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利用者‐会話:HaussmannSaintLazare/過去ログ4

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2020年4月20日 (月) 18:44 (UTC)

フランス語[編集]

Grand Paris Expressはフランス語読みに改名しました。メトロポール・デュ・グラン・パリグランゼコールのようにGrandのカナ表記は仏語と英語では異なり、語学面が初歩レベルだったとしても、少しでも鉄道趣味に興味があるなら『北斗星_(列車)#食堂車「グランシャリオ」 (Grand Chariot)」などから容易に推察できるはずです。英語版やフランス語版はそれなりの分量で出典もあるのになぜ出典に乏しいエスペラント語版を翻譯元に選び、かつ無出典なのですか?短文でコンテンツ翻譯が楽だからですか?Citadisのときも申しましたが、最低限の知識もないまま安易に英語圏以外の記事(しかもコンテンツ翻譯頼み)に手を染めないでください。今後もこのような行為を繰り返すのでしたらコメント依頼を考慮することになります。--Tze Chiang Hao会話2020年4月12日 (日) 02:55 (UTC)

「グランドパリエクスプレス」にご加筆いただきありがとうございます。

ただ、あなたが利用者‐会話:HaussmannSaintLazare#フランス語に書かれたことを読むと、「ちょっと違う」と思うことがあるのでこのメッセージを書いています。

あなたは『最低限の知識もないまま安易に英語圏以外の記事(しかもコンテンツ翻譯頼み)に手を染めないでください。』と書いておられます。一見妥当な主張のように見えますが、実はかなりわがままな要求だということにお気づきでしょうか。というのは、何をもって「最低限の知識」とするかについて客観的な基準はないからです。つまり、Tze Chiang Haoさんが書いておられる「最低限の知識」というのはTze Chiang Haoさん自身がご存じのことということになり、Tze Chiang Haoさんのご意見は『自分が読んで満足できないような翻訳記事は作成しないでもらいたい』と主張しておられるのとほとんど変わらないと感じています。

それと、「コンテンツ翻譯頼み」という表現から判断したところでは、Tze Chiang Haoさんは機械翻訳とコンテンツ翻訳を使って翻訳記事を作成されたことがなく、この2つを使えば「安易に」翻訳作業ができると思っておられるようです。しかし、一度試しに作業して見られれば分かるように、mw:Content_translation/jaに書かれている『スムーズな作業が可能となる』というのは単なる目標あるいは宣伝文句に過ぎません。実のところ、機械翻訳とコンテンツ翻訳の馬鹿さ加減に半ば呆れ半ば腹を立てながら作業をしている状態です。そこまでして、なぜわざわざ機械翻訳とコンテンツ翻訳を使っているかというと、これらのツールを使うと「便利なこともある」からです。それと、しばらく使っているうちに、ある程度馬鹿さ加減がわかってきて、回避策がつかめてきたので、以前ほどは腹を立てなくなっているということもこれらのツールを使い続けている理由です。以上のような状況なので、いままでに、私がコンテンツ翻訳ツールを使って作成した記事のうちで手作業による修正を必要としなかったものは一つもありません。(なお、コンテンツ翻訳の中で行った修正作業は投稿記録に表れません、)

とはいうものの、基本的にコンテンツ翻訳ツールは有用なツールだと考えています。Tze Chiang Haoさんもお使いになってバンバンmw:Talk:Content_translationにバグレポートを書かれてはいかがでしょうか。

— --HaussmannSaintLazare(会話) 2020年4月13日 (月) 04:37 (UTC)、利用者‐会話:Tze_Chiang_Hao#「利用者‐会話:HaussmannSaintLazare#フランス語」について
  • 追加 コメント 当方の会話ページに寄せられたものへの返信を兼ねますが、コンテンツ翻譯は初版での履歴継承でミスをすることがないという以外メリットを感じませんし、自分がよく翻譯する中文から日本語は英文からのもの以上に精度が劣っていますので今後も一切使うつもりはありません。コンテンツ翻譯ツールは本文作成にはある程度寄与しますが、記事名の付け方には何も役立ちません。
  1. Grand Paris Expressは確かにGoogle翻譯では「グランドパリエクスプレス」としか出ませんが、そのまま記事名に採用して作成するのは手抜きでしかありません。"グラン・パリ・エクスプレス"や"グランドパリエクスプレス"で検索すればどちらが適しているか普通は分かると思いますが。
    1. 上記の再質問になりますが、GPEで英語や仏語ではなくエスペラント語を選擇した合理的な理由があるのですか?
  2. フランス国鉄X73900形気動車で「移動性の低い」(原文はpoor mobility、Google自動翻譯では『移動性の悪い』)という一見まともに見えておかしな日本語を数ヶ月も放置しているのはなぜですか?日本語の「移動性の低い」は通販サイトでの商品説明の一環では使われてはいるものの通常は動物などの生態系での文脈のほうが用例は多く、普通はバリアフリーなりアクセシビリティという単語を加えるか置き換えた文に直すはずです。
  3. デンマーク国鉄SE型電車でも現地通貨クローネを英語読みのクラウンのまま放置
  4. TER-GVの高速回線とは何ですか?普通は高速線、高速路線、高速回廊だと思いますが。
これら一連の記事で投稿後の文面推敲やWikipediaとしての最適化(Wikipedia:出典を明記する他)を怠ったまま別の新記事作成に移るのはコンテンツ翻譯を使いこなさず、むしろ使われていると思われても仕方ないと思いますが。翻譯記事の作業は翻譯元の文字列を単に自動翻訳で日本語にして終わりというわけではありません。翻譯元に(最低限の5W1Hの)出典が欠如していれば翻譯担当する者が記事作成時に追加するべきです。--Tze Chiang Hao会話2020年4月13日 (月) 12:50 (UTC)
  • 追加 コメント こちらの質問に対する回答はこの会話ページのこの節内でお願いします。他者の発言をそれ以外の者が編集することは基本的に禁止されているので、当方の会話ページに書かれたことはこちらに移動していただけますか?--Tze Chiang Hao会話2020年4月14日 (火) 15:14 (UTC)
何点か追加の質問・ご指摘をいただいたのでお答えします。

