利用者‐会話:Iratume

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは、Iratumeさん、はじめまして! ウィキペディアの参加者の一人、Aphaiaと申します。ウィキペディアへようこそ!

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Iratumeさんが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しております。Iratumeさんが、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、ご存知のことばかりをご案内したかもしれません。不明をお詫び申し上げます。--Aphaia 2007年2月2日 (金) 15:26 (UTC)[返信]

ありがとうございました。--Iratume 2007年2月10日 (土) 10:02 (UTC)[返信]


プレビュー機能のお知らせ[編集]

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。(詳細画像

こんにちは。ウィキペディアへのご寄稿ありがとうございます。Iratumeさんが同じ記事に対して短時間に連続して投稿されているようでしたので、プレビュー機能のお知らせに参りました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。

これを使うことで

などをあらかじめチェックし、修正してから投稿していただくことにより、同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点については、同じ記事への連続投稿を減らすの項目に説明がありますので、よろしければお読みください。また、ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますので、あわせてお読みいただけると幸いです。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--釣本直紀 2008年9月22日 (月) 06:20 (UTC)[返信]


申し訳ありません。もちろんプレビュー機能は使っているのですが、そのときは「これでいい」と思い、投降した後に細部が気になって直しの繰り返しになっています。これまでの他の投降についてもそうでして、ライターとしての長年の癖です。できるかぎり気をつけるようにいたしますが、どうかご理解いただけますよう、お願いします。--Iratume 2008年9月22日 (月) 06:29 (UTC)[返信]

それに付け加えまして、言い訳をさせていただきますと、自分が立ち上げた記事でしたら、あらかじめ下書きしておいて、いっきにあげる形になりますから、細部の手直しも少なくてすみます。しかし、もともと簡単な記事があり、それをもとに膨らませる投稿の場合なのですが、自分でも、どこまで膨らませるか迷いながらの投稿で、しかも作業は長期間にわたります。専門の歴史学者ではありませんので、さまざまな資料をつきあわせて、どれをとりどれを捨てるのが適当なのか、判断にも時間がかかります。そして、当初、もとの記事にそって膨らませていたものが、記事の整合性をとるために、自分の投稿部分の表現も変えていく必要が出てきます。さらに、いっきに作業を終える時間はとれないため、次の作業までに間が開くことになりますと、それまでの投稿のみで、とりあえず整合性をつけておく必要があります。そういった作業を繰り返して、自分の知識の範囲ではここまでだろう、というところまできたとき、もう一度、全体の整合性が非常に気になってくる、という次第なのです。もちろん、それの上に他の方が自由に書き加えられることは承知しているのですが、それでも一応、自分なりの整合性はつけておきたい性分なのです。ご理解くださいませ。--Iratume 2008年9月22日 (月) 07:09 (UTC)[返信]

投稿参考画像[編集]

朝鮮人民義勇軍[編集]

抗日パルチザンにお詳しいようですが、朝鮮人民義勇軍についてご存知ですか?通化事件に関わっているのですけど、パルチザンの名称や組織は複雑でどれがどれだかよくわかりません。あと、私が目を通している限りの通化事件に関係する資料では八路軍の司令官について劉司令とあるのですが、劉司令は劉少奇だと思うのですがご存知ですか?--Chichiii 2009年8月24日 (月) 14:54 (UTC)[返信]

