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利用者‐会話:Kuga

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終了案件[編集]

「概要」について[編集]

こんばんは、はじめまして。==概要==に関する編集について一言申し上げたく参りました。

始めに自分のことを申し上げて恐縮ですが、私は==概要==を置くよりも、定義に続けてまとまった解説があったスタイルのほうが(冒頭だけ読めば概要を理解でき、調べものの程度によってはそれ以降のものを読まなくても済みますので)良いと考えています。しかし、概要というセクションを置くかどうか、置くならどの場所に置くか、といった問題は人によっていろいろと主観があるところだと思いますので、Kugaさんのようなやり方も「あり」ではないかなあと思います。

ただ申し上げたかったのは、冒頭定義の部分と概説、概要の部分の切り方には、もともとの項目を編集した方にそれぞれの考えがあって行ったものであるということを考えていただきたい、ということです。例えば生命の起源ですが、Kugaさんが手を入れる前の最初の段落の第2センテンスには「ここでは生命の起源に関する簡単な歴史と自然科学における様々な学説を羅列するにとどめる。」とありますが、これは定義に続く第2センテンスで、「この項目は『生命の起源』に関するいろいろな問題のうち、これこれこのようなことをとりあげる方針で書かれていますよ」ということをあらかじめ断った部分です。この箇所を文そのものに手を加えずに次の==概説==に移してしまったために、この箇所の文意が通らなくなっているように私には思われました。ですので、==概要==を置いたり、置き換えたりするときは、同時に文章の流れがそれによってどう代わってくるかも検討してから行っていただけないでしょうか。

わかりにくく、また勝手な物言いなようで恐縮ですが、よろしくご一考くださいますようお願いいたします。Safkan 2005年12月12日 (月) 14:06 (UTC)[返信]


言われている意味は分かるし、気をつけたのも、気をつけてないのもあります。あまり気をつけてないものに関しては、ごめんなさい。あまり多くを語らなくても、大体は分かっていただけていると思います。

殆どの長い冒頭文は蛇足の塊であることが多いです。鉛筆なんか、ほとんどの読者は知っていそうなのにも関わらず、消しゴムで消去する事ができる云々、読者を馬鹿にしているとしか思えない冒頭がだらだらと続きます。削除しちゃってもいいとは思ったんですが、一応、概要ってことにしました。国立国会図書館も、国会の説明など改めて万人向けに冒頭で説明する必要があるのかなと。こういったものを読むのを強いる人というのは、やはり悪趣味としか。

確かに、概要というセクションタイトルは良くない部分もあるとも思います。削除するか残すか、他の節タイトルにするか、それはじっくり考える必要があるかもしれませんが、とりあえずはそのようにしました。概要の処遇だけ考えても本体が腐っているものはいかんともしがたいですし。とりあえずは目次を上の方にし、あと、画像は空白の所に配置するといったことをしました。

秀逸な記事とはいえ、到底、秀逸という言葉とは無縁で、充実などといった言葉に遠いものもあり、また、こんなのでも秀逸といった感じのものも少なくありません。その酷さを分かりやすく見るためにも目次は役に立ちます。ガリレオ・ガリレイは業績のある物理学者の記事なのに、こんな目次です。こんなのでも秀逸記事。この目次を見ればウィキペディアがいかに役に立たない事典か?といったことが分かります。秀逸と言われる記事がこの程度。それはウィキペディア全体の質の低さの宣伝にもなってしまいますけどね。 今は、秀逸な記事には、何やら読みにくいものが並んでいて、読む人が少ないからこそあまり指摘もないでしょうけど、こんなのを手本と考える人、充実している記事と勘違いする人がいるなら、この事典はもっと腐っていってしまうと思います。なまじ、秀逸とついているだけに、危険な記事の集まりになっています。

目次の先の中身ももちろん大切ですけどね。国立国会図書館にしても生命の起源にしても、目次のタイトルをクリックした先に、クリックした人の欲しいモノはありますでしょうか?サービスや利用の項は、例えば、国会図書館のサイトにある説明よりも分かりにくい部分が多いわけですが。当然のことですが、そんなものをわざわざウィキペディアでわかりにくい説明を作るよりは、国会図書館のサイトへ飛ばした方が何倍も役に立ったりします。同等以上の分かりやすい説明が書けないのであればね。もちろん、理系の論理的な記事や人物の歴史など節を順に追わないと分からないものもあるので一概にはいえませんが、図書館の利用法など沿革から順に読まないと理解できないなどいったことは、実際にあれば面白い事ではありますが、そういったことは普通は考えられませんし。