1.まず、いくつかの記事について「放置」というご指摘をいただいているので説明します。 私は、Wikipediaの基本的な考え方は「読者が間違いに気づいたら修正する」ということだと考えています。このことは、アカウントを作成しなくても直ちに編集を行えることに表れています。 そして、いったん投稿してしまえば、投稿者は自分の投稿について同一性保持権を主張できません。法律用語を使わずに言い換えると、他の人に書き換えられても文句を言うことはできません。 もちろん、あとで自分の投稿を含む記事を見返して修正することはあるでしょうが、その修正は、他の編集者がする編集と何ら違うものではありません。 したがって、Tze Chiang Haoさんが「放置」と指摘された「間違い」については、私が投稿してからTze Chiang Haoさんが気づかれるまでの間に、「誰も読まなかった」か、「読んでも間違いに気づかなかった」か、「間違いに気づいても修正する必要を感じなかった」かのいずれかということになります。 Tze Chiang Haoさんが指摘された4つの記事については 2020年4月13日 (月) 12:50 (UTC) 現在、「Tze Chiang Haoさんが間違いに気づいて修正された」(グランドパリエクスプレス)「(少なくとも)Tze Chiang Haoさんが間違いに気づいておられるが修正はされていない」(フランス国鉄X73900形気動車・デンマーク国鉄SE型電車・TER-GV)という状況で、いずれも、Wikipediaの想定内の状況であり、特に問題とする必要はないと考えます。

2.Grand Paris Expressの翻訳元として英語版、フランス語版ではなくエスペラント版をつかった理由を再度訊いておられるのでお答えします。英語版、フランス語版を翻訳元として使わなかったのは、この2つが「重い」と感じたためです。そこで、他の言語版を探したところエスペラント版に私が知りたいと思う情報がコンパクトに記載されていたのでこれを翻訳元として使いました。他の言語版についても検討したのですが、エスペラント版が一番優れていると判断したものです。この辺りは感覚の問題なので、Tze Chiang Haoさんが英語版、フランス語版の方が優れていると感じられるのならそれを否定するつもりはありません。また、先に書いたように「同一性保持権」は放棄しているので、Tze Chiang Haoさんが英語版あるいはフランス語版を元に新たに翻訳されて、私の作成した記事を完全に上書きすることにも何ら問題はありません。

3.エスペラント版には出典がないと書いておられますが、eo:Grand Paris Expressには「Eksteraj ligiloj」のセクションがあり、ここに出典が示されています。「Eksteraj ligiloj」を「外部リンク」と翻訳したので出典がないと誤解されたのでしょう。セクション名を「外部リンク」ではなく「参考文献」と翻訳する方が適切だったかもしれません。お気づきかどうかわかりませんが、この辺りの構成は言語版により微妙に考え方が違うようで、翻訳時に迷うところです。

4.最後の「これら一連の記事・・・」については長くなるので、後日お返事します。 — --HaussmannSaintLazare(会話) 2020年4月14日 (火) 02:07 (UTC)、利用者‐会話:Tze_Chiang_Hao#「利用者‐会話:HaussmannSaintLazare#フランス語」について
  • 返信 まず本来ならこちらで書かれるべき返信を引用という形でコピペしました。今後当方の会話ページではなくこの文の下にお願いします。
  1. まず基本的に出典というものを理解されておりません。出典は脚注節に示すものです。eo版ではReferencojに相当し、Eksteraj ligilojは外部リンクです。Referencojにある文献は駅番号に関するもので、駅一覧を省略している貴殿の翻譯ですと確かに必要はないでしょう。安易にエスペラント語の文字列を機械的に翻譯したがために英仏版で得られる出典がスポイルされ、結果的に脚注節を設けながら何も出典がない状態となり、それを放置している、あるいは故意に改善なき立項を行っていると判断しました。こちらが要出典としているのは路線がどう計画され、いつ着工され、いつ開業予定であるかなどといった基本的なことです。日本語版は脚注節に通常の<ref>タグを使用する出典を、書物や論文であれば別途参考文献節にそれらを列挙し、それらは文中の適切な範囲内で提示する必要があります。英語・フランス語には路線の5W1Hや車両の記述については過不足なく示されています。文章量の問題以上に出典の示し方の問題です。エスペラント語を合理的な判断で選擇したとしても元記事自体が路線番号以外に脚注として機能する出典がないサブスタブ記事でしかなく、それをそのまま日本語化されたとしても、標準未満のものにしか仕上がらないということです。重いという単語はコンテンツ翻譯機能のものですか?それとも単に気分的なものですか?長文をコンテンツ翻譯にかけることが重い(重苦しい)と感じるのでしたら、自分は英仏版の出典や参考文献を実際に閲覧して手書きで書くほうがマシと考えます。エスペラント語から翻訳してあの程度というのであれば、「グラン・パリ・エクスプレス 着工」などで検索すればそれなりの日本語論文やニュースサイトがヒットしますし日本語で一から組み立てるほうがまだまともな内容に仕上がると思います。
  2. 【「同一性保持権」は放棄しているので】云々を以って他の読者に改善を期待(実態としてはほぼ丸投げ)しておられるのでしたら親記事(事業者記事)、索引やポータルへの記載もきちんとなさってください。各記事のリンク元(ページの左側)を見れば分かることですが、ほぼ孤立しています(Wikipedia:記事を執筆する#百科事典としての体裁を整えましょうWikipedia:記事どうしをつなぐ)。自分はたまたま特別:新しいページを閲覧していたから目に留まっただけでそれ以上でもそれ以下でもありません。
  3. そもそもGPEについては加筆と呼べるに足る編集などをした覚えはありません。改名に伴って記事名と本文の齟齬を解消したのみです。--Tze Chiang Hao会話) 2020年4月14日 (火) 22:38 (UTC)(エラーが生じる部分を修正--Tze Chiang Hao会話2020年4月18日 (土) 01:11 (UTC)

