉を選ぶとか、議論の本筋から外れたところで問題点を洗い出させるという方が今後のためにも有効かと思います。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 05:02 (UTC)
- 本論というのは明らかに解決に向けた建設的な発言のことを指すはずで、投票の段階に至ったからそれ以上の論争は不要だ、と申し上げていたのです。いずれにせよ私の言葉の選択に至らない点があったことは申し訳ないと思っています。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 05:07 (UTC)
- いやいや、その「解決に向けた建設的な発言」っていうのはそれぞれ異なると思いますよ。「投票の段階に至ったからそれ以上の論争は不要だ」というのは、「今回」の対処についての論争は不要になりましたが、「今後」の対処についての論争は必要です。いずれにしろ今後についてはまた議論を尽くさねばならないのですから、投票を機に、議論を中断させることが正しいとは思えません。もちろんAriesmarineさんの考えることもわかるのですが。投票と並行して論点を洗い出しておけば、それだけ今後の議論も楽になる面もありましょう。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 05:14 (UTC)
- 議論に対する取り組み方を本論にしてしまうのは違うのではないですか?あのやり取りは事態の解決という本来の目的のための手段になっていましたか?今後の運営のことを検討しているようにはとても思えません。手段が違うから論争されていたようにしか見えませんでした。手段の違いを論じるのは大いに結構なのですが、あのような応酬が必要だったかは疑問です。ですから別の場所に移ってほしいとお願いしたのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 05:45 (UTC)
- 対処案件についてはどう対処するかの手段が本論なのではないですか。「あのような応酬が必要だったかは疑問です。」という点に対しては、むしろ本件に対して、なぜ高度な原理論にまで及んで議論をする必要があるのか、私にはその点が本質的にAriesmarineさんと考えを異にしていた、という点だけ指摘しておきます。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 05:49 (UTC)
(インデント戻します)結局今回の議論の本質が「ルールを厳格に運用するべきか」、「善意の投票を保護するべきか」というものだったからです。仮に何らかの妥協案を採るにしても、この両者の関係からどのように説明するのか、ということが議論の流れとして求められていったからです。それは私が議論を提起したときに申し上げたことでもありますが、私が申し上げていなくともこの流れは不可避だったと思います。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 05:58 (UTC)
- それはあくまで対処をルールから説明する際に求められることで、今回の件をルール外としてしまえば、両者の関係をそれほど考慮せずに妥協可能なことは私が示しました。それを本論に反するというのは非常に遺憾です。「ルールを厳格に運用するべきか」、「善意の投票を保護するべきか」のどちらが正当かという議論設定がそもそもからして解決可能ではない内容ではないかというのは申し上げました。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 06:02 (UTC)
- ですからその妥協可能なものを示されたこと自体に批判はしていないのです。いやいやながら、不本意だ、というところに言及していく必要はあったのか?対応が遅すぎた、ということまで言及する必要があったのか?ということを申し上げているのです。そういう次元の論争は明らかに本論から逸れており、議論において有害無益だから両者に対して別のところでやって欲しいとお願いしたのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 07:07 (UTC)
- >いやいやながら、不本意だ、というところに言及していく必要はあったのか?
- 対処の際に結果を責任を持たねばならないという前提からすれば、「いやいや」妥協するという人がいることは結果に対して十分な責任を果たせぬことになります。そうであれば、責任が持てる少数者で今度のことに一致して対処する方が理解も得られると考えました。もちろんこんなことに言及しなくて済むなら、それがよいという考えには賛同します。
- >対応が遅すぎた、ということまで言及する必要があったのか?
