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利用者‐会話:Kenryu

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御指摘について[編集]

こんばんは、Kenryuさん。御指摘ありがとうございます。

  • 「三代伝持の血脈」について…すみません、誤記です。
    • 「法脈…法然⇒親鸞⇒如信⇒覚如、血…親鸞⇒覚信尼⇒覚恵⇒覚如」の記述は誤りでした。「血脈」を「血」と記述すべきでした。(参考文献:『うちのお寺は真宗大谷派』坂東 浩 監修〈2005年発行〉)
    • とりあえず、「真宗大谷派」と「覚如」の項は編集しました。まだ、問題があるようでしたら御指摘ください。


  • 「弘安3年、(中略)大谷廟堂の法灯を継ぐ。」…この記述は、『真宗辞典』(法藏館、2000年、ISBN 4-8318-7012-9)を、参考にしました。
    • 以下はその部分です。「弘安三年、叔母覺信尼及びその子覺惠に迎えられて本願寺第二世の法燈を繼いだ。しかし、(如信)上人は本願寺の寺務は殆ど覺惠に委して、自らは陸奥國に入つて同國大網に願入寺を創し、ここに住した。」(『真宗辞典』605頁より引用
    • 本願寺二世という表現は、三世覚如の時代までは適当ではなく、留守職も継承していないので、「大谷廟堂の法灯を継ぐ」と言う表現にしました。
    • 弘安3年当時の留守職は覚信尼なので、「寺務は、そのまま覚信尼と覚恵に委ね」としました。
    • 願入寺自体も、如信の代では「草庵」に過ぎず、寺院化したのは二代後の空如(如信の孫)の代との事なので、記述しませんでした。(参考:大洗町商工観光課ホームページなど)
    • 「如信の大谷廟堂継承」という意味での記述では無かったのですが、誤解を招く表現だったでしょうか?もし、他に適当な表現を、お持ちでしたらご指導お願いします。--Resto1578 2008年3月4日 (火) 13:34 (UTC)[返信]

記述を除去する際の作法について(お願い)[編集]

こんにちは、Resto1578です。

「大谷祖廟」がWikipedia:編集合戦を理由に1年の全保護がかけられました。私としても、「合祀式=具会一処方式」などの記述は、出典を明記されない限りWP:NORであり、Kenryuさんの編集を指示支持します。

ただ、他の利用者が書かれた記述を、何の説明もなく除去するのは、どうかご遠慮頂けないでしょうか。このまま「大谷本廟」も、同様に差し戻ししあうと全保護がかけられる事態となり、他の利用者が加筆したい事柄があっても出来なくなります。

2011年に宗祖の七百五十回忌を迎えるにあたり、「大谷祖廟」・「大谷本廟」などの重要な場所についての記事が、編集保護の状態というのは歓迎できません。

不適切な記述と考える理由をノートページにて説明され、その事について反論なくリバートされるようであれば、ノートページにおいて議論を呼びかけている旨を要約欄に記述した上で、編集していただけないでしょうか。

記事が全保護になることを回避するために、ご協力いただけないでしょうか。よろしくお願い致します。 --Resto1578 2010年1月10日 (日) 12:45 (UTC)(誤字修正)--Resto1578 2010年2月13日 (土) 11:40 (UTC)[返信]

確認依頼[編集]

東本願寺出版部 発行、細川行信 著『大谷祖廟史』を、「大谷祖廟」2008年3月2日 (日) 14:55時点における版[1]において、出典として明示されているのを拝見しました。

私は『大谷祖廟史』(絶版)を持っておらず、Kenryuさんにご確認頂けたらと思う事柄があります。

ご回答頂けたらと存じます。よろしくお願いします。--Resto1578 2010年1月10日 (日) 12:45 (UTC)[返信]