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利用者‐会話:Henon

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Henonさん、発散級数のノートではお世話になっております。収束/収斂の使用頻度についてのご指摘、どうも有り難うございました。僕の現状認識が正確さを欠いていたようようです。Henonさんの二つの発言に関しては、いずれについても強い共感を感じています。付け加えて発言すべきこともなく、今僕がしゃしゃりでても余り良い結果を生まない気がしましたので、こちらに書きこまさせていただきました。返信が遅くなったことをお詫びいたします。それでは、--働けよおっ 2010年8月13日 (金) 13:52 (UTC)[返信]

コメントありがとうございました。発散級数のノートではまだ議論が続きそうな感じですし、私と貿易風さんの二人だけで議論するよりも、多くの編集者の方々のコメントや意見表明があった方が有益だと思いますので、お気づきの点がありましたら、今後ともよろしくお願い致します。--Henon 2010年8月14日 (土) 04:34 (UTC)[返信]

現在進行の件[編集]

お世話になっております、白駒です。いつも丁寧な御対応に敬意を抱いております。私は私なりの考えがあって対応しておりますが、Henon さんの御心遣いを無碍にしてしまっている部分があるかもしれない、と思うと心苦しくもあります。ともかく、Henon さんにおかれましては、あまり細かいことに気を使わずに今後とも気楽に参加して頂ければと考え、メッセージを差し上げました。メールを差し上げようと思ったのですが、ウィキメールを有効にしておられないようですので、少々ぼかした表現になっていることをお許しください。--白駒 2010年10月25日 (月) 17:43 (UTC)[返信]

白駒さま。お世話になっております。お気遣いありがとうございます。
いささか見込み違いをすることが多く、今回の件でももう少し簡単に終息に向かう話なのかと勝手に思っていたので、ずいぶんたくさんやり取りをした挙句、相手にはあまり真意が伝わらなかったようです。あとで時間のあるときにあちらにも最後のコメントをしようかとは思っていますが、過去に類似の議論があったとのこと。お時間のありますときにでも、どのあたりの履歴を見てみるとそのあたりのことがわかるかお知らせいただければ幸いです。
いつでも気楽に参加しているので、今後ともよろしくお願いいたします。
追伸;試みにウィキメールを設定してみました。--Henon 2010年10月25日 (月) 19:17 (UTC)[返信]

発散級数の項目について[編集]

 こちらでは、発散級数の項のノートでのNGiraffeさんへのレスを書きます。

 まず個別の点について。

 2点目の指摘については誤解があるように思います。私が問題にしているのは、wikipediaにおける記事執筆一般の話ではありません。発散級数という項目に限定された議論です。この記事は、Anti-minさんというたった一人の編集者が翻訳したもので、日本語版においては他の誰も編集行為をしていなかった記事です。また、その記事中において「収斂」という用語をあえて用いていることからも、この語に対するこだわりを持っている可能性が高いと判断するのは自然ではないでしょうか。表記上の問題は内容上の問題に比べて記事の質という点ではより低位に属する話題だと思いますが、であればなおのこと、そうした表記上の変更が編集合戦を引き起こしてきた経緯があるということも「函数or関数」のガイドラインを見れば容易に推察されると思います(収斂と収束も例示の中に取り上げられています)。収斂→収束という用語の置換がたった一人の編集者であったAnti-minさんとの間で対立する可能性は高いと考えて然るべきではないかと私は考えます。であるならば、記事を変更する前にそのたった一人の編集者であるAnti-minさんと話し合う方がよかったのではないかと申し上げているわけです。

 複数の編集者が携わった記事であれば、ここの編集者がどういう編集傾向をもって編集してきたかを調べる必要は必ずしもないでしょう。(しかし今回はたった一人の編集者であり、その傾向は記事本文のみで容易に推測できるだろうということです。)また、表記上の変更が数多くの議論なり対立を生じてきたこともまた数学カテゴリで活動した期間が長ければ自ずと目にする話なのではないでしょうか。それは、NGiraffeさんの書かれている「記事を編集する際には毎回「記事の履歴を確認」「主要な編集者(群)を特定」「彼らの編集歴を調査」「それに合わせた編集方法(編集予告するか否か)の判断」というプロセスを課す」ということとはずいぶん開きがあると思います。少なくともそのようなことを主張しているつもりはありません。

