利用者‐会話:Kurt Jansson/questions

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

前置き[編集]

ここは、色々な意見を記す下書き・議論のページで、質問者も色々な意見が出て、それをまとめて「回答」を造るというプロセスを前提にしています。従って、ここに書かれたことがそのまま「回答」になるのではなく、要点をまとめた文章を作ると云うことになります。長いとか愚痴だとか、出典がないとか主観とか、そういうことを要約欄などで記すと意見を自由に書けなくなります。「敷居が高い」ので、敢えて、色々と書いてみたのです。「それとは違う意見」は、異論があるとして書いていただければよいので、ここでは、百科事典の記事を造っているのではなく、一次データを集めているのです。従って、「IPユーザーが多い」というのは、まったくいないのなら虚偽ですが、実際かなりいるので、それを「多い」とするか「多くない」とするかは、二つの意見があったということになります。「主観意見」でよいのであり(誰も、客観的正確に実情把握を自分はしている、と立証できる人などいないでしょう)、色々な意見が出ることで、より実情記述に近くなって行きます。主観的でもよいので、ともかく色々な意見がある方がよいのです。--Maris stella 2007年4月27日 (金) 04:49 (UTC)[返信]

すすめかた[編集]

Kurt氏は"wiki way"として、合意が形成された回答(consensual answers)を要望しているようです(もし合意が無理だったら両論併記OK)。基本的には標準名前空間と同様にWikipedia:基本方針とガイドラインに従って作成するような形が親切な気がします。回答までのプロセスは、

  1. 多くの利用者に自由意見を記載してもらう。
  2. 意見の集約を目指す。無理ならば両論併記で。
  3. 最終的な回答を英語に翻訳する。

ということでしょうか。期限(4/29)までの日数も少ないし難しいですね。翻訳も大変そう。。--fromm 2007年4月27日 (金) 08:13 (UTC)[返信]

少数意見と多数意見を見分ける意味で、それぞれの記述に署名をしてもらったほうがいいかもしれませんね。
あと、スケジュールですが意見の集約を28日までをめどに、一日を翻訳にあてればいいのかなと思います。いかがでしょう。--Aphaia 2007年4月27日 (金) 09:10 (UTC)[返信]

すすめかた 2[編集]

締め切りが、13日に延長されたので、進行方法を確認するというか、少し訂正して合意形成の方式にしたく思います。

  1. 回答と意見の二つに分ける。回答は現在は、8個の質問すべてに対応するのは、Maris stella のものしかないが、他の人の回答もあり、まとまった回答がもっとあった方がよいと思います。回答は回答として、番号を付けることにしたく思います。
  2. 意見の方は、回答に対し、コメントを付ける形にして、この回答がよいとか、この回答は問題があるとか、どこの部分に賛成、どこに反対など、個別の回答に対する意見表明として、これは回答とは分ける。無論、意見を書いて、それに続いて回答を書くのも可とします。
  3. 誰がどの回答を書き、どの意見を述べたかが明らかである方がよいので、日付付き署名を行い、すでに投稿されている回答と意見は、履歴から日付と署名を補うという形にしたく思います(従って、今回の場合、他者による「署名と日付」の後付を各位に許可願います)。Maris stella の回答には、他の人の手が少し入っているが、これはそのままにします。
  4. 回答と意見が集まって来ると、参加者の意見の合意形成に向かい、一つの文章にまとまるか、二つの文章になるか、または一つの回答プラス異論のある部分の両論併記にするかを決め、どなたかが、まとめの文章を作成するとします。このまとめの文章を推敲して最終回答とします。
  5. どなたが英語に翻訳するか、複数の方で、これぞと思う方に予めお願いして予定に入れて戴くことにしたく願います。でないと、日本語の回答はできたが英語に直せないと云うことが生じます。
なお、POVであるとか、要出典とかは、「どのように評価しますか」というような質問ですので、「主観」にならざるをえず、合意を通じ、主観であっても、多数の意見を反映した回答ということになります。

時間のスケジュールは、以上の提案で宜しいようでしたら、10日ぐらいに翻訳用回答ができるような時間予定で考えたく思います。以上で、いかがでしょうか。--Maris stella 2007年4月30日 (月) 03:34 (UTC)[返信]

補足)どなたか、赤で文字を書いた方がおられますが、その主張だけが目立ち不自然であるので、黒に修正します。また、回答は、*(回答1)のように順番に番号を振ることにします。8個の質問それぞれが、(回答1)を持つことになります。(別案)は、(回答2)などとします。意見の方は、二段のアスタリスクで、**(コメント)という見出しにします。コメントに対するコメントは三段という風にインデントを増やします。--Maris stella 2007年4月30日 (月) 03:34 (UTC)[返信]

