利用者‐会話:HEAVY METAL THUNDER
wiki記事の編集について。
[編集]ファンやリスナー(ユーザー)の偏った視点による個人の主観を掲載する事はwikipediaの編集方針に反すると思います。(この点についてはwikipediaガイドブックを熟読しました。) 出来る限り、公式での発言、メディア上にて公開された情報、記事などの根拠に基づく中立的な観点での編集がなされるべきだと思います。
以下の根拠を元に『森永理科「声優意外の活動」ついて』を編集しました。また「function code();」の方でも同様の編集をしました。
- 2003年10月より、『function code();』のボーカルとして音楽活動もしている。
→『function code();』の結成は2005年1月。※オフィシャルホームページに記載確認済み。
- そのサウンド、パフォーマンスは、寺山修司~J・A・シーザーの流れを汲んだもの。
→個人の主観だと思います。「function code();」が「寺山修司~J・A・シーザーの流れを汲んだ」とされる公式の発言及び媒体記事はありません。
HEAVY METAL THUNDER 2007年6月4日 (月) 17:49 (UTC)
「中立的な観点」wiki記事より引用
[編集]- 芸術作品などの特徴に関する意見
特別なケースがひとつ考えられます。審美的な判断にかかわるものです。ウィキペディアの記事の一部はアート、アーティスト、その他クリエイティブな話題(例えばミュージシャン、役者、本、テレビゲーム、など)を扱うもので、執筆者が感じたことを表現する傾向にあります。これは、百科事典にそぐわない記述だと言えるでしょう。だれそれが歴史上最も偉大なベーシストである、といったことについてはわれわれは意見の一致を見ることができないでしょう。ですが、あるアーティストや作品が一般大衆や、批評家や、有名な専門家などにどのように受け止められたか、という情報は実際のところとても重要なものです。ある作品についての一般的な解釈の概説をすること、それもできればその解釈を提唱している特定の著名な人への言及なりその人の引用をつけて、はよいことです。例えば、シェイクスピアが英語による著述家の中で最も偉大な人の一人だということは、どこかの生徒が百科事典から学ぶべき重要な知識でしょう。ただし、注意して下さい――作家や作品が大衆や批評家にどのように受け止められたかを判断するためには、下調べが必要でしょう。ですが、そのような情報は百科事典にとっては非常に重要で、ウィキペディアの執筆者の独自の見解は重要ではありません。
HEAVY METAL THUNDER 2007年6月4日 (月) 19:25 (UTC)
反論します
[編集]公式HPに書いてあることを丸写しにするのが、著作権の侵害に当たるのではないか、という点は省略して、まず、根本的なことから始めましょうか。
- 「中立的な観点」とおっしゃいますが、公式HPは本人によってつくられたものです。そこに書いてあることをそのまま持ってくるのは、「中立」ではありません。「本人べったり」です。「中立性」は執筆者が書きながら自分で考えるものですが、あなたはこのプロセスを省略して、ただコピーしているだけです。そもそも「執筆した」ことにもなりません。
- 公式HPというものはしばしばリニューアルされますが、そのたびにあなたはいちいちウィキぺディアの記述も更新していくつもりなのでしょうか。もっと普遍的な事柄を書くべきではありませんか。
- ウィキぺディアで調べものをしようとしたら、内容が公式HPに書いてあるのと全く同じだった。それなら、ウィキペディアなんていらねえんじゃねーの、ということになりませんか。
- そもそも、公式HPに書いてない事実を補ってやろうという意欲が、あなたには欠けているのではありませんか。情報源も、ネットに偏っているように見受けられます。
次に、細かいことをいくつか。
- バンド活動の開始時期ですが、「プロデューサーEURO、ボーカル森永」のコンビができて、初ギグまでやったのですから、今とバンド名、メンバーが違うにしても、「2003年10月」というのは動かせません。音楽の方向性も今と同じです。公式HPの記述は、単なる記憶違いの可能性があります。