目次のタイトルをクリックした先に、クリックした人の欲しいモノはありますでしょうか?そのタイトルをクリックする人の立場で考えてみてください。この目次を見、部分的にでも読んで頂くことによって、こんなのでも秀逸記事といったことを広く理解していただければ幸いです。--Kuga 2005年12月14日 (水) 17:13 (UTC)[返信]


お返事ありがとうございます。そして、若干お返事が遅くなりまして申し訳ありません。指摘いたしました件、ご了解とのことで安心いたしました。
そしてKugaさんがご指摘の件ですが、ご意見としてなるほどとうなづくところがありましたことをお伝えします。ご指摘の「秀逸な記事」の問題ですが、とりあえずその当否の判断は措いてお話しますが、おそらくWikipedia日本語版全体の風潮に起因するように思われます。もともとあった記事に手を入れるとき、元の記事の「流れ」を再構成するよりも単に情報や見だしを追加することが好まれ、また元からあった情報はよほどのことがない限り、削ることはあまり良い行為ではないと思われているようです。もうひとつは、情報を得るためのツールとしての項目よりも情報が豊富でかつ読み物として優れた項目が高い評価を受けているということ。私などはこうした傾向に2年近く安穏としてきたために、無益ではない情報ではないと判断すれば無碍に削除したりはせず、調子に乗って加筆に加筆を重ねていっているということなのだろうと思いました。ご批判の点は真摯に再考したいと存じます。
正直なところ、例としてあげてくださった国立国会図書館に関する個別の点には反論や意見がないことはないのですが、なるほどと同意できたところも大でした。(ご指摘とそれに対する「反論や意見」は後日ノート:国立国会図書館に整理しておこうと思います)。少なくとも、自分の関わった長文の項目については今後見直しを進め、削れるところは削り、別項目に切り出せる情報は切り出していきたいと思います。
ただ最後に、お返事をいただけるまでKugaさんの真意がわからなかったことには苦言を呈させてください。せめて要約欄に「長すぎ」とか「冗長」とか「見出しがわかりにくい」とか批判を書いていただければ最初の段階でもう少し違う対応もできたのですが、てっきり「善意」でかたっぱしから「概要」を追加して回っている方なのかと思ってしまい、先のような物言いになりました。問題提起のやり方として(効果的であったかもしれないが)スマートではなかったのではないですか、ということだけは改めて強く申し上げたいと思います。
もし私に対してレスしようと思われましたらそれは無用ですので、他の方のほうのご意見(ノートで同意の件、「再選考」の件など)にお答えいただけると嬉しいです。末筆ですが、今後もなにかありましたら是非ご叱正ご批判を頂けますようお願いします。Safkan 2005年12月16日 (金) 14:05 (UTC)[返信]

ほとんど稼働していない選考あるいは再選考に 五十余の記事を出すというのは、あまり意味が無く、非現実的なこととは思いますが、意見の一つとしては受け取っておきます。そのような選考で選ばれて嬉しいかどうかも人それぞれなのでしょうね。この節はこれで終了します。ありがとうございました。--Kuga 2005年12月17日 (土) 04:44 (UTC)[返信]

どうやらこの節のやり取りだけ読むとかみ合っていないように思えましたので、念のため余計な一言を付け加えておきます。私は一概にこの件は再選考に出せば良かったとは思っていませんし、そちらに出せとも言いません。以前、私がこんなのが秀逸と言われているようではダメだろうと思って再選考に出した項目は存続になっています。たぶんKugaさんが出しても大半は同じ結果になるでしょう。ただ今回のような批判の表明をするなら、要約欄に批判を一言書いて頂けると良かったと思います、とは述べました。繰り返しになりますが、そういったご意見に対するご返答は意見を述べられたご本人になさってくださるようお願いします。Safkan 2005年12月17日 (土) 10:57 (UTC)[返信]
内容から見て単純に返答場所の間違いでしょう。というか私は元々この節にコメントしたのをKuga氏に末尾に移されたのに、こんなところでレスされても……--Charon 2005年12月17日 (土) 11:20 (UTC)[返信]