Tze Chiang Haoさんへ

利用者‐会話:Tze Chiang Hao#「利用者‐会話:HaussmannSaintLazare#フランス語」についてに書いた私のメッセージを移動していただきありがとうございます。

なお、今後の私よりのメッセージは「引用」の形で書くこととします。

以下は2020年4月13日12:50付のTze Chiang Haoさんのメッセージへのお返事の続きです。 2020年4月14日15:14以降のTze Chiang Haoさんのメッセージへのお返事は後日投稿します。

Tze Chiang Haoさんは2020年4月13日12:50付のメッセージで『翻譯記事の作業は翻譯元の文字列を単に自動翻訳で日本語にして終わりというわけではありません。翻譯元に(最低限の5W1Hの)出典が欠如していれば翻譯担当する者が記事作成時に追加するべきです。』と書いておられます。このご意見と、Tze Chiang Haoさんが行われた2020年3月5日10:56付の高雄捷運シタディス電車の編集から判断して、Tze Chiang Haoさんは編集元の記事に問題があると翻訳者が判断した場合は、記事作成時つまり初版からその問題点を解決した翻訳文を投稿するべきであるとお考えのようです。

翻訳を機に、翻訳者が問題点と思う個所を修正すること自体を否定するつもりはありません。

しかし、その修正は初版ではなく第2版以降で行うべきであり、初版については翻訳者が考える問題点を残したままで投稿するべきであると考えます。

Tze Chiang Haoさんが行われた2020年3月5日10:56付の高雄捷運シタディス電車の編集を例として説明します。

この編集は初版ではなく第2版なので厳密には翻訳記事の作成に当たらないのですが、Tze Chiang Haoさんの考え方がはっきり示されているので、仮にこの版が初版であるとして私の意見を書きます。

この編集の要約にTze Chiang Haoさんは『高雄捷運のLRT車輛2世代目(元が翻訳に難ありなのでzh:高雄捷運環狀輕軌Citadis X-05 305系電聯車 2019年4月17日 (三) 22:21(CST))を自己翻訳・加筆しておいた手元草稿に書き換え。 』と書いておられます。

この版の文章量が11,764 bytesであり、一方私が翻訳作成した高雄捷運Citadis305電車2020年3月4日15:40版の量が4,547 bytesであることと比較するとTze Chiang Haoさんがかなり大量の内容を追加されたことが分かります。

追加された内容を批判するつもりはありません。

ただ、このような形で投稿されると、どの部分が翻訳元の記事から翻訳した部分で、どの部分がTze Chiang Haoさんが作成された部分であるかを調べることが容易ではありません。

もちろん、翻訳元の記事と作成された記事を比較すれば、Tze Chiang Haoさんが作成された部分がどの部分であるかを調べることは可能なわけですが、そのためには検証者が自分で翻訳文を作成する必要があり、容易とは言えません。

その点、もしTze Chiang Haoさんが単に翻訳しただけの文章をいったん投稿して、その後にご自分が加筆された文章を投稿しておられれば、どの箇所が加筆された箇所であるかを見分けることは容易です。

なぜこのようなことを書くかというと、翻訳者が翻訳元の記事に問題点があると考えたとしても、その問題点は翻訳元の言語版のコミュニティーで許容されているものであるのに対して、翻訳者が加筆した文章内に含まれる問題点は新たに発生したものであり、別に検証する必要があるからです。

翻訳者が翻訳元の問題点であると考えて修正した箇所が、実は修正ではなく改悪になっている可能性もあります。

翻訳とその後の加筆を別に示しておけば、加筆した個所は翻訳作業を行わずに日本語版だけで確認することができます。

また、翻訳修正を分けて示すことで、Tze Chiang Haoさんが指摘されたような翻訳の誤りも比較的容易に発見できると思います。

--HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月15日 (水) 04:37 (UTC)