- 「寺山修司とJ・A・シーザー」について。私が読んだフリー・ペーパーによると、表現力のある舞台女優をバンドにスカウトしたいと思っていたEURO氏が、月蝕歌劇団の舞台で森永理科を見出したそうです。月蝕は、寺山修司の天井桟敷の表現手法を受け継いだ劇団です。ただ芝居をやるだけでなく、歌や踊りで観客の感性に訴える、というスタイルです。音楽を担当しているのは、天井桟敷で寺山と組んでいたシーザーです。そこで歌い、踊っていた森永を見て、EURO氏は彼女をスカウトした。そして、function code();の音楽は、森永が歌い、踊ることを前提としてつくられている。以上を総合すると、論理必然的にfunction code();は「寺山~シーザー」の流れを汲んでいる、ということになります。これは、だれにも否定できません。
- 理屈っぽくなりましたが、このことは月蝕時代から森永を知る人の間では、周知の事実です。最近彼女に興味を持ち出した人のために、彼女の表現のバックグラウンドに「寺山とシーザー」がいることは、記述しておかなければならない。ただそれだけのことです。
- 補足。J・A・シーザーが主宰する劇団、万有引力の俳優たちが、function5のギグに参加してパフォーマンスを披露したことがあります。また、EURO氏が万有引力の公演の音楽を担当したこともあります。
- 公式HPに二人の名がないのは、「言わずもがな」のことだからです。
最後に。バンドについては、function code();の項目で書けばいい、と考えている人もいます。なので、あんまり長々と書くのはどうかと。まあ、せっかくの作業(執筆とは呼べませんが)なので、私が手を出すつもりはありませんが。あと、「寺山とシーザー」については、そのうち復活させるつもりです。くどいようですが、彼女を知るために不可欠なキーワードですから。
YUKI 2007年6月5日1:20(UTC)
ところで
[編集]あなたはいつから森永理科のHPをご覧になっているのでしょうか。私は2001年から見ていますが、リニューアルを重ねるごとに多くの事実がこぼれ落ちていった可能性を、あなたは考えてみなかったのでしょうか。「今現在のHPに載っていないからこれは事実ではない、削除だ」、などという乱暴なマネは、2度となさらないで下さい。ウィキペディアの質が悪くなります。
ネットばかりやらずに、月蝕歌劇団や万有引力の公演を実際に観れば、私の言葉の意味がすぐわかるはずです。
YUKI 2007年6月5日4:09(UTC)
もうひとつ
[編集]思い出しました。私が言っていることの証拠になると思いますが、function code();のDVD「recursive call」の「SPECIAL THANKS」の欄に、ちゃんと「Banyu Inryoku」、「Gessyoku Kagekidan」の名前が出ています。あと、「Ryo Nakamura」の名前も。「中村亮」。彼は元天井桟敷で、例のfunction5のギグに参加した万有引力のメンバーの一人です。
どうです?公式HPには書いていないこういう知識に触れられるウィキペディアって、楽しいでしょ。
YUKI 2007年6月5日8:40(UTC)
貴重な情報ありがとうございます。
[編集]即日レス及び貴重な情報の数々、ありがとうございます。早速wikiに反映させるべきです!…と言いたい所なのですが、
まずは「中立的な観点」に関して、反論の前に再度熟読してください。
ここはwikipediaですのでwikipediaのルールにお互い従いましょう。
- 「公式HPの丸写し」と言う前に、私の編集記事をもう一度読み比べ直してください。バンドの音楽性についての記述のみ(引用にて)掲載しています。ここに関しては「引用」以外の手段を思いつきませんでしたので、せめて「ロマネスク」「ゴス」という、解釈の微妙な表現についてはwiki内部リンクの体裁を取りました。他の記事についてはHP掲載の記述(事実)を「原典」に私自身がタイピングし、「執筆」した物です。見比べてみてください。
- 『公式HPに書いてあるものを持ってくるのは「中立」ではなく、自分が考えて書いたものが「中立」』というのは暴論です。「自分が考えた事」が「公的な事実に基づく物」である事を証明する原典を併記する事はwikipediaの大原則です。思った事は何でも書いていい訳ではありません。
- 「ホームページがリニューアルされる都度wiki記述も更新するのか」と言う点については「はい」としか言いようがありません。(情報を古い物から新しい物へ、時系列に沿って記述していかなくては百科事典たる意味がありません。)あなた自身も「(過去)リニューアルを重ねるごとに多くの事実がこぼれ落ちていった可能性」を指摘しています。