そのー、実はこちらも付け焼き刃でして、金日成関係の本はそれなりに読んでいたのですが、なにがなにやらさっぱりわけがわかっていませんでした。自分のブログの方の関係で金擎天を調べることになり、佐々木春隆(陸士卒、元自衛官だった方です)の「韓国独立運動の研究」を買って読み、ようやく大筋がつかめて、他の本の内容も頭に入りました。「韓国独立運動の研究」は、主に日本側の史料によって書かれていまして、近年発表されている中国側資料の内容は盛り込まれていませんから不正確な部分もあるんですが、系統立てて、非常によくまとめられた本です。ただ、中国軍についてはほとんど触れられていませんし、日本の敗戦以降のことも、ほとんど出てきません。
実は私も、通化事件の項目に「朝鮮人民義勇軍(李紅光部隊)」とあるのを見まして、???となっていて、なにによったのかお聞きしたかったんです。といいますのも、抗日パルチザンに書きましたが、李紅光は東北抗日聯軍の前身、東北人民革命軍の隊長で、日本側は女将軍と誤認したのですが、れっきとした朝鮮人男性で、1935年、東興事件直後に死んでいるんです。
しかし、今回検索をかけて、朝鮮族ネット[特集]忘れ得ぬ通化“2.3”暴動平定戦闘を見つけてわかりました。最後の方に書いています。「1946年 2月 23日、通化市各界の人民は、抗日連軍第 1軍総指揮で政治委員である楊靖宇と李紅光、及びその他の 革命先烈たちを追悼する追悼会を開いた。 遼寧軍区の指導者たちが参加したこの会議では、通化支隊と朝鮮義勇軍 南満 1支隊をそれぞれ東北民主連軍遼寧軍区・楊靖宇支隊と李紅光支隊と名付けた」
で、李紅光支隊と呼ばれた「朝鮮義勇軍 南満 1支隊」ですが、「1945年 11月 10日、瀋陽の小学校に武亭司令官によって設立された朝鮮義勇軍南満第一支隊」とありますね。佐々木春隆氏の本によれば、金武亭は「長征に参加してただ一人生き残った」といわれているそうです。おそらく、なんですが、武亭が司令官ということは、朝鮮義勇軍の核となったのは、朝鮮義勇隊の左派であり、後の北朝鮮の延安派です。これについては、日本側の資料がほとんどないそうで、300名ほどの小部隊だったと佐々木氏は推測しているんですが、義勇軍となるときに、新たに朝鮮族から人数を募ったんじゃないでしょうか。
劉司令については、さっぱり存じません。中国軍についても勉強しなければ、と思ってはいるんですが。--Iratume 2009年8月24日 (月) 16:46 (UTC)[返信]
満州国の警察部隊なんですが、ほとんどが中国人、朝鮮族で、東北抗日聯軍からの投降者も多数いました。第一路軍第一師の師長・程斌は部隊ごと投降していて、確か、通化の警察隊に属していたんだと思います。第一路軍司令官・・楊靖宇を追った澤地久枝の「もうひとつの満州」によれば、程斌部隊は日本の敗戦後、なにくわぬ顔で八路軍に加わり、日本人虐殺にかかわったのだそうです。日本人虐殺がどういうものかは書かれてないんですが、あるいは通化事件では、と思います。1950年代になって投降した過去が問題になり、粛清されたそうですが。程斌は中国人ですが、朝鮮人投降者も多かったわけでして、義勇軍には、そういう人々も加わっていた可能性があるんじゃないでしょうか。--Iratume 2009年8月25日 (火) 02:04 (UTC)[返信]
すみません。「もうひとつの満州」を見返してみましたら、通化警察庁長官・岸谷隆一郎の配下にいた程斌は、楊靖宇の討伐に加わった後、岸谷の熱河省転任にともない、部下とともに承徳市へ行っているのだそうです。終戦の時、岸谷は一家で自決したそうで、その後、程斌は「日本人捕虜の大量虐殺を土産にして北京の近くで八路軍に入り」だそうです。吉林の出身だそうですので、通化事件にかかわってないともいえなそうですが、可能性は低いかも、です。しかし、満州の警察部隊に東北抗日聯軍からの投降者は多く、朝鮮義勇軍に加わった可能性はあるのでは、と思います。--Iratume 2009年8月25日 (火) 08:31 (UTC)[返信]
たくさん調べてくださってありがとうございます。ただ、朝鮮族ネットについてはやや懐疑的です。私が参照した資料とは日付が大きく異なるところが多いこと、それから文面が朝鮮義勇軍の礼讃記事で埋め尽くされて真偽が疑わしいこと。中共側の犠牲者は中国側の調査でも二十数名だったはずですが、百名以上殺害されたなどとしているところや、中国人による中共軍についてはほとんど触れていませんよね。あと、日本軍の航空隊は中共軍に協力していて蜂起には一部の人間を除いて加わっていません。むしろ、事前に密告したとも記されているものもあります。それに、彼らはその後も何年にもわたって中共軍の航空隊養成に協力しています。どう考えてもおかしいですね。おそらく、北朝鮮とかで事件をもとに書かれた小説から引いてきているように思います。北朝鮮の建国神話などもあるだろうし、朝鮮系の資料は難しいですね。そもそも数百人しかいない部隊で、その後の北朝鮮内の粛清や朝鮮戦争で生き残ったひとが何人いるかも分かりませんから、抗日パルチザンについては正確な資料はないのかもしれませんね。--Chichiii 2009年8月25日 (火) 10:01 (UTC)[返信]
朝鮮族ネットなんですが、李紅光部隊の名の由来と、武亭が司令官という部分は、あってるんですよね? 通化事件の資料は読んだことがありませんが、朝鮮族ネットの他の内容については、おっしゃる通りだと思います。朝鮮独立運動関係でも、かなりおかしな内容が多かったですから。ただ、中共側資料とくいちがうんですか? 意外でした。おかしなところは中国側資料がそうなんだろう、と思っていたんです。「楊靖宇支隊と李紅光支隊と名付けた」あたりから、中共側資料なのかな、と。ちょっとびっくり、です。--Iratume 2009年8月25日 (火) 15:05 (UTC)[返信]