  • 返信
    出典部分について
    • Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側ににあるとおり、必要な出典を揃えて示す責任は掲載を希望する執筆者、すなわち外国語版からの翻譯の場合はそれを担う貴殿にあります。「必要な出典」とは本来ならば言うまでもないことですが、路線でしたら沿革にまつわる事項(金額、事業主体、政府認可、入札、起工、開通、災害などによる不通)についての年月日や統計資料にまつわる数字全般、車両でしたら金額、主要諸元、事業者、製造者、製造・試運転・営業運転・改造・廃車時期にまつわる数字全般ということになります。日本語版に限らずどの言語版でもそれは共通のはずであり、他言語版で出典が不十分であればそれはその記事もその言語版のWikipediaにおいて検証可能性の基準を満たしていないことになります。日本語版の同分野の記事でもそういった基準を満たしていなければ {{要出典}} 、{{要検証}} 、{{}} 、{{出典の明記}} 、{{未検証}}などのタグが貼られ、それでも改善無き場合は無出典部分は除去されてしまいます。
    • 例えば「1945年以降を戦後」「昭和の東京オリンピック・東海道新幹線開通を1964年」、「今世紀のパリ五輪を2024年」など義務教育の教科書にも載っている、あるいは載るであろう事項ならば当該記事本体でもなければ脚注(refタグ)なしで記載するのは許容範囲かと思いますが。
    • 出典が十分に揃っている英仏版ではなく、あえてeo版を選擇して翻譯したのであれば、最低限の基準まで検証可能性を満たすのは貴殿の責務になります。
    • 翻譯元の真偽の判定がつかないとおっしゃっていますが、頻繁に荒らされそうな記事(例えば高輪ゲートウェイ駅や日本の政治家などで)嘘交じりで書いてあることを外国人が他の言語版に翻訳していたとしたらどう思いますか?真贋の見極めは記事本体ではなく記事となる主題そのものの検証可能性(=信頼できる情報源)でしかありません。それには当該事項そのものある程度を知っているか、信頼できる情報源を(日本語以外でも)自ら探せるかでカバーするしかありません。無知なまま作るなとまでは申しませんが、そういった検証可能性を高める姿勢が欠如あるいは意図的に軽視・無視しているように感じられたので改善のお願いとしてこう長々と書いているわけです。
  • 翻譯部分について
    • Citadisについてはまず比較的短文だったにもかかわらず、日本語がこなれていなかったことと中国語版自体が出典の示し方が基準未満だったことに尽きます。たとえば「列車は中国鋼鉄から授与され、その後の設計および建設作業はパートナーのAlstom Franceによって行われた」で正確な業務分担を説明できているとお考えですか?車両を建設するのですか?他にも無駄な横文字(レーンテスト、パートナー)、不適当な日本語(端面、荷降ろし)などもいかにも自動翻訳っぽい不自然さです。
    • 何度も言いますが、コンテンツ翻譯機能も含めて自動任せですと中→日は英→日よりも数段精度が落ちます。鉄道業界の固有用語であればなおさらです(車両の順序は〇番目ではなく、普通は〇両目や〇号車ですよね?)。ツールから出力された日本語文が日本語としてどうおかしいかすら気づけない、または疑うことなく記事として出稿してしまうのであれば怠慢と思います。日本語に不自由な外国人による自動翻譯記事がおかしなところだらけなのを過去に何度も見ていますが、外国語に不自由な日本語話者による不自然な日本語訳もまた別の面で異質であり、同様に看過できないということです。
    • もし自身で改善の意志があり、かつその間は他者に編集されたくないのでしたら、一般的に作成日以降3日から1週間程度は{{工事中}}タグを貼っておくことで回避できます。(しかしそれも半永久的に有効なものではありませんので、その猶予期間中に整った日本語と検証可能性を満たすという条件ではある意味での免罪符にはなります)そして初版時点で検証可能性を満たせない(他者へ丸投げを含む)のであれば、そもそも記事を作るべきではありませんし、手を付けない勇気も持つべきだと考えます。誰も貴殿一人に翻譯の責を負わせようとしていないのですから。Wikipedia:削除依頼/ログ/今週もご覧ください。悪意の有無にかかわらず、質と基準を満たさなければこういう手続きが執られるのです。中には翻訳記事の不備を理由とするものもあります。
  • 返信スタイル
    • {{返信}}を使えばわざわざ引用型式を用いなくても構いません。あと当方の会話ページに書かれたメッセージはまだ残っているのでご自身で除去してください。要約欄に「返信先間違い」と書いておけば不正な除去と見なされることはありません。24時間以内に除去反対表明を含めて何もなさらない場合は、合意したと見做してこちらでその返信部分のみ除去しておきます。--Tze Chiang Hao会話2020年4月15日 (水) 13:11 (UTC)
2020年4月14日 (火) 22:38 (UTC)にTze Chiang Haoさんが書かれたメッセージのうち主に「1.」についてのお返事です。

どうも、Tze Chiang Haoさんは、初版を作成することにプライドを感じておられ、その反映として、初版作成者には他の編集者と違う責任があるとお考えのようです。

このように考えるのは、Tze Chiang Haoさんがzh:user:Tze Chiang Haoに、ご自身が作成した記事を列挙しておられるからです。

しかし、私は新規に記事を作成することに、翻訳であれそれ以外であれ、特にプライドを感じていません。

単に、自分に興味がある事項に関する記事がないときに、「記事がないぞ」ということを主張するために作成しているにすぎません。

「○○の記事がないから作ってください」と書いたところで、おそらく誰も書いてくれないだろうから自分で作っているだけです。

翻訳により作成した記事が多いのは、特筆性の関係です。

自分でネット上の情報を取集して作った記事の場合、特筆性の問題を指摘される可能性があるだろうと考えているからです。

したがって、よっぽど特筆性について自信のある対象のある記事以外は作っていません。 一方、翻訳記事については、少なくとも翻訳元の記事について特筆性の問題が発生していないと考えられるので安心して作業ができるということになります。

新規作成後、あまり編集しないのは、他の方に関心を持っていただきたいからです。初稿作成者があまり頻繁に修正を加えていると、他の方が編集しにくくなって、「多くの編集者が少しづつ編集して妥当な記事を作成する」という私の考えるWikipediaのあるべき姿に反すると考えます。

実は、自分の作成した記事は、時々見回っています。主な目的は、誰かほかの方が関心を持ってくれているかという確認です。といっても、他の人が編集をされていればちょっと嬉しいし、追加の編集がなければ、「やっぱり誰も関心のない対象なのね」と思う程度のことに過ぎません。

