利用者‐会話:JuthaDDA/ふたりのイーダの編集について
ふたりのイーダの編集について
[編集]こんにちは。いつも精力的な編集活動お疲れ様です。さて、JuthaDDA さんは先頃ふたりのイーダの出典情報を補完する編集をしておられましたが、JuthaDDA さんは実際に中島(1985)の論文、すなわち(中島チエ「松谷みよ子『ふたりのイーダ』作品研究」『筑紫国文』第8号、筑紫女学園大学短期大学部、1985年。)を読んで、確かにこの論文の該当ページが出典であることを確認された上で修正されたのでしょうか。もしそうであれば以下は無視してください。
たしかに私も、中島(198)は中島(1985)の誤りであろうと、推測はしましたが、当論文はネットでアクセスできず、すぐに確認はとれないので、GA選考で指摘して執筆者自身に修正してもらうつもりでした。今回は「中島」という著者による文献は一つしか挙げられていないので、中島(198)は中島(1985)の誤りであろうという推測はまず間違いはないように思えますが、それは確実ではありません。もしかしたら「中島(198*)」と略記できる別の文献を参照していて、書誌情報だけ書き忘れた、という可能牲も考えられなくもありません。あるいは、まったく別の文献を参照していたのだが、{{Sfn}}タグのコピペを繰返しているうちに間違えた、ということもありえます(長めの記事を編集しているときはありがちなミスです)。こういった事情は通常はその部分を執筆した者しかわからないものです。したがって、この種の瑕疵は、自分で当の文献を実見して確認するのでない限り、たとえ何をどう間違えているのか明らかであるように思えても、自分で勝手に判断して修正するのではなく、必ず執筆者に問い合せて執筆者自身に修正してもらうようにしていただきたいと思います。--Loasa(会話) 2021年4月22日 (木) 01:21 (UTC)
- 返信 (Loasaさん宛) ご指摘いただきありがとうございます。正直申し上げると、今回の訂正は少々迷った上で行ったものです。私も普段は自身で確認できなかった場合は、
{{full citation needed|date=2021年4月}}<!-- 参照先が参考文献節に見当たらず -->
などというかたちで、当該資料を追加された方ご本人に修正していただくようにしております。それ以外でも、たとえば文献に直接当たらずISBNなどを追加するといった場合も、ソース内コメントにその旨を明示するようにしております(例: ジェームズ1世 (イングランド王) )。しかし今回の場合は、立項から日が浅くGA選考中という事情もあるためご本人が直後にご確認される可能性が極めて高く、さらに当該編集者の方は感謝機能を多用される傾向があるため修正が正しかった場合レスポンスがあることも期待でき、またNDLおよびCiNiiで「中島 ふたりのイーダ」を検索してもほかに該当する文献が見当たらなかったことなどを総合的に勘案し、段階を踏まずに直接修正したもののになります。その上で最低限の検証可能性は満たせるよう、要約欄にも修正内容を記入しております。こういった場合にも原則どおりはじめに述べたような手順を踏むべきかというと、少々疑問に感じます。 - もっとも、以上のような例外的な判断であることは私自身にしかわからないことであり、また始めに私自身も迷ったと述べたように判断の分かれそうな例ではありますので、上記の説明にご同意いただけないようでしたら今後の編集では改めようかと思います。--Jutha DDA(会話) 2021年4月22日 (木) 02:17 (UTC)
- ご説明ありがとうございます。しかし、NDLやCiNiiで該当しそうな他の文献が見当たらなくても、上述のように、そもそも参照文献を間違えていた、という可能性もあります。また、当記事執筆者の応答状況についても存じておりますが、それをもってして修正の正しさを確認するというのは、あくまで他人頼みの不確実な方法であり、確実でない重要な修正を不確実な手段で確認するようなことはすべきではありません。執筆者の応答の速さに期待するのなら、むしろGA選考もしくは当該記事か執筆者のノートで指摘すべきです。私もいささか原則主義的な傾向があることは自覚しておりますが、杓子定規と言われようと、このような事例は原則どおりの手順で修正すべきことと考えます。よろしくお願いいたします。--Loasa(会話) 2021年4月22日 (木) 03:35 (UTC)