- これは明らかに対応が遅い状況に言及する必要がありました。もちろん議論を尽くしている人には不愉快な言であることは百も承知です。しかしながら、はっきり言えばこれが私が今回の件に関わろうと思った理由なので、その立場は明確にしておくべきと思いました。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 07:14 (UTC)
- 確かに「不愉快な言」だったんですよ。あれだけはどうしても許せなかったのです。確かに対処が遅かったのは批判を受けて当然なのですが、ならばなぜ初めて議論の場にこられたときに、こういう風にまとめてみてはどうか、こういう形で投票を実施してみてはどうだろう、というご提案をいただけなかったのかというところに疑念を感じました。ボランタリーをおっしゃっていても、行動が伴わなければ不信感を抱かざるを得ません。リファクタリングをしていただいた時点で何をしていくのかが示されていたのにもかかわらず、いきなりやってきてそれをひっくり返され、結局何をされたかったのか、何をおっしゃって議論の進展に貢献されたかったのか分からなかったのです。それがたまっていったということもあって、強引な言い方ではありますが(今となっては申し訳ないと思いますけれども)、ああいう形で止めさせていただいたのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 07:33 (UTC)
- それはわかります。ただ同様にやはり私は対処を優先すべきと考える身で、それまでの議論を継続するより対処が先だという観点での参加でしたので、不愉快に思われるなとは思いつつ、「不謹慎ながら」と述べさせていただいた次第です。またそもそも今回の件が今後と関係しないという観点をはじめに明確にしておかないと、全ての結果案を十分に考慮して決着することができないとも判断しましたので、まずはその点を指摘させて頂いたわけです。結果的に議論を180°ひっくり返してしまいましたが、私としてはそうする必要があるのだとも考えていたところです。別のやり方がなかったとは言いませんので、その点についてはWikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票で謝罪したとおりです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 07:41 (UTC)
ログ
Wikipedia‐ノート:月間新記事賞/投票の2007年12月20日 (木) 04:44 UTCからカット・アンド・ペースト。
- 申し訳ありませんが、おっしゃっていることが論理的にまったく意味不明で理解不能です。どうして「投票をしなかった選択」と「おそらくただちに11日分を無効票としていた」ということがつながるのでしょうか。どうして「投票しなかった選択」と「「テンプレを書き直す」「11日分を無効票とする」「票を付け足す」という対処法があった」ということがつながるのでしょうか。「投票をしなかった選択」ということを唱えた私からすれば、次元の違うことを対照しておっしゃっているようにしか思えません。本当に私が申し上げた意味を理解されていれば、このような発言は聞かれないと思います。どこか私の発言にご不明な点がありますでしょうか。私の発言に理解できない点があればお示し下さい。私の考え方をきっちり説明させていただきます。私は「2段階認定案」に「善意の投票の保護」をあてはめることは適切ではない、とは申しましたが、「「投票をしなかった選択」を保護するために「ルール通り」にするのがよい」などとは申し上げておりませんし、他の方のご発言にもそのような解釈を求めることはできませんでした。失礼な言い方であることを承知で申し上げますが、ご自分の世界の論理を他者にも通用させたいのならば、他者にも分からせるようにおっしゃってください。それができないのであれば自己完結しておいてください。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 03:27 (UTC)
- 私は「2段階認定案」に「善意の投票の保護」をあてはめることは不適切という理由は根拠がないと言っているだけです。少なくとも11日分を無効にするのは「善意」ではないということを説明したのです。「ご自分の世界の論理」と言われるのは甚だ遺憾です。私には某所であなたが述べた「医者の問診」の喩えのほうが意味不明で理解不能です。
- つまり、
- >「2段階で認定」する案には、選考に参加された方が「票を投じなかった」という投票行動の保護がなされていないのではないかと愚考します。
- これは考慮する必要はないのではと述べているのです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 03:59 (UTC)
- 「少なくとも11日分を無効にするのは「善意」ではない」のはその通りです。ですがそれは「善意の投票」と「善意の投票を無効にする」ということを混同しているのです。それが次元が違うということです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 04:06 (UTC)