他の利用者の編集を見て「?」と思うことがないではないのですが、「そういう考え方の人もいるかな」と思える時は、そのままにしています。例えば、Tze Chiang Haoさんがグラン・パリ・エクスプレス‎に{{出典の明記}}を貼られた編集についても私的には「?」なのですが、「そういう考え方の人もいるかな」の範囲なので特に戻すような編集はしませんでした。

上で書いた以外の事項についてのお返事は後ほど致します。

--HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月16日 (木) 05:50 (UTC)

  • 返信 話をはぐらかさないでください。今回は特筆性を問題視しておりません。特筆性の大小・有無にかかわらず検証可能性は必須ですので。【「記事がないぞ」ということを主張するために作成しているにすぎません。】は構いませんが、内容が事実でも出典がなければただの駄記事です。むしろ貴殿の方針無理解と出典軽視を問題視しているのがまだお分かりにならないようですね。エスペラント語を選んだことで記事内容がWikipedia:信頼できる情報源を満たさない事態になっています。また、翻譯であれば無条件に特筆性が担保されるかは分野次第です。【一方、翻訳記事については、少なくとも翻訳元の記事について特筆性の問題が発生していないと考えられるので安心して作業ができるということになります。】については明確に誤りです。まずは日本語版のガイドラインを熟読することをお勧めします。翻訳記事であっても特筆性なしとして削除される場合はあります。(例えば国政での議員歴や地方首長の経験のない単なる地方議会議員などは議員以外での活動で特筆性がなければこれに該当します。それはWikipedia:特筆性_(人物)#政治家を参照すれば分かることですが。)執筆する際は、初版であろうがなかろうが編集する者がその責を負う者であり、翻譯初版であれば免責されるかのような誤認はなさらないでください。空出典(脚注節が空)での新規立項は翻譯元がそうであってもそのままの状態で翻譯すればその執筆者が責任を負うのは当然です。【新規作成後、あまり編集しないのは、他の方に関心を持っていただきたいからです】も孤立した記事では誰も存在に気付きません。また、脚注節が空でありながら{{出典の明記}}を貼られることを疑問視しているようでは根本的にWikipediaに向いておりません。{{quotation}}も本来は他人の発言部分に対して使用するもので、自分の発言を混ぜては意味がありません。{{返信}}であれば通知が来るので今後はそれでお願いします。--Tze Chiang Hao会話2020年4月18日 (土) 01:11 (UTC)
前回のお返事(2020年4月16日 (木) 05:50 (UTC))でお応えしなかったことについて、お応えします。

まず、「返信スタイル」(2020年4月15日 (水) 13:11 (UTC)のメッセージ)の件ですが、他の方の会話ページに大規模な編集を加えるのはいささか気が引けるので、Tze Chiang Haoさんのほうでセクションごと除去していただけると助かります。「移動」と書いておられたので、ここに転記された時点で、すでに利用者‐会話:Tze Chiang Haoの方は除去しておられると思っていました。次に、こちらからのメッセージをすべて「引用」形式にしているのは、基本的に「見やすい」からです。通常の対話がインデントで行われていることを知らないではないですが、インデントの仕方にはいろいろ癖があり、中にはどんどん右の方へ文章が流れていく対話を見かけることもあります。それと比べると、片方(今回は私)の側の書き込みがすべて引用形式になっていると見やすいというのが、この書き方を続けている理由のひとつです。その他の理由としては、途中からインデントを使った形に変更するといささか不細工だし、かといってTze Chiang Haoさんが引用形式で書かれた部分をインデント形式に変更するのは煩雑だということがあります。さらに、私は今回の対話でTze Chiang Haoのメッセージを見るまで{{Qutation}}の存在を知らなかったので、次に使うときの練習をしておきたいということがあります。

2つ目に、2020年4月14日 (火) 22:38 (UTC)のメッセージで書かれた『そもそもGPEについては加筆と呼べるに足る編集などをした覚えはありません。』についてですが、私は「加筆」という言葉を「編集」あるいは「投稿」とほとんど同じ意味合いで使っているので、Tze Chiang Haoさんが行われたことは立派な「加筆」であるということになります。この表現が「?」ならば、これがよいと思われる言い換えをしてご理解いただければと思います。 他のご質問については今回同様後日お返事します。

ところで、Tze Chiang Haoさんのメッセージを読んでいて感じることなのですが、Tze Chiang Haoさんは私の書いた返事をお読みになっているのでしょうか。このように感じるのは、Tze Chiang Haoさんの書かれたメッセージが私の返事を受けたものになっていないように感じるからです。特に、2020年4月15日 (水) 13:11 (UTC)のメッセージで「自動任せ」などという表現を用いておられるのを読むと、「2020年4月13日 (月) 04:37 (UTC)のメッセージでコンテンツ翻訳の現状について書いたのになぁ」と感じてしまいます。あるいは、私の文章がだらだらと長いのでポイントがうまく伝わっていないのかもしれません。もしそうなら「だらだらと長いのでポイントがはっきりしない」とご指摘いただければ短く書くようにします。

--HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月17日 (金) 12:02 (UTC)

  • 返信 そうですね、翻訳や検証可能性のガイドラインへのリンクを張って一連の問題に対して指摘していますが、ダラダラと長文で返されるとはぐらかしている印象を受けます。
  • GPEについては結局RATPの路線群ですから、現状の出典がない状態ですとメトロ (パリ)に丸ごと転記(リダイレクト化)しても差し支えない内容ですし、3路線の個別記事をきっちり書き上げるほうが結果的によかったのかもしれません。
今回の件で問題なのは、私の作成した翻訳記事に修正可能な間違いがあったことではなく、そのことを理由にしてTze Chiang Haoさんが私に対して翻訳記事の作成をやめるように一方的に要求したことです。