インデント戻します。提示してくださったスケジュールに賛成です。すりあわせを始めるのは、GW明けの7日くらいからでしょうか。 色は、発言者を見分ける効果もあるので、それはそれでいいのではないでしょうか。ただ赤はだいぶきらきらしますので、違う色にしていただけるといいかな、と思います。また署名をいれたほうがいいという Maris stella さんのご提案に賛成です。 いまの時点では、枯れ木も山の賑わいだと思いますので、既存の回答に意見をつけるというよりは、みなさんに思うところを回答として書いていただくようにお願いするのがいいのかなと思います。その分まとめるときには力仕事になるきらいはありますが、多数意見と少数意見を見分ける上では、案外悪くない手段かなとも思っています。--Aphaia 2007年4月30日 (月) 09:44 (UTC)[返信]


調査手法自体への意見[編集]

ウィキペディアでの議論というのは、ウィキペディアのコンテンツを充実させるために行われると考えています。したがって、そういう成果を生まないことのために「議論」を行うということに、非常な違和感を感じております。

報道関係者からの取材などに対しての回答をつくるということなら、ウィキペディアのコミュニティにとって、まだ意義があるとおもいます。が、一個人の卒業論文のための調査に回答することに、多くの利用者はさほど意義を見出せないでしょう。したがって、回答をつくる作業に参加するひとは、かぎられてくるとおもいます。結果として、議論に参加したひとの傾向は、コミュニティ全体の傾向をあまり反映しないものとなるでしょう。

また、このような手法は、文化人類学社会学の分野でひところ論議になった、調査する者とされる者の間の非対称性の問題 (正確な呼び名を知りませんが) をかかえているとおもいます。研究者(観察者)が、自身の価値観に基づいて観察対象者の「文化」を解釈し、価値観にあわない点を見過ごしたり、はなはだしい場合には観察対象者たちに自身の価値観に基づいた「文化」を演じさせてしまったりする、という問題です。そのため、参与観察などの、より非対称性の少ない手法が提案されてきたりもしました (質問者は、自身がコミュニティの一員なのですから、そのような手法をとることもできたはずです)。

率直に言って、現在行われているような調査手法にもとづいて書かれた論文は、わたしは評価できません。以上、wiki way で答えてみました:-|。--Hatukanezumi 2007年4月30日 (月) 09:26 (UTC)[返信]

An opinion on the surveying method [rough translation]
I think that on Wikipedia discussions are supposed to aim at improving the content of Wikipedia. So I feel pretty odd with this "discussion" that will bear no such fruit.
If this were a response to a press investigation, it might benefit the community a little bit more. But as for a graduation thesis of only one person, the majority of users would not feel worthy enough to answer to the survey's questions. Thus I think that only a limited number of people will get involved in the process of making the answer to the questions. As a result, characteristics of those who will have participated in the discussion will not truly reflect those of the whole community.
Also, I fear that your method has a problem of the asymmetry between interviewer and interviewee (not sure about the exact term), which has been a matter of debate in anthropology and sociology. The problem is that the researcher (interviewer) interprets the "culture" of the interviewee based on his/her sense of value, overlooks something that does not conform to the value, or even makes the interviewee act according to the value. For this reason, there have been proposed several methods, including participant observation, that reduce the asymmetry (You could take such an approach because you are a member of the community!).
To be honest, I do not appreciate a thesis that uses the current surveying method.

(Hatukanezumi氏へのコメント)主張はもっともなように思える。ただ問題は既に彼の質問に対して回答しようという動きが開始してしまっていることであろう。ある意味、Kurtへの回答をコミュニティが行うことができると勝手解釈して話を進めてしまったミスは大きい。既にKurtには日本人は回答してくれると期待させてしまっている。中途半端で誤解を招きかねないような稚拙な文章を訳して回答としてだすぐらいならば、早目にKurtに謝罪して回答を諦めて頂く方が誠実な対処の仕方と思われる。(少なくともビジネスの場ではそうするのがあたりまえ)

Moronさん、翻訳どうもありがとうございました。rough translation なんておっしゃっていますが、ほぼ日本語文どおりだとおもいます。
ところでXanthodermさん、ノートでの発言には署名をしてください。また、発言を赤色にしていらっしゃいますが、JAWPにかぎらず、ノートでの発言で普通そのようなことはしないとおもいます。なお、赤がすべてのひとにとって強調色とはならないことにも留意ください。
回答がはじまっていることは別にかまわないのではないでしょうか。回答したいひとがしていることですから。また、これはビジネスではなく、ある利用者が「卒論(か修論か知りませんが)のネタにしたいんで手伝ってよ」と言っているだけですから、それの相手をしたいひとがいれば、それをとめることはできません。ただし、わたしの意見は、うえに書いたとおりです。--Hatukanezumi 2007年5月1日 (火) 03:40 (UTC)[返信]