- いやいやいや、私が言っているのはそういうことじゃないんですよ。つまり「「票を投じなかった」という投票行動の保護がなされていない」から「2段階で認定」はだめだという意見であれば、それは「「票を投じなかった」という投票行動の保護」をする機会はいくらでもあったのですから、どう対処するかを決める段階でそれを言っても後の祭りだと言ってるんです。つまり私は「2段階」に十分な根拠があるといっているのではなくて、「2段階」を批判する意見には十分な根拠がないと言っているんです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 04:13 (UTC)
- 簡単に言ってしまえば、現実に明確な形で起こっていない「票を投じなかった」という投票行動を考慮することは、この際ナンセンスでしかないと言っているのです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 04:22 (UTC)
- 食い違っている点が見えてきました。誤った告知を訂正することができたのだから、ということを前提にKanbunさんはお話されているのだと思います。ですが実際にはそうならなかったのですから、もはやそのことを論じることに意味はないというのが私のスタンスなのです。もし告知を訂正していたら、ということを論じるのはやめませんか?実際には訂正されなかったのですから今回の事態に至ったわけで、もしあのときああしていたら、ということをフィルターを通して今回の件を見ていても現実に起こった事態の解決にはつながりません。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 04:27 (UTC)
- いやちょっとお待ちを。まだ食い違っています。私は実際に投票行動において現れた形を考慮すべきで、現れていない部分はタッチすることではないと言っているんです。あのときこうしたら、というのは私は考えていません。私が言っているのは、「ルール通り」を主張するSiyajkakさんの主張の中に、あのときこうしたらと述べている部分があったので、それにしたって考慮する必要がないということを示すために述べたまでです。どちらにせよ、投票結果で明確に確認できない、不特定の「「票を投じなかった」という投票行動」はないことにしないと、今度は新記事賞の投票の性格を考慮して、投票行動の傾向などについても考慮していかなくちゃいけないことになりますよね?そういうことはこの際すべきではないのでは?--Kanbun 2007年12月20日 (木) 04:32 (UTC)
- 私自身が申し上げていましたが、ここでこの議論することは意味がないと思います。よろしければ私の会話ページにいらっしゃいませんか?お手数ですけれども、これ以上今後の運営方針にかかわらない議論を残すのは無駄にサイズを大きくするだけですので、2007年12月20日 (木) 03:27 (UTC)の私の発言から、この発言までを消してからいらしてはもらえませんでしょうか。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 04:40 (UTC)
- いや。本当は見えない投票行動を考慮するとなると、今後の方針でもそれを盛り込んで行かなくちゃならないことになると思うので、「意味がない」というのは根本的に間違っていると思うんですが。しかし私自身は見えない投票行動は考慮しない考えなので、ここで議論する必要はないと思っていますから、会話ページに移動させていただこうと思いますが。発言を消すというのは今後に関わる部分もあるので、不適切なんじゃないかと思います。ともかくこの件についてのここでの議論はここまでがよいと思います。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 04:44 (UTC)
つづき
ログ それで返答なのですが、私は「不特定の利用者が票を入れない」というようには捉えていないのですし、そのようにも申し上げていません。「選考に参加した利用者」という主語をつけています。例えばXXXという利用者が「A」という記事に票を入れる、「B」という記事に票を入れない、「C」という記事に票を入れる、としていったらXXXという利用者の意思は明らかに表示されています。この状況下で他のユーザの行動を考慮に入れる必要はないわけですから、「選考に参加した利用者」が「票を入れない」というのは意思表示と捉えられる、と申し上げていたのです。この前提からでもナンセンスでしょうか。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 04:48 (UTC)
はい、ナンセンスと思います。なぜなら上の論法で行けば、同様に11日分の投票に対して行動を起こさなかったことは意思表示と考えてもよいことになるからです。また「例えばXXXという利用者が「A」という記事に票を入れる、「B」という記事に票を入れない、「C」という記事に票を入れる、としていったらXXXという利用者の意思は明らかに表示されています。」のであれば、11日の投票後の結果にもその意思表示はちゃんと反映されていることになります。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 04:54 (UTC)
- 「11日分の投票に対して行動を起こさなかったことは意思表示と考えてもよい」というのはそのとおりです。ですからその点を含めて判断する必要があるのではないですか、ということを申し上げていたのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 04:59 (UTC)