そして、04:37, 13 April 2020‎ のメッセージでTze Chiang Haoさんの欲求がわがままな欲求であることを私が指摘したのに対して、Tze Chiang Haoさんはきちんと答えておられません。

私もうっかりTze Chiang Haoさんのメッセージにのせられてしまったのですが、Tze Chiang Haoさんは問題点をごまかしておられると思います。

そこで、もう一度お訊きしますが、Tze Chiang Haoさんはわがままな欲求であるという私の指摘をどのようにお考えなのでしょうか。

私の作成した翻訳記事の問題点を指摘することで逃げるのではなく、きっちりお答えください。--HaussmannSaintLazare(会話) 2020年4月17日 (金) 18:56 (UTC)
  • これに対しては誰もコンテンツ翻訳機能を絶対に使用するなとは言っていません。翻譯元が無出典(実際には駅番号部分のみ出典がありましたが)なのにそのまま必要な出典も付けずに記事化はやめてほしいということです。肝心の翻譯内容も使いこなせていない、かつサブスタブレベルの記事を濫造するのはおやめくださいということです。コンテンツ翻譯機能については井戸端などで散々問題視されております。問題点を認識して使うのは構いませんが、出力された記事を拝見すると結局貴殿が自動翻訳に引きずられてこなれていない日本語のまま標準名前空間に出しているので、ユーザーサンドボックス内でまず改善してから記事化すればどうかということです。しかし誤訳に気付けないということでしたらこの指摘は無駄ということになりますね。
  • 貴殿こそ信頼性および出典、検証可能性についてきっちり答えていません。外部リンクを張っておけばそれらを満たしたことになると思っていませんか?『〇〇年に計画され<ref>[URL 記事名] 配信日 媒体名</ref>、XX年に着工<ref>~</ref>、YY年に開業予定<ref>~</ref>。』という形で文章内に脚注節とつながるよう出典を付けてくださいということです。この程度であればエスペラント語からの翻訳文に出典として信頼できる情報源の日本語文献を付与することぐらいはできるでしょう?そういった基本方針の理解のないままに翻訳記事に手を出すのは時期尚早ということです。--Tze Chiang Hao会話2020年4月18日 (土) 01:11 (UTC)
Tze Chiang Haoさんはグラン・パリ・エクスプレスに{{出典の明記}}を貼られました。しかし、実はこのテンプレートのリンク先であるWikipedia:検証可能性を読んでおられないと判断しています。というのは、この文書にはWikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にというサブセクションがあるのに、Tze Chiang Haoさんはこの「側」という言葉を無視した主張をしておられるからです。一度このサブセクションの内容をお読みいただいた上、Tze Chiang Haoさんの解釈をお書きいただきたいと思います。--HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月19日 (日) 12:00 (UTC)
  • 返信 そこには【出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。】と書いてあり、こちらはあの水準でしたらむしろ削除依頼にかけていいとまで考えており、掲載を希望しておりません。文中の「執筆者・編集を残すことを希望する」とは元言語(eo版GPE)の各版の執筆者と日本語版では初版立項者である貴殿のことであり、出典の明記を満たす加筆を求めた当方ではありません。外部リンクだけ貼って、個別の文章に脚注をつけなかったのは貴殿です。eo版がなかったから日本語版でもなくてもいいとはなりません。つまり【Tze Chiang Haoさんはこの「側」という言葉を無視した主張をしておられるからです。一度このサブセクションの内容をお読みいただいた上、Tze Chiang Haoさんの解釈をお書きいただきたいと思います。】は貴殿がガイドラインを曲解しているか理解していないことに他なりません。貴殿が立項した翻訳記事でもない石鍋多加史にも同様の出典明記を要求するテンプレートがありますが、放置するのですか?出典節にある3つのリンクは外部リンク節に収めるべきものであり、本文内に<ref>タグで出典元を示したものではありません。だから他の利用者が要出典としたのでしょう。ここの会話欄で忠告している当方以外にも貴殿の記事に問題ありと見做している利用者がいることになります。貴殿が翻譯であれば無出典でも構わないと曲解(あえてこう言います)しているのは外国語版の記事そのものが出典となると思っていらっしゃるのでしょうか?しかしそれはWikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイト【自己参照となるため、ウィキペディアプロジェクトの記事自身やウィキペディアのミラー記事サイトを記事のソースとして用いてはなりません。同様に、ウィキペディアより発信された情報を無検証で拠り所としている内容を、同じウィキペディア記事の出典として用いないでください。】に抵触します。外国語版であってもWikipedia自身を参照するというのはNGです。つまりeo版GPE自体が全言語版共通で検証可能性を満たしておらず、その文字列だけを翻譯した日本語版の記事も検証可能性を満たさないということです。要するにガイドラインを読んでも貴殿は何も理解しておられないということはよくわかりました。--HaussmannSaintLazare会話2020年4月21日 (火) 02:44 (UTC)

返信 (Tze Chiang Haoさん宛) ご返答いただきありがとうございます。

質問を続けます。

Category:検証可能性関連のテンプレートの中には{{出典の明記}}の他に{{参照方法}}、{{脚注の不足}}などのテンプレートがあります。また、検証可能性に関係する文書にはWikipedia:検証可能性の他にWikipedia:出典を明記するHelp:脚注もあります。あなたはこれらのテンプレート・文書の違いをどのようにお考えですか。 --HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月21日 (火) 02:52 (UTC)