了解しました。--Kuga 2005年12月17日 (土) 12:16 (UTC)[返信]

度重なる横入りにより終了[編集]

目次欄を上へ上げることで品質の評価を知らしめることができるかどうかはよくわかりませんが、そういう意図なのでしたら、Wikipedia:秀逸な記事の再選考の範疇と思われます。ある記事が「秀逸」の評価にはふさわしくないと感じたのなら、具体的に問題点・不満な点を挙げて再選考に持って行き、整理すればいいのです。それが納得いく理由であれば票はついて望み通り「秀逸な記事」から外されるだろうし、加筆・改善を促す効果も期待できます。頭を使わなくてもいいような部分をいじってケチつけるより、そういう建設的な方向に持っていっていただきたい。--Charon 2005年12月15日 (木) 11:46 (UTC)[返信]

ひとのコメントを勝手にあちこち移動しまくった挙句これですかい。
まあKuga氏の批判には、ガリレオ・ガリレイの記事に科学的な業績についての記述が欠けるなど、頷けるところもあります。「秀逸な記事」と呼ばれる記事群にも目次と内容の関係、読者にとっての実用性などいくらでも批判の余地はあり、その点は受け止めたいとおもいます。
しかしながら、言い出す機を失したので今更という感もありますが、Kuga氏の編集で気になった点がありますので一言言わせていただきます。
例えば、金星の日面通過でKuga氏は冒頭部分を「概要」として節分けしています。ところが直後の版でIP氏に「概要の節が概要になっていない」と差し戻されています。実際にKuga氏の編集を見ると、「概要」の節に入れられているのは、この現象が起きる日時と観測にあたっての注意点ぐらいであり、IP氏の仰る通り項目自体のことを簡略に述べた「概要」と呼べるものではありませんね。さてここでKuga氏の発言を引用すると、
>国立国会図書館にしても生命の起源にしても、目次のタイトルをクリックした先に、クリックした人の欲しいモノはありますでしょうか?
とあります。では、この版の読者が、「金星の日面通過についての概要はどんなものだろうか」と思って「概要」をクリックしたら、そこにはどんな文章があるでしょうか? インドの仏教オスマン帝国でも同様。「概要」と称してインドにおける仏教やオスマン帝国の衰亡状況が手短に述べられているだけです。これではとても「概要」どころではありませんね。
つまり、Kuga氏の発言はそのまま自分に当てはまってしまっているのです。何も考えずに、冒頭部分にある文章を「概要」とくくったというだけではないのか。天に唾するとはまさにこのこと。はっきり言って、一連のKuga氏の行動で「程度が低い」とみなされたのは、当のKuga氏の方だと思いますよ。現に最近の編集を見て何人かがすっかりあなたのことを見限ったようです。批判内容には首肯できるところも少なくないだけに、もっとまっとうな方法で提示していただきたかったものです。--Charon 2005年12月19日 (月) 12:13 (UTC)[返信]


処理中[編集]

こんばんは。お初にお目にかかります。Opponent と申します。
さて、わたくしが申し上げたいのは「国立国会図書館」の導入部を省略なさったことについてです。Safkanさまがすでにおっしゃいましたが、Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部は、
  • 導入部に概要がまとめてあることが望ましい。―導入部で読者が調べているものかどうかを判別しやすくするためのもので、「要約」「概略」などの見出しで要約をつけることを妨げるものではありません。
と勧めています。導入部で簡単な概略がわかるようにする方が望ましいのではないか、とわたくしは考えます。例として挙げられている「ガリレオ・ガリレイ」は現在このようになっています。
いま、現在の記事を見ると、残念ながら次のようになっていました。
好みもあるでしょうけれども、実際の記事よりも、例として挙げられた文章の方が、記事の内容を一目で把握できる思われませんか? 長い記事になりますと、導入部のあとに長い「目次」がずらずらと出てきてしまいます。「国立国会図書館」の場合、現在でも20行以上の目次見出しがあります。
「目次」はともかくも、導入部はできれば「何が」「どういう性質を持ち」「どういうところに特質があり」「どういう役割を果たすのか」という概略を一読で明快に理解できるのが望ましい、とわたくしは思うのですが、いかがでしょうか。特に長い記事の場合にはそれが望ましい、とも考えております。このように短い導入部に変更なさったのは、どのような意図だったのか、お考えをお聞かせ下さいませ。よろしくお願いいたします。
- Opponent 2005年12月12日 (月) 14:33 (UTC)[返信]