- いやいや、それだと結果的にあのときこうしたらを含んでしまうじゃないですか。だから、この際見えない投票行動は考えないほうがよいのです。見えない投票行動を考え始めると、芋づる式にこういうケースも、ああいうケースも、と出てきちゃうじゃないですか。そうじゃなくて、11日まで投票をしてしまったんだから、とにかくそれをまず結果とする前提に立つべきと思います。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 05:05 (UTC)
- 票を投じなかった、ということは実際に起こったことというように捉えられませんか?私は実際に起こったこととして捉えられると思います。Kanbunさんのおっしゃる見えない投票の捉え方に私との間で乖離があるからこのような議論をしているんだと思うのですが。そこにご理解をいただけないのならばいつまでも議論が続くことになってしまうのですが。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 05:15 (UTC)
- それはこういう意味です。11日の投票時点での結果は、とりあえず現実的な投票行動を反映しているのですから、「票を投じなかった、ということは実際に起こ」ろうが起こるまいが、11日時点での投票行動をすべて反映している結果だと考えてよいと思うのです。したがって、票を投じなかった、ということが実際に起こったか起こってないかは定かではなくとも、11日時点での全ての投票行動は反映されていると見るべきと言っているんです。その際に、実際に起こったかもしれない投票行動を考慮して11日時点での投票結果を斟酌しだすと始まらないと言っているのです。実際に起こっていたかもしれない投票行動は考えればいくらでも出てくる性格のものですから。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 05:20 (UTC)
- ですから、私は実際に起こっていたかもしれないということで申し上げているのではありません。票を入れなかったことには賞に相応しくないという意思が示されている、それは票を入れる、入れないという選考制度のもとではそのように判断できる性質がある、と申し上げているのです。それを勘案してみると、リファクタリングを見ていただいたら分かるとおり、「2段階認定」案には「善意の投票の保護」という長所がある、とされているけれども、それは必ずしも真ではない、ということを申し上げていたのです。そのうえで「票を入れなかったこと」まで含めて11日投票分を有効とするべきか、無効とするべきか、ということを検討するべきではなかったか、と申し上げているのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 05:36 (UTC)
- ちょいとお待ちを。私は「「2段階認定」案には「善意の投票の保護」という長所がある、とされているけれども、それは必ずしも真ではない、ということを申し上げていた」ことを批判しているのではなくて、「「2段階で認定」する案には、選考に参加された方が「票を投じなかった」という投票行動の保護がなされていないのではないかと愚考します。」点を批判しているのです。私は「2段階」案に「「2段階認定」案には「善意の投票の保護」という長所がある」とは考えていません。そのうえで、「「票を入れなかったこと」まで含めて11日投票分を有効とするべきか、無効とするべきか、ということを検討するべきではなかったか」という点に対して、それは検討すべき事柄ではないと申し上げているのです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 05:40 (UTC)
- つまり実際に起こっていた投票行動の中から「票を入れなかったこと」だけを特別な意思表示として抽出することに何の根拠もないのではと申し上げているのです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 05:42 (UTC)
- その通りです。ですがあの時点で「票が入れられていたこと」だけしか着目されていなかったというのも事実です。ですから両方の意思を保護するということになっていないから、「「2段階で認定」する案には、選考に参加された方が「票を投じなかった」という投票行動の保護がなされていないのではないか」と申し上げているのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 05:49 (UTC)
- 「票が入れられていたこと」は明らかに投票数とどの記事に対してかが明確に確認できるのに対して、「票を入れなかったこと」についてはそのような確認が出来ません(この点について医者の問診の喩えはナンセンスですよね。医者の問診には争点がないので)。はっきり言ってしまえば、「「2段階で認定」する案には、選考に参加された方が「票を投じなかった」という投票行動の保護がなされていないのではないか」という意見には、その点で本当に「2段階で認定」を否定することが「投票行動の保護」になるのかが明確でないという根本的な欠陥があります。逆に「2段階案」はその点で明確な見える投票に対して十分な保護を与えられる上、見えない投票行動についても目に見える結果に見えない投票行動が反映されているという前提から、ある程度の保護は与えられます。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 05:54 (UTC)
