利用者‐会話:Dassaim

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「津田梅子」の編集について[編集]

津田梅子」の編集お疲れ様です。

当該記事のDassaimさんの編集履歴の中で、2022年5月27日 (金) 10:53の編集を拝見しました。

「フィラデルフィア委員会」の英文表記 The Philadelphia Permanent Committee for Tsuda College に付していた出典表示を除去しておられます。この編集によって、The Philadelphia Permanent Committee for Tsuda College という英文表記(私が知る限り、山崎『津田梅子』にしか記載されていません)の出典が分からなくなり、Wikipedia:検証可能性が損なわれておりました。

「出典表示を簡素にしたい」というお気持ちは分かりますが、その結果としてウィキペディアで最も重視される「Wikipedia:検証可能性」が損なわれてしまっては元も子もありません。出典表示の変更/除去は慎重に行って頂けますよう、お願いいたします。--Pooh456会話2022年5月28日 (土) 08:33 (UTC)[返信]

Pooh456さん、ご指摘ありがとうございます。
"The Philadelphia Permanent Committee for Tsuda College" という言葉は誰かの発言や記述の引用ではなく、単なる固有名詞なのでその言葉が出てくる書籍のページを文末に明記すれば良いのではないかと思います。
単語(固有名詞)にまで出典を付すのは、検証可能性の高めているというよりは、単に出典(というよりは脚注)の充実度を高めているということにならないでしょうか。
関連するであろうen:Wikipedia:Citation underkill をざっと読んでみましたが、カンマで区切って記述をつなげている場合(日本語で言えば読点?)などに文中に脚注が付されるべきというようなことは書いてありますが、単語レベルにまで脚注を付すというようなことは書いてありませんでした。
ただし、固有名詞には脚注を付けるべきではないとは思いません。例えば、書籍によって綴りが異なるなどの場合には、注釈でその旨を説明することなどは有用であると思います。--Dassaim会話2022年5月29日 (日) 10:28 (UTC)[返信]
Wikipedia:出典を明記するでは、出典を明記する必要性があることの理由が下記のように示されています。
1.内容に問題がないか確認できる
2.読者がさらに調べるときの参考になる
3.著作権・著作隣接権の遵守
「最低限必要な事柄として、本文内のどの記述が、どの出典の、どの箇所から持ち込まれたのかが判別できるように注意してください。」
さらに、Wikipedia:出典を明記する#三大方針との兼ね合いでは、下記のように示されています。
「出典の表示を新たに設定するときにも、その後更に編集を加えるときにも、検証可能性や中立的な観点が維持・向上されるようにしなければなりません。」
「同等の内容の複数の出典が過度に多数に及ぶような場合や記述の対象が検証の容易な周知の事実である場合には、出典の表示も記述内容に見合った規模になるよう出典の精選を検討するといった配慮が必要ですが、このような場合にも検証可能性や中立的な観点を損ねることがあってはなりません。列挙された多すぎる出典をやむを得ず除去するときにも、見た目だけで判断せず文献を実際に読んで、記述の検証可能性や中立的な観点を低下させることがないということを確認した上で慎重に行うべきです。信頼できる情報源にあたって出典が設定される過程には相当の努力が払われていることを尊重しなければなりません。」
上記で示されていることを要約し、今回の事例に当て嵌めると、下記のようになると解します。
「仮に記事『津田梅子』が、『同等の内容の複数の出典が過度に多数に及ぶ』『列挙された多すぎる出典をやむを得ず除去する』必要がある状況にある、としても、Dassaimさんが出典表示を削減しようとする場合には、『記述の検証可能性や中立的な観点を低下させることがない』ように十分に配慮しなければならない」
Dassaimさんも、「ウィキペディアの記事は、編集者の為ではなく、閲覧者の為に存在している」ことについては異論はないかと思います。さて、記事「津田梅子」が下記のような状態であると、閲覧者の利益は損なわれているのでしょうか?
【例1】ランマンは、当時、日本弁務使館書記官(Secretary of the Japanese Legation〈出典1〉)を務めていた(出典2)(出典3)。
【例2】フィラデルフィアのモリス夫人、ブリンマー大学学長であるM・ケアリ・トマスなど、梅子の志に共鳴するアメリカの人々は、モリス夫人を委員長とする「フィラデルフィア委員会」(The Philadelphia Permanent Committee for Tsuda College〈出典1〉)を明治33年(1900年)春に組織して、梅子の学校(Miss Tsuda's School)を支える寄付金を継続的に集めて日本へ送り続けた(出典1)(出典2)(出典3)。
私には、どちらの例であっても、(出典1)が存在することによって、閲覧者の利益は損なわれていないように見えます。
一方、【例1】では、(出典1)を除去することによって、Secretary of the Japanese Legation の出典が不明になる、という明らかな「検証可能性の低下」が起き、閲覧者の利益が損なわれます。
【例2】では、(出典1)を除去することによって、閲覧者は、The Philadelphia Permanent Committee for Tsuda College の出典が「出典1」であることが分からなくなります。The Philadelphia Permanent Committee for Tsuda College の出典を知りたい閲覧者は、出典1・出典2・出典3の3つの文献を確認することを強いられます。これも「検証可能性の低下」であり、閲覧者の利益が損なわれる、と言って良いでしょう。
失礼ですが、Dassaimさんは「出典表示を削減したい」という結論ありきで編集しておられるのではないでしょうか?
「記事『津田梅子』の出典表示を削減することが、閲覧者の利益になるのか否か」を良く考えて頂けないでしょうか?
よろしくご検討の程お願いします。--Pooh456会話2022年5月30日 (月) 08:30 (UTC)[返信]
Pooh456さん。ご指摘ありがとうございます。
複数の文献に当たらなくてはいけないという部分が検証可能性を損なっているというご指摘かと思います。
それは検証可能性の低下ではなく、検証の負担の増加であり、別の論点かとは思いますが、一旦ご指摘を受けて検証の負担が軽くなるように出典の表示を変更いたしましたので、確認いただければと思います。
また、提示していただいた例について、閲覧者の利益が損なわれているのかという点に関してですが、文の中に突然脚注(出典・注釈)が出てくるのは、かなり文章を読みにくくしていると思います。もちろんこれは個人の好みの問題で、どうするのが正解か言えるものではないのは承知しております。--Dassaim会話2022年5月30日 (月) 09:19 (UTC)[返信]

ご報告[編集]

民芸運動の良質な記事選出おめでとうございます。選考が終了しましたので、お約束していた改名提案をさせていただきました。コメントはノート:民芸運動までお願いします。ご報告まで。--あずきごはん会話2023年2月11日 (土) 21:52 (UTC)[返信]

「良質な記事」選考でのコメントありがとうございました。ノートページでの改名について確認いたしました。現在のところ、特に問題はないかと思います。コメントなどが必要なようでしたら、適宜コメントさせていただきます。それではよろしくお願いいたします。--Dassaim会話2023年2月12日 (日) 11:27 (UTC)[返信]