赤字の件、このノートを最初に書かれた確かMaris stellaさんという方だと思いますが、そのときに署名抜きで書き込まれました。それに倣い、このノートではそのように署名抜きで書き込みました。その場合、発言の区切りがつきにくい欠点がありますので、文字を赤字としました。ともあれ、他のノートのように署名付きに変更するというならば、別に異論はありません。 Hatukanezumiさんがドライな考え方をもっていることは良く分かっています。 ただ、多少wetな私としては、現状の「回答」(といえるのかどうかはさておき)をKurt Janssonに翻訳して渡すというのは少々問題だなと思っています。彼は日本語版を誤解するだけでしょうし、日本語版は歪んだ見方をされたレポートを世界中にばらまかれるというイメージ悪化を蒙る。実際、何度読んでも酷い「回答」です。Xanthoderm 2007年5月1日 (火) 16:00 (UTC)[返信]

かなり珍しいやりかたで編集をしているとおもいます。ノート (日本語版では「会話」ページになってしまいますが) で文章をまとめて、一気に表のページへ書き込もう、ということなんでしょう。ノートが記事の編集に占領されていますね。そのため、(記事には執筆者の署名を入れないので) ノートでも署名をしたりしなかったりするということが起こっているようにおもいます。とにかく、珍しいことです。
ところで、日本語版のイメージをゆがめるという意見も、日本語版のアピールの機会になるという意見も、どちらもわたしには違和感があります。ですのでやはり、「したいひとがいれば、それをとめることはできない」としか言いようがないです。
他言語版がどうなっているかを見て回りたいので、ここでの意見はこれまでとします。じゃあね〜。--Hatukanezumi 2007年5月2日 (水) 14:58 (UTC)[返信]

告知除去について[編集]

Template:意見募集中の先頭に掲載されていたのですが、期限が5月13日とあったことと、少なくとも先頭に掲載する案件ではないと考え、告知を取り除きました。もし期限の延長があり、かつ「意見募集中」内にある他案件以上に優先して告知しなければならない理由があるようでしたら差し戻しください。ヤボかも知れませんが、、、。--toto-tarou 2007年6月12日 (火) 13:50 (UTC)[返信]

回答案[編集]

About the community (コミュニティについて)[編集]

1. conflict resolution
Which mechanisms do exist to settle or mediate disputes or conflicts?
(1. 紛争の解決: 論争や紛争の解決・仲裁のためのシステムとしてどういう仕組みがありますか?)
  • (回答1)問題に気づいた人が、解決や仲裁のため、議論などを調停しようとすることがあります。また問題が紛糾すると、多数の意見を求めるため、コメント依頼があります。対立が解消できない場合、投票で合意形成を行うこともある。コミュニティとしては、「調停委員会」のような機関は備えていません。
    • (コメント)「システム」についての質問なのに、その回答がない。
      • (コメント)「システム」の意味を何か狭く捉えて勘違いされています。「コメント依頼」というのは、論争等の解決に向けたシステムである訳です。メディアウィキの装備するハードやソフトのことではなく、コミュニティのなかにある慣習・制度・手順などのシステムのことを云っているのです。この質問は「コミュニティについて」の第一質問です。--Maris stella 2007年4月30日 (月) 03:34 (UTC)[返信]
        • 「箱」があるだけではシステムがあるとはいいません。
  • (回答2)基本的に「システム」としては実装されていません。ただ枠組みとして各記事の「ノート」や「コメント依頼」があり、そこで日常的に論争が行われています。「調停役」のような公的な役割はなく、また「調停委員会」のようなものもありません。このような状態でも日本語版が一応うまくいっているのは、問題に気づいた人が自発的に、解決や仲裁のために議論などを調停しようとしているからです。
(以上がサンプルです。まだ日付と署名は補っていません。--Maris stella 2007年4月30日 (月) 03:34 (UTC)[返信]


  • (回答3)紛争解決は明確に制度化されていない。「コメント依頼」(後述)「ブロック依頼」からなる二段階の紛争解決が文書化されているが、強制力はない。紛争解決専門のユーザグループは、コミュニティの公選による公のもの(cf. Arbcom)と、自薦によるボランティアグループ(cf. enwiki: MedCabal)を問わず、存在しない。「コメント依頼」 (WP:RFC)のページがあり、紛争解決の場であると考えられているが、使用は義務ではない。またコメント依頼は自由回答型で、誰でもはじめることができ、明確な構造をもたない(英語版のRFCのような定まったフォーマットや運営規則を備えていない)。コメント依頼の性格をめぐっても、統一された意見は存在せず、しばしば議論になる。コメント依頼への参加資格も明確に定義されておらず、しばしば(すでに無期限ブロックされた人物をも含めた)非登録ユーザが発言する。「ブロック依頼」はコミュニティの投票により、一定の投稿歴のあるログインユーザに発言資格がある。実際の紛争解決は、問題に気づいた利用者が自主的に議論などを通じて問題の解決に参加することで行われている。議論への参加を呼びかける手段としては、WP:VP井戸端、ポータル、記事上でのテンプレートでの誘導など複数の手段が使われている。紛争解決のための議論は多くウィキ上で行われ、MLとIRCの利用はまれである。--Aphaia 2007年4月30日 (月) 09:44 (UTC)[返信]
この回答を、回答候補としたく思います。以下に意見を述べてください。特に異論がない場合、これを翻訳して戴きます。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]