(インデント戻します)「票を入れなかったこと」を確認できるじゃないですか。それこそさっき申し上げた利用者XXXは…というくだりです。そもそも医者の問診の例は投票制度の性質を説明するためのもので、そこに有効とするか無効とするかという要素を入れる必要は最初からありません。それと「「2段階で認定」を否定することが「投票行動の保護」」とも申しておりません。「「2段階で認定」は「投票行動の保護」を根拠とすることはできない」と申し上げているのです。案を否定することではなく、根拠とすることができるか否か、とうことを申し上げているのです。お願いですから論理の次元飛躍はやめてください。そのようにされるから食い違いが起こるのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 06:10 (UTC)
- 「「2段階で認定」は「投票行動の保護」を根拠とすることはできない」という点について私は反対していません。何度も申し上げているように、「「2段階で認定」する案には、選考に参加された方が「票を投じなかった」という投票行動の保護がなされていないのではないか」というのが、別に「2段階」以外の案にしても結局「十分に保護できない」ので考慮するに当たらないと言っているのです。「「票を入れなかったこと」を確認できるじゃないですか。それこそさっき申し上げた利用者XXXは…というくだりです。」については、どの記事に、どのような意思表示をしているのかというのが明確になりません(この点棄権とも考えられる。)。その点が医者の問診とは根本的に異なる上、これが本質的に投票行動として+に判断できる材料かも甚だ不明確です。その点、目に見える投票行動に十分な保護を用意する方が、目に見えない投票行動の保護を考慮するより、理に適っていると言っているのです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 06:16 (UTC)
- 「「「票を入れなかったこと」を確認できるじゃないですか。それこそさっき申し上げた利用者XXXは…というくだりです。」については、どの記事に、どのような意思表示をしているのかというのが明確になりません」のどこが分かりにくいのですか?票を入れる/入れないの制度のもとで、「票を入れない」にはさまざまな背景があっても、結局のところは「賞に適するとは考えられない」というところに行き着くと解される、と何度も申し上げているではないですか。「票を入れない」に入れ忘れや棄権があったとしても、票を入れる/入れないの制度からみれば「票を入れない」ということには「賞に適さない」というように解釈するのが合理的であるということです。例えで言うと相手が医師だったら直接話をする中でそのようなことが確かめられるでしょうが、コンピュータだったらどうですか。そうはならないでしょう。制度としてみれば票を入れた/入れなかったは機械的に処理するものであって、それは同時に賞に適する/適さないと処理されるというものではないですか?仮に入れ忘れや棄権ということがあっても制度の下で運営されている以上はそれ以外の解釈を入れていく必要はないということです。つまりは記事・画像に票を入れた/票を入れなかったということを機械的に処理していくという観点からすれば票を入れた=賞に適する、票を入れなかった=賞に適さないとして判断していく、そのうえで投票行動の保護を考えていく、と申し上げているのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 06:49 (UTC)
- >「票を入れない」にはさまざまな背景があっても、結局のところは「賞に適するとは考えられない」というところに行き着くと解される、と何度も申し上げているではないですか。
- これが私にはわからないのです。「「票を入れない」に入れ忘れや棄権があったとしても、票を入れる/入れないの制度からみれば「票を入れない」ということには「賞に適さない」というように解釈する」というのは、じゃあコミュニティに対して票数がそれほどない現状では、コミュニティの大多数が選考記事を「賞に適さない」と考えているというわけですか?それは明らかにおかしい。そうではなくて、普通に「棄権」と見るべきではないでしょうか。「票を入れた=賞に適する、票を入れなかった=賞に適さないとして判断していく、そのうえで投票行動の保護を考えていく」というのは明らかに現状から見て不適切です。賞に適さないという投票行動を抽出したいのであれば、マイナス票を導入した方がよいのは明白です。現状では大多数の棄権というのが正しい現状分析ではないでしょうか。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 07:04 (UTC)
- ですから、私のように最初から選考に参加していない利用者のことまでは考える必要はないのです。選考に参加した利用者が10名ならば10名の票を入れた/入れなかったの投票行動の保護を考えればよいのであって、それ以外の利用者は考える必要はないのです。それが健康診断に来なかった人まで医師は診断できないということが指すところで、この節の冒頭で申し述べた「不特定の利用者」ではなく「選考に参加した利用者」が主語になって、この利用者を対象にして投票行動の保護を考えましょう、と申し上げているのです。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 07:14 (UTC)