- 「公式には無い事が書いてあるからウィキペディアはおもしれえんじゃねーの」じゃ、2ちゃんねると変わらないので、その見解には全く賛同しかねます。今一度「Wikipedia:基本方針とガイドライン」の熟読を。
- ネットに書いていない情報に関しては、くどい様ですが(「中立的な観点」に記述されている様に)「客観的事実」であるのならばどんどん反映させるべきだと思います。例えば「一定期間が過ぎると入手が困難になってしまう月刊〜既刊の情報誌に掲載された、公人である著作者(ライター、評論家など)によって記述された記事」「ライヴ会場での対象者本人の発言」「テレビやラジオといった媒体での対象者本人及び公人である他出演者による発言」などでしょうか。それらに関しては非常に貴重な情報源として積極的に拾っていき、密度の高い記事を構成していくべきだと思いますが、そこには常に「記事を読んで/発言を聞いて/自分がこう感じた、という『主観』が差し挟まれる」危険があります。あくまでも「客観的事実」のみを「情報」として掲載し、それを読んだwiki読者がどう思うのかは読者自身に委ねられる、というのが(wikiに限った事ではありませんが)百科事典の原則ではないでしょうか。ご自身の主観はご自身のブログやホームページなりに書かれると良いと思います。あなたが著名な著作家やライターであるならば公的な出版刊行物なりで書かれると良いと思います。wikipediaは「個人の日記」ではありません。
- バンドの開始時期について。初ギグ云々に関しては「function code();」の記事で詳細に書かれていましたが、そちらは削除していません。「function code();」の活動開始時期は公式HPでの記載によると2005年1月です。
- 「音楽の方向性も今と同じです。」に関しては、「同じである」事が公的な場所で公開された情報に基づく根拠を示してください。この一文だけでは残念ながら「あなたの主観」です。芸術活動、音楽や芸能に関しての第三者による表現は非常にデリケートな側面を持っています。注意してください。それとも彼女たちのバンドは2003年から4年間、全く何の進歩も成長も変化も無かったのでしょうか?そしてそれは「公的事実」なのでしょうか?
- 「公式HPの記述は単なる記憶違い」に関しては「公式の情報よりも自分の持っている記憶と情報の方が正しい」とされる根拠を示してください。例えば、公式HPに「記憶違いの訂正」を要求してみてはどうでしょう?その要求が受理され、訂正された時点でそれは「公的事実」として成立します。それらのプロセスを踏まずして「根拠」「原典」の無い編集を加える事を容認してしまえば、情報の捏造も容認してしまう事になり、wikipediaの正確性は失われます。
- 「寺山修司とJ・A・シーザー」については、まずはフリーペーパーがいつ配布された何のフリーペーパーであったのかの「原典」を示してください。以降の文脈からは、残念ながら例えば私には「舞台出演をきっかけに誕生したバンド」というだけの印象しか持てませんでした。(しかしながら勿論それは私にとっての「主観」でしかありません)また「流れを汲んでいる」という言葉はあまりにも曖昧で、多くの誤解を産む危険性があります。「論理必然的」と呼ぶにはあまりにも暴論で、客観的事実が足りない。
あまりにも否定的な意見ばかりを書いてしまいましたが、あなたがここに記述した内容の中には、公的な事実として残っている沢山の貴重な情報がある事は認めます。そしてそれはwikipediaに反映させるべきだとも思います。
しかしながらそれらは「客観的事実」として「出典/原典」を明記し、「客観的事実に基づく自身の主観」を極力排除の上、慎重に編集するべきなのではないでしょうか?
例えば、「寺山修司とJ・A・シーザー」については、「森永理科」の編集ページには「月蝕歌劇団」の活動項目があります。それは「情報」としては事実であり、重要な事だと思いますが「バンドも流れを汲んでいる」かどうかについては別問題です。その点については(あなたがそう思うのであれば)「私たちは寺山修司とJ・A・シーザーの流れを汲んだバンドです」という公式の発言、あるいは「function code();は寺山修司とJ・A・シーザーの流れを汲んだバンドだ」という旨の「公人であり著名な著作家が公式の媒体で公開した事実」を待つべきだと思います。
- プロデューサーのEURO氏が万有引力の公演にて音楽を担当し、とありますが、EURO氏がビジュアル系のプロデューサーとして担当して来た音楽についてはどうでしょう?