一読というよりは、一目ですね。結局、冒頭の冗長なだけの駄文を読みたいかどうかということですよね。読みたい人は上から順番に一字一句読めばいいと思いますし、読みたくなければ飛ばすということになります。

まず、ガリレオ・ガリレイの場合ですが、概要には二つの意味がありあます。言葉の概要と、記事の概要です。ここらへんは本当はちゃんと分けないといけませんけどね。節にした方は、記事に書いてあるかどうかに関わらない言葉の概要です。記事自体の概要は目次ですね。理系でちゃんと勉強してきた人であれば、ガリレオがどういう人か大まかには知っているでしょう。ガリレイ変換だの衛星の発見だの詳しくかいてあるのならともかく、改めて紹介を読むまでもないですね。それらが目次に踊っていれば読みに行くかも知れません。しかし今は冒頭にだけ書いてあって、肝心の本文には全く書いてありません。もし、Wikipediaが閉鎖される前に、この記事がまともになることがあるならば、ガリレオについて全く知らない人は、ガリレオの業績から読んでもいいかもしれません。生涯から読んでもいいかもしれません。いろんな読み方があると思いますよ。ですが、初心者であるかどうかにかかわらず、それが何の記事かを知るためには、ガリレオという物理学者という以上の情報は、必要はないと思いますね。ざっと読みたい人は、言葉の概要を読むということになるかと思います。

何も知らない人の質問でよくある「一言でいったら、それは何か?」という質問、それが冒頭のあるべき姿だと思います。この一言の中に、「何が」「どういう性質を持ち」「どういうところに特質があり」「どういう役割を果たすのか」を籠められると最良でしょう。二、三言くらいまではいいとしても、「一言でいったら、それは何か?」と聞かれて、1時間、2時間と語る人はどうでしょうか。とある大学の先生は、NHKからそんなインタビューを受けて、5時間カメラの前で喋り続けました。カットされまくって放映時間は5分でしたが。大袈裟な話と思えるかもしれませんが、私には、問題の冒頭がそのように見えているわけです。

いろいろなレベルや目的の読者がいます。その言葉を少しは知っている人、全く知らない人、かなり知っているけど定義や年などを確認しにくる人。全ての人が上から順に一字一句拾って読むわけではありません。記事が長くなれば長くなるほど、そうではありません。時間の無い人が調べ物に来たとしたら冒頭は邪魔なだけでしょう。

国会図書館というのは、その名から、国会の図書館というのは明らかです。これが国会とは一切関係の無い図書館であったり、図書館ですらなかったりするのであれば、驚きでしょう。しかし期待を裏切らず国会の図書館です。少し裏切る所があるとすれば、関西にもあることと、子供用があるくらいでしょうか。しかしそれは、国会図書館というものを知らずに調べに来た人が、国会図書館の記事であるかどうかを確認するのに必要な情報ではありません。関西館や、国際子ども図書館まで知っている人が、国会図書館の記事を読みに来たとしたら、国会図書館の記事の あの冒頭は流石に冗長でしょう。国会すら知らない人用の冒頭なのかもしれません。しかし、国会すら知らない人(小学生?)が、あの冒頭だけで国会を理解するのは、それはそれでどうかとも思います。国会という記事で理解してもらってください。

記事の上から下まで全てを読んで貰わないと気が済まないというような執筆者がいるのかもしれませんが、辞書や事典で調べ物をする際、全ての人が全ての文章やデータを読み切るわけではありません。どうしたら読者に嫌がらせができるだろうか?そんなことを考えると国立国会図書館みたいになるのかもしれません。--Kuga 2005年12月21日 (水) 15:45 (UTC)[返信]







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