以下下訳です。適時直していただければありがたいです。--Aphaia 2007年5月11日 (金) 09:38 (UTC)[返信]


Answer 1.

Japanese Wikipedia community has not clearly organized dispute resolution system. Official policies provide the community with two stages resolution system, made from “Requests for comments” (WP:RFC, see below) and “Requests for blocking”(WP:RFB), while it is not mandatory to use those all stages. There is no specific user group for resolutions, either official one (cf. Arbcom) voted by the community or volunteering informal one (cf. MedCabal on English Wikipedia).

The page “Requests for comments” (WP:RFC) is considered a place for conflict resolution, although it is not obligated to bring a dispute up to that page. Comments are collected as free answers and everyone can start calling for comment on a topic. It lacks any official format or procedure which Enwiki RFC obtains. On the community there is no standard opinion what WP:RFC is to be (e.g. if the person in the subject should comment or not), and what WP:RFC is itself a frequently disputed topic. There is no clear eligibility to submit to WP:RFC, anonymous editors (including sockpuppets of indefinitely blocked people) therefore appear sometimes.

As for “Requests for blocking” only registered editors with rule-defined amount of edit activity are eligible to submit their comments and vote.

Informal dispute resolutions are cared by volunteering editors who find problems eventually and decide to be involved. They join discussions on talk pages, try to take wider audience’s attention or use the method described above. Several ways are used to take community’s attention, including WP:VP (known “idobata”), Portal pages’ talks, notes using template on articles. Most of discussions to solve conflicts happen on the wiki, mailing list ([email protected]) or IRC (#wikipedia-jp and other freenode channels) are seldom utilized.



2. dealing with problematic behavior
Which kinds of problematic or destructive behavior do you often find yourself confronted with? Which actions are taken to meet these?
(2. 問題ある振る舞いの扱い: しばしば見たり、自分も出会ったことのある、ユーザーの問題のある言動や、破壊的行動として、どういう種類のものがありますか? このような問題にはどういうアクションで対処されていますか?)


  • (回答1)記事については、記事への悪戯、意図的な白紙化や改竄、著作権侵害投稿など。また利用者では、個人攻撃や、議論の攪乱、唯我独尊的な態度による問題の紛糾など。これに対しては、会話ページへの警告や、コメント依頼、ブロック依頼などがあるが、一部のユーザーはウィキペディアに恨みや反発を持ち、ブロック後、ソックパペットを大量に使い、荒らしを行うなど。多重アカウントによる多数派偽装工作なども紛争の折には出てくる。2007年に入ってからは、従来の投票制の投稿ブロック依頼とは別に、荒らしや個人攻撃、暴言などは、管理者伝言板に報告し、管理者が審議抜きで裁量によってブロックするという対処法が導入された。これは一定の効果を持ったが、他方で、半年、一年、またはそれ以上に渡り、ウィキペディアを延々攻撃する、無期限ブロックを受けたユーザーのソックパペット攻撃が数・量・質共に甚大なものとなり、監視用ブラックリストが増える一方で、対処する管理者やユーザーに大きな負担となっている。
(意見)大枠では同意。アクションに関して、次の一文をつけくわえてはどうでしょう。「監視には freenode #wikipedia-jp-article による IRC bot (Wikipedia:Linky)を利用した目視監視が多く使われ、他の監視用 IRC チャネルや VandalFigher などの利用はあまり一般的でない。 」
この回答を、回答候補としたく思います。付加する一文を加えて回答にしてください(どの辺りに加えるのかが分かりません)。以下に意見を述べてください。特に異論がない場合、これを翻訳して戴きます。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]
  • (意見)成長ポテンシャルのある記事を無闇に統合しようとする利用者の存在が問題となっていること。依頼系ページに常駐し生産的な記事作成に参加しない利用者がおり、必要な記事にまで削除依頼を出して追放となった者がいること。以上に関して言及が必要ではないかと。--Sionnach 2007年5月14日 (月) 19:07 (UTC)[返信]
  • (コメント)何をおっしゃりたいのか具体的にわかりませんでした。Sionnachさんのご意見を支持される方もおられませんし、意味を取れませんでしたので、上の文案へご意見を統合することは難しく思います。

Answer 2.