「論理必然的」に言うと「function code();はビジュアル系の流れを汲んだバンド」で良いでしょうか?
- function code();のCD「recursive call」の「Special Thanks」には「RYUICHI KAWAMURA」の名前があります。
「論理必然的」に言うと「function code();はLUNA SEAの流れを汲んだバンド」で良いでしょうか?
- 「中村亮」が天井桟敷〜万有引力のメンバーであると共に、80年代を代表するポジティブパンクバンド「AUTO-MOD」の重要メンバーであった事はご存知でしょうか?前述のCD「recursive call」の「Special Thanks」には、その「AUTO-MOD」のフロントマン「GENET」の名前もあり、さらにfunction code();はその「GENET」が主催するイベント「TOKYO DARK CASTLE」にも「function code(under);」名義で出演しています。
「論理必然的」に言うと「function code();はAUTO-MODの流れを汲んだバンド」で良いでしょうか?
- function code();のCD「carillon」の「Special Thanks」には「MOMOYO(Lizard)」の名前もあり、またfunction code();のメンバーが(5人中4人も)MOMOYOが主催するバンド「Gig AntiqueS」に参加しています。
「論理必然的」に言うと「function code();は東京ロッカーズの流れを汲んだバンド」で良いでしょうか?
どうでしょう?さすがに暴論を感じませんか?
私は「全ての芸術行為には多くの側面があり、芸術家自身に関わる多くの社会的経験を内包した物である」という考え方を持っています。
勿論それもまた私の「主観」による物です。
BEATLESの時代から、音楽ファンはアーティストの「FAMILY TREE」的な記事を楽しみに読んできました。私もその一人です。
「誰々は誰々の流れを汲む」という表現は、アーティストに取って重要かつ貴重なファクターです。しかし時としてそれは「売名行為」として揶揄される事さえ、あります。
個人の主観、思い込みに頼らず、あくまでも公式での発言や評論を待って、慎重に記載するべきではないでしょうか?
一個人の他者に対する思い、概念を「wikipedia上にて断言」する権利は、決してあってはいけないと思います。
ご自身の「表現の場(ご自身が管理するホームページやブログ、出版物など)」でどうぞ。
それが「公式の媒体」であれば、きっとその発言はwikipediaにも反映されるでしょう。
長々と書いてきましたが、これらの事は全てwikipediaの記事「中立的な観点」の中で、簡潔かつ的確に説明されています。そんなに長い文章では無いので読んでみてください。
最後に、今回「YUKI」さんが寄せてくれた情報に対しては、私は新発見の喜びと敬意を持っています。
バンドにまつわる記述が多いので「森永理科」ページではなく「function code();」ページに、例えば以下の様な記述を加えてみるのはどうでしょう?
- ボーカルの「森永理科」は『寺山修司とJ・A・シーザーの流れを汲む劇団「月蝕歌劇団」』の舞台でスカウトされた
(出典元の記載を忘れずに!)
- 改名前のバンド「function5」のギグにはJ・A・シーザーが主宰する劇団、万有引力の俳優たちが参加した。
(いつのギグで、中村亮以外の参加メンバーの名前も具体的に併記できるとなお良いと思います。)
- DVD「recursive call exclusive」の「SPECIAL THANKS」には「Banyu Inryoku」「Gessyoku Kagekidan」の名前がクレジットされている。
- CD「recursive call」の「Special Thanks」には「RYUICHI KAWAMURA」「GENET」の名前がクレジットされている。
- CD「carillon」の「Special Thanks」には「MOMOYO(Lizard)」の名前がクレジットされている。
function code();が何の、誰の、どういう流れを汲んだバンドであるのかは、公式の発言以外では「公式HPには書いていないこういう知識の積み重ねを元に」(受動側である所の)読者が各々の判断をするべきでしょう。
HEAVY METAL THUNDER 2007年6月5日 (火) 19:19 (UTC)
追記 (wikipediaガイドライン各記事へのリンク)
[編集]このあたりの記事を併せてご確認ください。
HEAVY METAL THUNDER 2007年6月5日 (火) 20:02 (UTC)