私のページへの新たな情報ありがとうございます。ちょっと調べてみんですが、中国側の資料では26名の犠牲者というものとは別に病院で大勢殺傷されたとの証言もあるみたいです。ただし、その証言以外には病院の件は触れられていないから微妙です。日本側の参加者が1万人以上だとかの誇張もあるようです。朝鮮人民義勇軍の件につきましてはIratumeさんのご指摘が正しいみたいです。通化事件は資料によって書いてあることが異なるので、微妙ですね。事件の外観については手っ取り早くは紙田治一 遺稿【通化事件】 医師・紙田治一の記録が分かりやすいです。紙田治一さんはその後の国共内戦にも従軍させられたときのことも手記として残してありますから、知らなかったことばかりでびっくりです。それから中共の司令官は劉少奇ではなく劉東元なる人物のようです。通化事件についてはそうとうな分量になると思いますので時間をかけてじっくりと書いていきたいと思います。
しかし、戦後は戦後じゃなかったんですね。アジア各地で日本人は戦争を続けていたようですね。以前、ベトナムについて知った時もびっくりでした。世間ではインドネシア独立戦争以外は知られていないようですね。--Chichiii 2009年8月26日 (水) 12:03 (UTC)[返信]
延辺朝鮮族自治州の初代州長は、朱徳海で、彼は 朝鮮人民義勇軍第3支隊(北満)の政治委員だった人だそうです。おそらく、中国側資料といっても、朝鮮族には朝鮮族の資料があって、手柄を誇る感じで、誇大になっているのではないんでしょうか。なにやら、検索しているうちに、朝鮮族の小説家・金学鉄が朝鮮義勇隊を題材にして自伝的小説を書いている、というような話にもぶつかりまして(「激情時代」の女性たち)、北朝鮮ではなく朝鮮族の間で、おっしゃるように小説になっていたりするのかもしれないですね。
ベトナムの元日本兵については、昔、ベトナム戦争が終結する以前に書かれた司馬遼太郎のルポを読んだことがありまして、インドネシアと同じで、戦後の南ベトナムへ日本企業が進出するとき、ずいぶん助けになっていた、という話だったんですけど、南ベトナムが消滅してから彼らはどうしたのだろうと、ずっと気になっています。--Iratume 2009年8月27日 (木) 07:11 (UTC)[返信]
取り急ぎ劉東元を作成しました。まだ全然書いてませんので、詳しくはリンク先の中国共産党新聞を読んでください。ベトナムについてはいくつか作成しました。クァンガイ陸軍中学などをご覧ください。ベトナムの場合は、インドネシアなどとは違ってフランス軍を追い出した後は、共産化するにつれて中共軍の軍事顧問団に切り替えて、日本人は送還されたそうです。ですので、ベトナムに家族が大勢残されているそうです。--Chichiii 2009年8月27日 (木) 09:14 (UTC)[返信]
北ベトナムにおける元日本兵の扱いなど、まったく知りませんでした。ありがとうございます。実は抗日パルチザン朝鮮義勇隊のことも書くべきではないのか、と思わないでもなかったのですが、「たいした活動はしてなさそうだ」と、やめていました。朝鮮義勇軍につながるのならば、書くべきかもしれないですね。しかし、福沢諭吉で疲れてしまいました(笑)。書きたいものは多いのですが、なかなかです。通化事件は、楽しみにしております。私は、尼港事件をなんとかしたい、と思っているのですが、ロシア側の資料が私には読めませんで、翻訳された本があるみたいなんですが、古書店にも近くの図書館にもなく、まあ、じっくりと、と思っています。とりあえずは、長い間途中で放っている君が代かな、と。--Iratume 2009年8月29日 (土) 18:01 (UTC)[返信]
尼港事件に関しては公文書館に大量の資料が残されています。わざわざ公文書館まで行かなくても、ネット上で閲覧できるものだけでも相当な量がありますのでよろしければ閲覧してください。昔は公開されていなかった一次資料ですから、下手な出版物を見るよりも正確なものが得られると思います。--Chichiii 2009年8月30日 (日) 08:21 (UTC)[返信]
福澤諭吉の編集ありがとうございました。大変素晴らしいものになっていると思います。朝鮮語版金玉均へのリンクだけ落としました。--Chichiii 2009年8月30日 (日) 08:27 (UTC)[返信]

利用者ページのカテゴリについて[編集]

こんにちは。Iratumeさんの利用者ページ「利用者:Iratume/作業場」ですが、Category:ロシアの都市など通常記事(標準名前空間)で使うことが想定されているカテゴリが複数、付与されています。そのため、カテゴリページにてIratumeさんの利用者ページが表示されてしまっています。利用者ページには通常記事と同じカテゴリは付与しないことになっていますので、Wikipedia:利用者ページ#カテゴリ、テンプレート、リダイレクトを参考に利用者ページのカテゴリを<!---->で囲んでコメントアウトするなどの対処をお願いします。

1週間ほどお待ちしても対処いただけなければ、不躾ながら利用者ページを他の利用者が直接修正させていただく場合もありますので、ご容赦ください。--Keruby会話2020年4月6日 (月) 09:44 (UTC)[返信]