Articles suffered many problems: vandalism, blanking, intentional submission of false information or copyright infringement. Between users, personal attacks, disruption on discussions or proudly stubborn users cause heated disputes. To solve those problems, users utilize talk page to submit a warning, or project pages including Requests for comment and requests for blocking (On Japanese Wikipedia blocking is determined on community vote). Some banned users have held grudges against Wikipedia, and vandalize it, using sockpuppets (multiple accounts). Multiple accounts is used also in heated arguments for fraudulent that an opinion is supported by many people. In 2007, Admins’ noticeboard was launched where admins received reports on vandals, personal attacks and uncivil comments and deal those incidents on their discretion, instead of community vote which had been dealt with those incidents also as well as other disputes. Introduction of new scheme sort out the situation to some extent, but attack from indefinitely banned users with multiple accounts is tend to continue for a long time over months or even over a year, watching their disruptive behavior s is a burden for admins and users who records their attack and fight with those malicious users. As for Watching tools, irc.wikimedia.org channels and VandalFighter are not popular on Japanese community, and people detect vandalism in sight on Recentchange report generated by Linky-ja and posted to #wikipedia-ja-article or just on Recentchanges of Wikipedia directly.


3. working climate and culture of discussion
How would you describe the working climate in your community? How do you characterize its culture of discussion? Are working tasks and roles assigned specifically, or do you handle this rather flexibly?
(3. 作業環境や慣習、議論のスタイル: 日本語版コミュニティにおける作業環境や慣習はどういうものだと考えますか? 議論のスタイルの特徴はどうでしょうか? どのように作業するか、どんな役割を果たすか、明確に決めていますか。または、むしろ柔軟、臨機応変に作業していますか?)
  • (回答1)作業環境(working climate)……コミュニティの編集の雰囲気や傾向……としては、サブカルチャ分野がむやみに巨大で、不必要と思えるものまで記事になる他方、メインカルチャや学問的・専門的なことは執筆者が少なく、そのためもありスタブの記事が多い。ある種の分野では、誰でもが編集できるという原則を無視した、横暴な自称専門家がいる。日本語版は、匿名IPユーザーが非常に多く[要出典]、議論や話し合いが成立しにくい。また外部に「2ちゃんねる[1]という巨大な無責任匿名掲示板サイトが日本語ではあり、そこから愉快犯や、筋違いの個人攻撃をする者がやって来て、記事編集や議論の妨害をすることが問題である。作業や役割分担は、管理者などは当然いるが、記事編集や議論などでは、誰が何をするというような割り当てはなく、各自が得意な分野や関心ある活動について、色々としている状況である。ウィキプロジェクトもあまりうまく機能しない。ただ、削除依頼やブロック依頼には、ルール厳格主義というか法家主義のような人々の集団が自然発生的に生まれ、この関係分野では、役割集団が存在する。ただこの集団も顔ぶれが半年か一年ほどで入れ替わっている。
  • (回答2)日本の著作権法はFair Useを認めていないなどの理由により、Wikipedia日本語版では英語版に比べると著作権の扱いが難しい一面があり、著作権侵害により長年の編集が失われる事態が時折起こっている。
    • (意見)「サブカルチャ」云々は質問の方向とずれているため、削除すべき。「自称専門家」や「2ch」のくだりも同様。従い、上記の回答案は全面的に不適切。 unsigned
    • (意見)2ch への言及は残したほうがいいと思います。記事投稿分野の偏りは「作業環境や慣習、議論のスタイル」とは直接関係ないのではないでしょうか。匿名IPユーザ比率については、3月分ダンプにもとづく Erik Zachte の統計で、日本語版は60%超であるのに対し、英語版は30%台前半、ドイツ語版は10%台後半です。作業環境として特筆すべきかと思います。--Aphaia 2007年4月30日 (月) 09:44 (UTC)[返信]
    • (意見)「ただ、削除依頼やブロック依頼には、ルール厳格主義というか法家主義のような人々の集団が自然発生的に生まれ、この関係分野では、役割集団が存在する。」は回答者の恣意的な見方ではないかと思います。集団といえるものはないのではないでしょうか。WikiProject 削除依頼 のようなものがあるなら、私の指摘は妥当しませんが。--Aphaia 2007年4月30日 (月) 09:44 (UTC)[返信]
  • (別案回答3)日本語版での記事作成の作業環境は、基本的に執筆者任せである。なお、一部の分野ではウィキプロジェクトにて記事の書式が定められている。プロジェクトにて書式以上のこと、例えば、ある領域の記事群を共同で作成していこうなどといった協調的な編集運動はほとんど見られない。


  • (回答候補)日本語版での記事作成の作業環境は、基本的に執筆者任せである。日本語版は、匿名IPユーザーが非常に多く、議論や話し合いが成立しにくい。また外部に「2ちゃんねる[2]という巨大な無責任匿名掲示板サイトが日本語ではあり、そこから愉快犯や、筋違いの個人攻撃をする者がやって来て、記事編集や議論の妨害をすることが問題である。作業や役割分担は、管理者などは当然いるが、記事編集や議論などでは、誰が何をするというような割り当てはなく、各自が得意な分野や関心ある活動について、色々としている状況である。ウィキプロジェクトもあり、一部の分野では記事の書式などが定められてるが、全体的に、あまりうまく機能しない。


試訳(無茶苦茶なので訂正願います)--Maris stella 2007年5月8日 (火) 18:25 (UTC)[返信]

Answer 3.