いろいろと
[編集]理屈をならべておられますが、それで本当に読者のプラスになるとお考えなのでしょうか。今の公式HPにはないから、とどんどん記述を削除していったのでは、いつまでたっても知識が集積していかないことになります。
音楽の知識が豊富なご様子ですが、それをもっとみんなのためにいかしてはどうでしょう。「公式HPにないから」、と、どうも執筆を自粛しておられるようで、残念です。オートモッドや東京ロッカーズについて、あなたが書き加えればいいではありませんか。音楽に詳しくない人にとっては、function code();を理解するための近道になります。
仰々しいタテマエ論をおっしゃるわりに、あなたが記事として引用しているのは、言ってはなんですが、どうでもいいネタばかりですね。そもそも、どんな目的で「執筆」なさったのか、ちょっと私にはわかりかねます。公式HPを見れば済むものばかりなのですから。
YUKI 2007年6月5日(火)21:19(UTC)
さてさて
[編集]あなたにはわからないかもしれませんが、「タテマエ」と「実際」は違います。実際にはだれかがウィキペディアに記事を出典なしで書きこんでも、ただちに削除、とはなりません。他のだれかが間違いを発見した時に初めて削除または修正、となります(そこが2ちゃんねるとは違います)。そのような手軽なシステムでないと、なかなか知識の幅が広がっていかない、と、みんなが知っているからです。現に、森永理科の声優関連の記述には出典など書いてありませんし、ウィキペディア全体のかなりの部分もそうですが、あなたはこの先、タテマエを振りかざしてそれら全てを削除していくつもりなのでしょうか。どんな反応が返ってくるか、見ものですね。 「出典がなければ削除」、というあなたの行動は、全く現実ばなれしています。むしろ、「削除するなら事実ではないという証明をしてみせろ」、というのが事実上のルールになっています。
もしかして、あなたはfunction code();がデビューするレコード会社の人なのでしょうか。タテマエ論はカモフラージュで、本当はバンドのイメージが悪くなるから「寺山、シーザー、アングラ」といった言葉を消去してしまいたい、と考えていらっしゃるのでは?だとしたら、それは杞憂、というものです。最近では、ALI PROJECTのようなアーティストがメジャーな成功を収めていますからね。バンドのカラーは、はっきりしていた方がいいでしょう。
さて。実のないおしゃべりにも飽きました。正直言って、お役人と話しているような感じです。あなたはご自分では「理にかなったことをしている」とお考えかもしれませんが、そもそもそれは、何のための「理」なのでしょうか。また、「理」を押し通すことによって、一体だれが喜ぶのでしょうか。あなたのやり口を野放しにしていたら、ウィキペディアはただ公式HPの後追いをするだけの、うすっぺらいものになってしまいます。それはひとつの文化の破壊であり、もったいないことだ、と私は思います。
やるとしますか。あなたは私をタテマエなど何とも思わない人間だと思っていらっしゃるでしょうが、「24時間ルール」は守ります。それと、前に「私は手を出さない」と書きましたが、「森永理科」と「function code();」の内容が重複する部分は、削除します。見る人に、関係者が書き込んでいるのではないか、という印象を与えかねませんし、暑苦しい感じがしますからね。あなたは、「それは主観だ」とおっしゃるかもしれませんが。
あなたは、オートモッドやリザードを聴いていらっしゃるのですね。タテマエを振りかざして相手を威圧しようとする交通違反取締りの警官のような態度。自分が知らなかったことはウソだと推定する傲慢さ。オリジナルの表現をそのまま使う鈍感さ。彼らが今のあなたを見たら、さぞかし悲しむことでしょう。私も長年ロックを聴いてきた人間として、あなたのことを残念に思います。ロックは、あなたに知識だけ残して、考え方や行動の仕方には何の影響も与えなかったのですから。私がロックから学んだのは、「本質を存在に先行させるな」、ということです。
私はあなたに、ご自分のなさっていることを見つめ直してもらいたい、と思っているんです。わかりますか?
YUKI 2007年6月6日12:30(UTC)
最後に
[編集]将来function code();が活動を停止し、公式HPもなくなってしまう日が、必ず来ます、残念ながら。その時あなたはどうしますか。公式HPがなくなってしまったから、という理由で、ウィキペディアの記事も消去してしまうのでしょうか。そんなことは、しないで下さいね。「公式HPにばかり頼るな」、というのはこういう意味も含んでいるのですよ。
YUKI 2007年6月9日8:39(UTC)