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利用者‐会話:Dalaibaatur/民族

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民族(みんぞく)とは、言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団である.

「民族」と訳される様々な概念[編集]

「民族」は、人間の集団を指す用語の一つとして非常によく使われることばであるが、「民族」が何を意味しているかについて、学問分野や国・地域の違い、またその言葉が使われている時代の違いなどにより相違がみられる[1]

日本語の中では、以下のような概念の訳語に「民族」の語があてられてきた[2]

  • Nation:国際政治の分野で、「自決権を行使できると見なされる人間の集団の単位」として「民族」の訳語がもちいられてきた。「同一国籍を保持する人々の集団」の訳語としては「国民」があてられてきた[3]。「混同を避けるため」[4]、自決権行使の主体としてのnationについては「ネイション」、「ネーション」とカタカナで訳されることが増えているが[5]、政治学・歴史学の分野では、「民族」という訳が引き続き使用されている。

社会学や文化人類学を中心とする学問分野では、「自決権の行使とは必ずしも関わりを持たない社会集団」を意味するethnic group, society, tribeなどの概念の訳語の一つとして「民族」が当てられる場合がある[6]

  • ethnic group:「民族」のほか、「エスニック集団」「民族集団」「エスニック・グループ」などの翻訳語も並行してもちいられている。
  • tribe:北米インディアン、アフリカなど一部の地域に住む人たちに限ってその社会的集団を指す言葉として使われ、日本語では「tribe」専用の翻訳語として「部族」が使用されてきた。しかし社会集団に対する研究の進展にともない、いかなる地域の社会集団も等しく「ethnic group」と呼称する傾向が、20世紀を通じて強まった[7]。日本でも、特定地域の社会集団だけをさして「部族」と呼ぶのは不適切ではないかと考えられるようになり、「民族」、または「エスニック集団」へ呼び替えられるようになった。ただしマスメディアなどでは、アフリカ、パキスタンなどに一部地域の社会集団に対して引き続きtribe、「部族」と呼ぶ慣行が行われている[8]

「民族」の定義[編集]

民族の定義[注釈” 1]の主なものには、本質論(原初主義)、構築論(道具主義)、両者の折衷がある[9][注釈” 2]

本質論(原初主義)は、血縁、性、身体的特性、社会的出自、言語、慣習など、自分の意思では変えられない、人にあらかじめ与えれたものや外から見て明らかなもの(客観的な属性)が集団を確定するという考え方である[10]

構築論(道具主義)は、集団は人々が他の集団との相互作用の過程で選択的に形成するもので、目的に応じて自分である程度自由に選択できるとし、外から見て必ずしも明確でない帰属意識など(主観的な属性)が集団の確定にとって重要であるという考え方である[11]。  この立場の主な論者:ベネディクト・アンダーソンアーネスト・ゲルナー

「両者の折衷」は、一例として「エトニ(ethnie)」(「血縁・言語・文化・地域等に基づく集団」)の一部が、近代化の中に直面するなかで「ナショナリズムの運動」を起こし、「ネイション」(民族)としての認知を獲得、さらにその一部が「国家」を獲得して「国民」となる(アントニー・D・スミスの論)のようなものがある[12]

「民族」と訳される様々な概念の独立記事[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ここでいう「民族の定義」について、津田みわは「ethnic group」(「ethnic groupの学問的定義をめぐる問題」)、佐藤優は「ネイション」(佐藤2015,pp.109-110.)の定義として以下の論を記述。
  2. ^ 本質論・構築論は津田みわ(「民族 Ethnic Group / Tribe / Nation」)、原初主義・道具主義は佐藤優(佐藤,2015)の用語である。

出典[編集]

  1. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」
  2. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」
  3. ^ 津田,「日本語への翻訳にかかわる問題」
  4. ^ 津田,「日本語への翻訳にかかわる問題」
  5. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」。佐藤,2015では「民族」、「国民」、「ネイション」が適宜使用されている。
  6. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」
  7. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」
  8. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」
  9. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」
  10. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」。佐藤,2015,pp.109-110.
  11. ^ 津田,「身近で、実はあいまいなもの」。佐藤,2015,pp.109-110.
  12. ^ 佐藤,2015,pp.119-122.


参考文献[編集]