Regarding the working climate of producing articles in the ja-wikipedia, editing works are up to each editors in general. There are difficulties in discussions and concensus making processes in ours, because that extraordinarily many anonymous IP users exist in contrast to other communities.

In addition, there exist the gigantic sites, out of ja-wikip, so-called 2 Channel (Ni-channeru ), which operate tons of (almost million) bulletin boards where many anonymous people write messages freely without correctness/responsibilities, and from which people visit to ours who make vandalisms and attackings to users of our community, thus obstructing discussions and editing processes in ours. Really serious problems. This 2 Channel is the very unique site and no similar sites exist in other languages.

Regarding assignments of working tasks and roles, there are no distinct ones, though admins etc. exist. Each persons do their variois activities in their favaourite/interesting fields. We have also wiki-projects, and establishing editing format for articles in some partial fields, but overall they don't seem to function well.

(Addition) : We have wiki-portals too. Portals take some parts of promoting creations of new articles and improvements of poor articles. These achieve some results. But portals are overall tend to be inactive since people joining and working in portals are few. There are also /Request for New artcle creation/, /Clean-up request/, /Request for expanding article/. They have some effectiveness, though not sufficient.

意見を採り入れて回答を合成作成しました。この回答を、回答候補としたく思います。以下に意見を述べてください。特に異論がない場合、これを翻訳して戴きます。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]



4. self-assessment of the community
How do you assess yourself as a community? Where do you spot strengths and weaknesses, also in comparison to other Wikipedia communities? Are there communities on which you orientate yourselves? (This question refers to the community itself, not the created articles; see item 8.)
(4. 日本語版コミュニティについての自己評価: 日本語版コミュニティをどのように評価されますか? 長所と短所はどこにあると思いますか。他の言語版コミュニティと較べたときどうですか? 見本にしたいと考えているコミュニティはありますか? -この質問は、記事についてではなく、コミュニティについてのものです。質問8を参照-)
  • (回答1)コミュニティとして、うまく成立しているとは思えない。ガイドライン文書などが、英語の翻訳で、日本の文化に合わないところがあり、また膨大な量があるため、多くの人は理解できていない。匿名IPユーザーが多すぎることや、前述の巨大掲示板サイトの影響もあり、無責任匿名発言や無責任匿名誹謗中傷などが横行し、可変IPが多いので、議論が成立しにくい。短所(弱点)は先に述べたことである。加えれば、ディベートと合意形成の為の話し合いの区別の付かない人が多く、合意が成立しにくい。長所(強み)と言えるものは特に思い浮かばない。他言語版との比較は、日本語が1億2千万人の話者数を誇る孤立言語で、日本の文化や社会も閉鎖的な面がなおあるため、英語やその他の外国語に堪能なユーザーがいても、全体的には他の言語版のユーザーほど非日本語が得意でないため、比較するにも、外国語版の実情を知る者があまりに少ないので判断できない。しかし、一つ言えることは、日本語版コミュニティは、管理者が55名(活動頻度の低い人を含む)ほどで、実質編集者や達成記事数に比し他国語版と較べ少ない。また管理者がコマンドを使って管理作業を行うと、どんなに配慮して作業しても、批判する者が出現する。日本語版は「2ちゃんねる」文化に染まっている面があり、管理者は何もしていないと批判が少ないが、積極的に活動すればするほど、個人攻撃の対象となる。これは、「8」で述べる、日本語版ユーザーの平均年齢の低さと関係している可能性がある。この為か、独裁的管理者が生まれ、説明責任を果たさない管理者が出てくる。何もしない管理者も出てくる。また別の面であるが、外国語版から記事などが翻訳を通じて日本語版に入るが、その逆は少ない。他の言語版では、流入と流出で、日本語版よりは流出が多いと言える。規模の大きいコミュニティは印欧語のものが圧倒的に多く、日本語版コミュニティは孤立または閉鎖しているとも言える。
    • (意見)この回答では長いだけで内容は薄く散漫である。これでは何をいいたいのか相手に伝わらない。そもそも質問に対して個人的な愚痴で回答してはいけない。まず「コミュニティ」の定義から理解しなければならない。従い、上記の回答案は全面的に不適切。
    • (意見)匿名の比率が高い、外部コミュニティに影響されている言説がある、管理者の比率が極端に少ない、日本語コミュニティの他コミュニティからの孤立などは妥当な指摘であると思います。個人攻撃についても妥当ではないでしょうか。ただ、活躍する管理者が個人攻撃されるのは言語版を問わない現象なので、ここは「匿名掲示板での攻撃」であることを銘記したほうがいいと思います。英語版やドイツ語版などでも攻撃サイトはありますが、有名どころの人は名前を顕示していますので、その点でも 2ch.net での個人攻撃は特筆に価する現象と考えます。日本語コミュニティの他コミュニティからの孤立傾向については、第二言語人口を含めた日本語人口の大きさ(小ささ?)、アクティブユーザ中の母語話者比率の高さ、交流行事(Wikimaniaなど)への関心の薄さなどが例証としてあげられると思います。