- 返信 (Loasaさん宛) ご返信いただきありがとうございます。今回の判断は私にとってもほかの利用者の方にとっても手間のかからない方法ではないかと考えてのものでしたが、このようにLoasaさんのお手を煩わせている時点で、判断が甘かったかなと感じております。今回ご指摘いただいた点も含め、出典周りはもう少し細かく対応することにしたいと思います。--Jutha DDA(会話) 2021年4月22日 (木) 04:21 (UTC)
- 当該記事の初版投稿者です。何となく検索していたら、こちらの会話に辿り着きました。元はと言えば私の誤りが原因で、このようなお騒がせする事態に発展してしまい、大変申しわけありませんでした。JuthaDDAさんのご修正箇所、作者が語る本作の制作背景は『筑紫国文』8号(1985年)の中島チエ氏著「松谷みよ子『ふたりのイーダ』作品研究」p55-56、「推理小説同様には再読すると興味が失せる」との指摘は同書のp56-58で間違いないです。JuthaDDAさん、ご修正ありがとうございました。今後より一層注意を払いますが、もし誤りが見受けられ、判断にお困りでしたら、ノートや会話ページでお教えいただけましたら、責任をもって対処する所存です。よろしくお願いいたします(正直、感謝機能を多用しているところまでご覧になっていて驚きました……汗)。--逃亡者(会話) 2021年4月23日 (金) 08:41 (UTC)
- 返信 (逃亡者さん宛) ご叮寧にありがとうございます。私も同様のミスはしょっちゅうしており、また私の判断が甘かったという部分が大きいと感じており、Loasaさんのご指摘にも悪い印象は抱いておりませんので、お気になさらないでいただければと存じます。今後とも宜しくお願い申し上げます。--Jutha DDA(会話) 2021年4月23日 (金) 08:49 (UTC)
- 当該記事の初版投稿者です。何となく検索していたら、こちらの会話に辿り着きました。元はと言えば私の誤りが原因で、このようなお騒がせする事態に発展してしまい、大変申しわけありませんでした。JuthaDDAさんのご修正箇所、作者が語る本作の制作背景は『筑紫国文』8号(1985年)の中島チエ氏著「松谷みよ子『ふたりのイーダ』作品研究」p55-56、「推理小説同様には再読すると興味が失せる」との指摘は同書のp56-58で間違いないです。JuthaDDAさん、ご修正ありがとうございました。今後より一層注意を払いますが、もし誤りが見受けられ、判断にお困りでしたら、ノートや会話ページでお教えいただけましたら、責任をもって対処する所存です。よろしくお願いいたします(正直、感謝機能を多用しているところまでご覧になっていて驚きました……汗)。--逃亡者(会話) 2021年4月23日 (金) 08:41 (UTC)
- ご説明ありがとうございます。しかし、NDLやCiNiiで該当しそうな他の文献が見当たらなくても、上述のように、そもそも参照文献を間違えていた、という可能性もあります。また、当記事執筆者の応答状況についても存じておりますが、それをもってして修正の正しさを確認するというのは、あくまで他人頼みの不確実な方法であり、確実でない重要な修正を不確実な手段で確認するようなことはすべきではありません。執筆者の応答の速さに期待するのなら、むしろGA選考もしくは当該記事か執筆者のノートで指摘すべきです。私もいささか原則主義的な傾向があることは自覚しておりますが、杓子定規と言われようと、このような事例は原則どおりの手順で修正すべきことと考えます。よろしくお願いいたします。--Loasa(会話) 2021年4月22日 (木) 03:35 (UTC)