返信 (Tze Chiang Haoさん宛) どうも、かなり気分を害しておられるようなのでこのメッセージを書いています。Tze Chiang Haoさんは私がTze Chiang Haoさんの意見を全面的に否定(「×」)だと考えているとお思いかもしれません。しかし、決してそうではありません。確かにTze Chiang Haoさんのご意見で、「?」あるいは「△」と思っている点がいくつかあります。どうしても話題の中心がその辺になるので、全面的にTze Chiang Haoさんの意見に反対しているように感じられるかもしれません。しかし、それは、その辺を話の中心にしないと議論にならないからです。Tze Chiang Haoさんのご意見で「○」つまりその通りだと思うことはすでに同意しています。私はこの対話(議論)を楽しみにしています。また、この対話の中で、翻訳に関して気づいたことがあります。そのことについては、後ほどお伝えしたいと考えています。今後ともよろしくお願いします。 --HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月21日 (火) 08:16 (UTC)

  • 返信 自分もWikipedia:良質な記事に選ばれたものを参考にしたり、執筆プロジェクトの参加ルールを読むことを通じてそういったものを比較的短期間で覚えていきましたが、脚注節を空にするという最もやってはいけないことは初期から心得ていました。【あなたはこれらのテンプレート・文書の違いをどのようにお考えですか】については脚注・参考文献・外部リンクの違いはこれまで散々述べました。そんなことをこれ以上懇切丁寧にあなたに述べる必要はありません。知らないことは徐々に覚えていけばいいことですし、中には複雑なテンプレート引数を用いないと適切に表示されないケースもありますから、別に初回から各種テンプレートをフルに駆使して満点の記事を書けとは言いません(refタグは単にHTML構文であってテンプレートではありません)。自分も自分の記事が満点だったとは一度も考えたことはありません。テクニックの問題以前にガイドラインに対するあなたの理解不足・無理解を指摘しているだけです。一応コロナ関係では出典を伴う加筆はできてるじゃないですか。それらの記事冒頭に無出典が歓迎されないことを書かれたテンプレートがありますが、そういったものがなくても検証可能性は満たされるべきです。指摘されてもなお独力でガイドラインを理解できない、それに沿った執筆ができないからと言ってこちらが全て手取り足取り教えなきゃならないんですか?家庭教師じゃあるまいし、こちらはそんなことに時間をかけるほど暇ではありません。あなたこそ我儘な要求だと思いますが。求めていることは
  1. 質問に対して(出典の必要性についてあなたの理解に乏しい持論を展開するだけの)答えになってない回答は要らない、質問に質問で返さない(そういったことをもっと知りたいのであればWikipedia:井戸端や各ガイドライン記事のノート欄にて他の利用者にお諮りすればよいかと思われます。)
  2. ガイドラインに書かれていることの理解(現時点では読んでも分かってなさそうですが)
  3. あなたの既存の基準未達の新規記事に対して早急な改善
  4. 2.3.が終わるまでは新規で翻譯しない、再開するのであれば同じ間違いを繰り返さない、サブスタブ記事を濫造しない、(あなたの語学力から考えて)いきなり標準名前空間に出力するのではなくサンドボックスで何度も推敲を経て記事化する
に尽きます。【この対話(議論)を楽しみにしています】とは何でしょう?単に議論を長引かせたいだけであるならば、もうこちらとしては時間の無駄としか言いようがありません。#Tze Chiang Haoさんの要求についての【その他に翻譯記事の作成にあたってどのようなことが重要だとお考えですか。】を含めてこれ以上持論を開陳する必要性はないと考えます。--Tze Chiang Hao会話2020年4月21日 (火) 11:01 (UTC)

返信 (Tze Chiang Haoさん宛) 「ダラダラと長文で返されるとはぐらかしている印象を受けます。」と書いておられる割には結構長いメッセージですね。

それはさておき、質問を続けます。

Tze Chiang Haoさんはサブスタブという言葉を何度か使っておられます。そこで、サブスタブとは何か、スタブとは何かについてどのようにお考えか簡単にお応えください。もちろん、ご自身の考えを詳しくご開陳いただいても結構です。知らないなら「知らない」とお答えいただくだけでよいので、 2020年4月21日 (火) 11:01 (UTC) のメッセージのように「知っているけれども答えない」という答え方はしないでください。

なお、私はWikipedia:スタブという考え方は結構重要な考え方だと思っています。 --HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月21日 (火) 13:45 (UTC)

返信 (Tze Chiang Haoさん宛)

上記( 2020年4月21日 (火) 13:45 (UTC) )の質問をいったん撤回します。

少し形を変えて質問するのでそちらにお答えください。

なお、すでに回答を用意しておられるということならば、どうぞお書きください。

質問を続けます。

スタブと方針・ガイドラインとの関係について私の解釈を書くので、正しいと思われるかどうかお答えください。正しいと思われるなら、単に「正しい」とお書きいただくだけで結構です。間違っていると思われるなら、具体的に反論してください。先日も書いたように具体的に反論されないようなら「暗黙の了解」とみなします。

Wikipediaにはスタブという言葉があります。未完成の記事を意味します。その記事がスタブであることを示す{{stub}}などのテンプレートがありますが、このテンプレートが貼られている記事だけでなく不完全な点をもつ記事はすべてスタブです。

Wikipediaには各種の方針やガイドラインがあります。これらのうち記事の内容に関するものは、スタブを完成した記事に向けて編集するための方向性を示しています。

つまり、方針やガイドラインに合致しない点を持つ記事は{{stub}}などのテンプレートが貼られていなくてもスタブです。

検証可能性に関するテンプレート、例えば{{出典の明記}}などは、その記事が方針やガイドラインなどに合致しない点を持つ未完成な記事であることを示して、他の利用者に対して改善のための協力をもとめるテンプレートです。

まだ続きがありますが、長くなるのでこの辺りで一段落として、続きは後日。

よろしくご回答ください。

--HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月21日 (火) 23:43 (UTC)