  • (回答2)他の言語からの移入を考えた場合、英語を除けば、可能性が高いのは、中国語が挙げられる。しかし、中国語版ウィキペディア自体が日本語版と比較した場合、項目数・質ともに貧弱であるため、中国語版からの移入は、中国碁盤の充実を期待しなければならない。だが、日本における諸外国文化の研究は、欧米及び中国の分野が歴史的にも長いことから、専門家が登場した場合には、飛躍的に記事が充実してもおかしくない分野であることも事実である。もっとも、日本人の中国への関心は、ゲームの影響(コーエーの三国志シリーズ)がかなり大きく、この分野がサブカルチャ的に充実する危険性ははらんでいる。
    • (意見)なぜ中国語版なのかの説得性に欠く。ドイツ語版でもフランス語版でもかまわないのでは?また「日本人の中国への関心はコーエーの三国志」の一文はいかがなものか? 根拠を示すこと。示せない場合は削除するべき。なお、中国語版から日本語版への移入は目立たないが、日本語版から中国語版への移入は少なからず散見することも知っておく必要があるだろう。(unsigned)
    • (意見)この部分を少数意見として扱うことを提案します。中国語版への移入はご指摘のとおりですね。なおドイツ語版は一般には日本語版より質料共に充実してると思います :) --Aphaia 2007年4月30日 (月) 09:44 (UTC)[返信]


  • (別案回答3)日本語版では、コミュニティと呼べるものが実質的にほとんど存在しない。協働で作業するというよりも、各分野でそれに詳しい人が基本的に記事を書き下ろし、他の編集者の作業は記事の誤字直しなどの微修正にとどまるものが大半である。


  • (回答4)例外的にコミュニティ的なものが形成されているのは趣味的な分野である。「鉄道」、「アニメ」、「ゲーム」、「軍事」など。これらでは特定の分野の趣味を共有する人たちによって、急速に整備され、膨大な数の記事が生産されつつある。


  • (回答1補正)全体的には、コミュニティとして、うまく成立しているとは思えない。ガイドライン文書などが、英語の翻訳で、日本の文化に合わないところがあり、また膨大な量があるため、多くの人は理解できていない。
日本語版の特徴としては、匿名IPユーザーが多すぎることや、前述の巨大掲示板サイトの影響である(とりわけ、この巨大サイトの存在が原因と思える、匿名によるユーザーへの個人攻撃の激しさは、他言語のコミュニティにはない問題である)。
また日本語は、孤立言語であるが、1億2千万の話者が存在し、そのため日本語だけでコミュニケーション可能なため、現在のデファクト共通語とも言える英語に通じている人がどうしても少なく、国際性の確保が難しい。そのため、コミュニティとしても孤立し、閉鎖する傾向がある。その例としては、wikimania への参加者が少ない、財団への寄付も、日本円のものがユーザー規模に比したいへん少なく、インターナショナルなプロジェクトの自覚が希薄なことがある。
日本語版は、英語版や、ときにフランス語版、ドイツ語版から記事を翻訳して移入することがかなりあるが、その逆は相対的に少ない。(他方、韓国語版や中国語版は、日本語版の記事を翻訳して移入しているようであるが、その逆は少ない)
別の問題として、管理者がコミュニティの参加者に較べ、少ないことが挙げられる(現在55名ほど)。長所は少なく、短所といえる、問題が多い。
  • (別少数意見 other minor opinion)他の言語版からの移入は、英語版を除くと、中国語版からの可能がありえる。しかし中国語版は項目数・質ともにまだ貧弱であり、中国語版の充実が望まれる。日本では、欧米の文化の研究に大きな蓄積があるが、それ以上に長く大きな中国の文化研究の歴史と蓄積がある。将来、専門家の参加などで、中国に関する記事が飛躍的に充実する可能性がある。ただ、サブカルチャ的な分野(三国志のゲームなど)が大きくなる危険性がある。


試訳(無茶苦茶なので訂正願います)--Maris stella 2007年5月12日 (土) 00:41 (UTC))[返信]

Answer 4.