 3点目の指摘については上と重なる部分もありますが、表記上の変更が対立を生む大きな要因のひとつであるということは、記事を編集する場合、特に長く数学関係の記事の編集に携わってきた方ならなおのこと良く認知されていることではないでしょうか。ましてや相手はたった一人の特定の執筆者なのです。まずはその方と話してみて提案が受け入れられればよいし、そうでなければ(記事を書き換えるのではなく)より大きなレベルで、数学カテゴリのルールとして追加するよう議論するという方がAnti-minさんの執筆を一定程度尊重しつつ、貿易風さんが重要と考えるテーマについて議論できたと思っているのです。(もちろん、ある編集が特段深刻な対立を生むとは考えられないケースもあり、その場合には予告なく、議論なしで変更しても問題はないと思います。いつでもそうしろと言っているのではなく、今回のケースでは十分に予見できたのではないですかと申し上げているのです。)

 ここまで述べてきたことが、「判断を要するような作業を投稿のプロセスに加え」ることにより、「Wiki ベースのプロジェクトに参加するための壁を無駄に引き上げ」ているということになるのでしょうか。

 4点目について。簡潔に記述できるということと「望ましい性質」に組み込めるかどうかは、少なくとも別の問題だと考えます。例に挙げられている総和法は、具体的な個別の問題にたいして特有の利点を持っている可能性が高く、それらが強力である理由を概括的に述べることが難しいのではないかと考えるからです。だとすればなおのこと「望ましい性質」から外れた強力な総和法が存在することに特段の記述と注意を与えることは百科事典としても有用なのではないかと考えます。

 最後に全体的な点について。  私は、「注意して然るべきであろう」という表現が百科事典にとって不適切な記述であるとか、「収斂→収束」の書き換えが「函数or関数」で提示されているガイドラインとは独立だと考える根拠が率直に言って良くわかりません。不適切な「編集者の意思」とは、「望ましい性質を満たさない例があることへ注意を向けること」自体なのでしょうか。また貿易風さんの提示する「収斂よりも収束が一般的である」とする論拠だけでは、ガイドラインとの独立性の根拠にはなっていなのではないかと思います。また、仮に一般的だとしても、だからといって機械的置換が好ましいかどうかとは別問題ではないかという点もあります。

 私が主張したいことは、記事を変更するなとか、編集合戦を起こしたことを反省しろということではなく、むしろ、該当記事を変更するよりも前に、「収斂or収束」では「収束」を使うことを推奨する(か否か)とか、「注意を促す記述は控える」(か否か)といった表記上の概括的な取り決めについて、数学カテゴリ全体で意見を募って合意形成を行う方が今後のためではありませんかということです。今のところAnti-minさんが編集活動を再開される様子がないならばなおのこと、今後同じような対立が起きることを防ぐためにもそうするべきではないのかということです。--Henon 2010年11月24日 (水) 14:07 (UTC)[返信]

NGiraffe です.
今回と同様の議論が先行して記事のノートで起こっていた,或いは Anti-min 氏の投稿傾向が事前に把握されていた,といった,つまりノートで提案するか否かを小さな手間で判断できた,という条件の下では Henon さんの御意見に異を唱えるものではありません.しかし今回の件で「こうなる可能性が高いことは事前に予測できていたはず」という主張には疑問があります.Anti-min さんの投稿履歴をチェックしてみましたが,今回の議論が始まるまで(2010年 7月下旬)に今回の激しい反応を予想させるような行為はありませんでした(説明なしに黙々と編集を重ねる方ではない,ということは感じました).「収斂」という用語の使用に関しても,それが書き換えられることを気にされる方なのかどうか,記事本文と要約欄だけから判断はできないと思いました(個人の感想なのでこのことについての議論は避けます).やはり,今回の件で事前に話し合う積極的な理由はないと考えますし,そもそもその判断のために記事の来歴を把握しておくべきだということ自体少々過剰な要求ではないかと思います.念のために繰り返しますが,先行する議論があるような状況では妥当であると思います.
議論が起こる可能性がある編集(どんな編集でも議論が起こる可能性は残っていますが)を行うときに,実際に手間をかけてでも投稿前に解決するか,顕在化してから対応することにして手間の節約を図るか,少なくとも二つの選択がありますが,編集に責任を持つ限りにおいて両者に優劣はありません.たまたま今回は後者が選択され,編集後に議論が起こってしまいましたが,だからといって非難されるいわれはないと考えます.(今回の議論での双方の主張を読むと,事前に提案したとしても似たような状況に陥ったのでは,と推察します.)
「4点目の指摘」への御意見については私の書き方が悪かったようです.私は「根拠を記述する」ことの適否について意見を述べたつもりでした.望ましい性質を持たないが重要な総和法が存在することは記載すべき価値があると考えます.NGiraffe 2010年11月27日 (土) 04:13 (UTC)[返信]