- 「10名ならば10名の票を入れた/入れなかったの投票行動の保護」でも同様です。不特定か特定かは関係ありません。棄権という選択肢がどれだけ選択されたのか、明確になっていないという点で根拠のない、一義的な投票行動の解釈と存じ上げます。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 07:16 (UTC)
- つまり私たちが知ることが出来るのは「票を入れた/入れなかった」までで、それを「票を入れた=賞に適する/票を入れなかった=賞に適さない」というのは何の根拠もない、そのように解釈して何の得があるのかも明確でない、棄権の投票行動はじゃあどうやって保護されるのか、確認できる見える票と明確に確認できない見えない票は1:1なのかとか、はっきり言うと問題だらけの解釈です。見えないものはこの際結果に含まれているとして考慮しないほうがよっぽどよいと言っているのです。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 07:24 (UTC)
- 一義的な投票行動の解釈をしていくのが「票を入れる/入れない」という制度の性質だと申し上げているのです。そこまでわかっていただけたのならそこに他の選択肢はありえないと言う考えにいたってもらえるはずなのに、「「票を入れた=賞に適する/票を入れなかった=賞に適さない」というのは何も根拠もない」といわれてしまうのは残念ですね。繰り返し、話の次元を超えないで欲しいとお願いしているにもかかわらず、「そのように解釈して何の得があるのかも明確でない」といった話に結び付けて理解していただけないようです。ここは双方の幸福のために、お互いの理解を得られなかったということにしませんか?おそらく今後の運営を協議していくうえでこの言い合いは何も役に立たないと思います。もはや私としてはどのようにしたらKanbunさんに私の考え方を理解してもらえるか分かりません。Kanbunさんはこういう考え方を持っている、Ariesmarineはこういう考え方を持っている、互いに相容れない、ということを確認したということにしましょう。ページのサイズも大きくなってきましたので、ログ化させていただこうと思いますが、よろしいでしょうか?--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 07:52 (UTC)
- 投票結果が「票を入れる/入れない」という形で現れてくることが、一義的な投票行動の解釈の根拠にはなりません。あくまでそれは「この記事を推薦するか/しないか」の抽出であって、その記事が「賞に適する/適切でないか」の抽出ではないからです。さて、ここでの議論の確認については上の通りでよいのですが、それならば「「2段階で認定」は「投票行動の保護」を根拠とすることはできない」は必ずしも偽ではないが、真でもないということで合意するというのでよろしいでしょうか?--Kanbun 2007年12月20日 (木) 07:57 (UTC)
そのことが確認されただけでも十分でしょう。少なくとも私はそれに異を唱えるつもりはありません。あとお願いですが、やはり議論ページのあのやり取りは消しておきませんか。双方の合意の下で上記が確認されたということだけ残すということにしてはいかがでしょう。自分から持ちかけて申し訳ないのですが、他の方から見てあまり気持ちよいやり取りではありませんし。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 08:06 (UTC)
- 了解です。正直私も自分の発言を残すのは恥ずかしいので(笑)。ただどこかにログとして隔離しておくくらいの配慮は必要と思います。ログ化をお願いしてもいいですか?もしおいやなら私の方で隔離しますが。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 08:09 (UTC)
- ありがとうございます。このページについては一番上のようなやり方でお返事を確認しだいログ化します。議論ページについてはログ化しなくとも、簡単なやり取りの経緯をまとめておいて結論だけ見せておくということで。あのあとほかに編集した方もいらっしゃいませんし、双方が自分の発言をそれぞれ取り消していったという(また無茶な)解釈をして、このような形で私のほうで対処して、Kanbunさんも同意してくださったということをあとから書いておいていただくというのはいかがでしょう。--Ariesmarine 2007年12月20日 (木) 08:17 (UTC)
- ログ化の方法ですが、あちらの発言をこちらの会話ページに(履歴を残しつつ)移した後に一辺にログ化してしまうという形が一番良いのではないかと思います。というのも、コメント依頼など出された際に、過去の発言や行動についてはすべからく説明責任を果たすべきという考えもありますし、行動や発言の隠蔽ともとられかねないと思うのです。会話ページでログ化してしまったとはしつこく追及されることもないと思いますから、消すより穏便だという点でこの方法をとってみてはどうでしょう?もしそれがおいやな場合でも、対処についてはAriesmarineさんにお任せします。--Kanbun 2007年12月20日 (木) 08:24 (UTC)