  • 返信 まず{{返信}}は使い方が不適切ですと通知がきちんと飛びません。そんなに難しいことでもないのできちんとお使いください。{{stub}}は執筆者自身が使うこともでき、ガイドラインを満たしていても剥がさないという選択肢、最初から貼らないという選択肢もあります。ご自分で{{Rail-stub}}{{Rail-substub}}を表示させ文言の差を確認する、またはWikipedia:スタブ#役に立つスタブとサブスタブの例でもご覧になればどうですか?それに対して{{出典の明記}}などは執筆者以外の第三者が記事全体の不備に対して改善を要求するものです。PGEに貼り付けたことは何らおかしなことではありません。まれに初版立項者自身が{{出典の明記}}を貼り付けた記事を執筆するという方もいますが。
  • 【具体的に反論されないようなら「暗黙の了解」とみなします。】については明確に適用を拒否します。「回答に値しない質問には答えるに値しない」が現状ということです。あなたの姿勢や記事の不備については散々指摘しました。あなたがガイドラインを理解したとしても既存記事の改善に反映させなければ、あなたがここで自己解釈や持論を展開したところで指摘に対してはゼロ回答に等しいということです。そもそも回答を求める前に、先にあなた自身で記事を第三者からみて{{出典の明記}}を剥がすに値する水準に至るまで改善してください。対象は当方を含めた第三者により{{出典の明記}}およびそれに類するテンプレートが貼られた石鍋多加史デンマーク国鉄SE型電車グラン・パリ・エクスプレスでしょうか。これ以上無駄な質問を重ねそれに対する回答を迫るのであればWikipedia:コメント依頼にてあなたの編集姿勢を公の場で問うことになります。今後はこの下にこちらの質問に質問で返すような真似をされないようにお願いします。--Tze Chiang Hao会話2020年4月22日 (水) 13:04 (UTC)

返信 (Tze Chiang Haoさん宛) ←{{返信}}の使い方はこれでいいと思うのですがいかがでしょうか。(何分、自分ではうまくメッセージがそちらに行っているかどうか確認できないのです)

私としては、なるべくTze Chiang Haoさんの要望にこたえる形で対話を進めようとしているのですが、それではいけないのでしょうか。

質問ばかりで恐縮ですが、最初にお聞きしたいことがあるのでお答えください。といっても、抽象的な話ではなく、あなたがこれまでに指摘された「高速回線」などの「間違い」の修正についてです。ご指摘の通り「間違い」だと思います。しかし、いまのところ修正せずにそのままにしています。それは、これらの間違いを見つけたのはTze Chiang Haoさんのお手柄であり、それを私が修正するのはお手柄を横取りすることになると考えるからです。このように考えるのは、私自身がちょっとした間違いを見つけて修正することに喜びを感じているからです。Tze Chiang Haoさんはどうなのでしょうか。「HaussmannSaintLazareが修正するべきである」なり「自分で修正するからそのままに」なり「そのままにしておいて第三者にゆだねる」なりTze Chiang Haoさんが希望するようにしますので、どうぞご希望をお書きください。

さて、せっかく{{出典の明記}}についてのお考えをお書きいただいたので、これについて書きます。{{stub}}等についてはまた後日書きます。

私が、2020年4月21日 (火) 23:43 (UTC)のお返事で書いた『他の利用者に対して改善のための協力をもとめる』は、実は{{出典の明記}}の2行目に表示される『出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。』という文章を少し読み替えただけです。たしかに、今回のように説明いただければ、Tze Chiang Haoさんがグラン・パリ・エクスプレスに{{出典の明記}}を貼られた意図はわかります。しかし、執筆者を含めてあとから見る利用者にとっては、添付者が添付するときに心の中で考えていたことはわからないので、そのテンプレートで表示される文章が添付者の意図であるということになると思います。なお、いささか紛らわしいのですが、{{出典の明記}}はガイドラインWikipedia:出典を明記するに合致しないことを指摘するテンプレートではなくWikipedia:検証可能性に合致しないことを指摘するテンプレートです。(追加しました--HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月22日 (水) 16:26 (UTC))

最後に『質問に質問で返す』についてです。別にそのような意図はありません。Tze Chiang Haoさんのお考えを知ったうえで対話したいと思っているだけです。ただ、なるべくご要望にはお答えしたいとも思うので、これは一番重要だと思われる質問を一つだけお書きください。

よろしくお願いします。

--HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月22日 (水) 16:05 (UTC)

返信 (Tze Chiang Haoさん宛) 追加のメッセージです。

Wikipediaには{{出典の明記}}など記事の問題点を指摘するテンプレートが多数あります。

Tze Chiang Haoさんは、これらのテンプレートが執筆者に対して改善を求めるためのものであるとお考えのようです。

しかし、Tze Chiang Haoさんは、Wikipediaが、「匿名の利用者が協力して何かを作り上げていく」という仕組みであることを見落としておられます。

Wikipediaでは、「匿名利用者」という言葉がWikipedia:利用者#IP利用者を指す言葉として使われています。これはWikipediaによくある方言のひとつで、ごく一部の例外を除いて、Wikipedia:利用者#登録利用者も匿名であることに違いはありません。

なので、Wikipediaの利用者が今後も活動を続けるという保証はどこにもありません。

そのことを反映しているのでしょうが、記事の問題点を指摘するテンプレートは、執筆者に対して改善を求めるのではなく読者に対して記事の改善への協力を求める内容になっています。

私は、以上書いたことはWikipediaの「最低限の知識」だと思いますが、Tze Chiang Haoさんはそう思われませんか。

--HaussmannSaintLazare会話) 2020年4月23日 (木) 02:33 (UTC)