Totally, we evaluate that our community does not seem to stand and operate well. There are maybe many reasons which can not be clearly analyzed and understood at present. One thing we want to point out is that our guidelines documents etc. are translation of those in English, and expression style of sentences and ideas are not well fitted with Japanese culture, so unfamiliar/difficult to understand to most ja-wikipedia users. And in addition, they have so large volumes that many members of our community can not sufficiently understand them.

As for the characteristics of ja-community which we should tell, the ratio of anonymous IP users are so large, and the mainly negative effects of the above-mentioned gigantic bulletin boards site, i.e. 2 Channel are problems. Particularly, (malicious) personal attacks to the users of our community by anonymous ones, which might be originated from this gigantic site, are highly severe beyond expression. There do exist no such problem in the other language communities.

And the fact that Japanese language is unique language isolate, yet which has almost 1 hundred and twenty million (120 million) speakers. Therefore, we can communicate and talk almost everythings from ancient Greek civilization and its philosophies to latest scientific topics such as bio-technology, computer sciences by Japanese, but this results that our members feel difficulty to communicate with people of other language communities by contemporary de-facto world common-language (ligua franca in the present world), i.e. English. So, our community has tendency of lack of internationality. For instance, participants of wikimania are few, or the ratio of contributions to the Wikimedia foundation in Japanese Yen is very small, comparing to the largeness of our product and community scale (our encyclopedia has around 350 thousand articles.) This shows the lack of our consciousness that wikipedia is the project international. Our community may be characterized by its closed, self-contained culture.

In addition, we have fairly introduced articles from English wikip, or sometimes fr-wikip, de-wikip, through translation. But reverse movements are relatively low. (On the other hand, Korean or Chinese wikip's seem to introduce from Ja-wikip, but reverse movements are also low.)

There is other distinct problem, that is, we have few admins (now around 55 persons), which is too small number when considering our community size. Our community has few strongs, and has many problems indicating our weaknesses.

(Other minor opinion) : Regardng transference from other languages, it may be possible that there will be introduction of articles from Chinese wikipedia, besides from en-wikip. But Chinese wikip stays yet in poor conditions and has small number of articles, and their quality is low. We hope enrichment/improvement of zh-wikip both in volumes and quality. Japan possesses large accumulation of studies on the European and American cultures. In addition, Japan possesses more large accumulation and longer hitory of studies on Chinese cultures. In future, if we obtain participation of strong and many specialists to our community, there is possibility that articles relating to China will be dramatically enriched. However, there may be also risks of excessive enlargement of articles in sub-cultural fields (comics, animes, and games taking their stages in Chinese historical episodes such as Sangoku-shi).

これは複雑なので、もう少し意見をよく読んで、回答候補の文章を作成したく思います。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]
上にまとめた二つの回答を、回答候補としたく思います。以下に意見を述べてください。特に異論がない場合、これを翻訳して戴きます。--Maris stella 2007年5月11日 (金) 22:27 (UTC)[返信]

About the created product (事典編纂について)[編集]

5. definition as an encyclopedia / role models
What do you demand from the texts of your encyclopedia? How do you conceive your encyclopedic product: More as a pragmatic knowledge and information database or rather as standing in the tradition of classical encyclopedias? Are there reference works from past and present which serve as role models?
(5. 百科事典としての定義 / 役割モデル: 日本語版百科事典の記事文面には何が必要と考えていますか? 百科事典的な記事とはどういうものだと考えますか-百科辞典的が意味する概念は? 実際的な知識や情報データベースのようなものか、またはむしろ古典的な百科事典の伝統的概念に近いでしょうか? 役割モデルの働きをする、古今の作品で参考にするものはありますか?)
  • (回答1)現状として、あまりに最近のことや、サブカルチャ(漫画,アニメ,映画,テレビ番組,J-POPなど)関係が多いので、もっと歴史的視野を持った記事が欲しいし、そのような視点を持った記述・編集が望ましい。日本語版では、「百科事典的」は、紙の百科事典とは異なる、ある意味、無限の容量を持つ事典なので、項目は百科事典の記事に値いするものは幾らでも増やしてゆき、記事分量も多ければ多いほどよいという考えがある。他方で、必要な記載に留めるべきと云う意見もあるが少数派と思える。「情報データベースではない」という考えである。古典的な百科事典をモデルに、電子媒体を使った容量無際限の百科事典というコンセプトが有力。ただし、サブカルチャでは、データベース的な方向に向かっているようである。役割モデルは、紙の日本語百科事典を意識している人がいるが、少数で、多くの編集者は、何でも書く場所だという考えで、モデルを持っていない。あるいは、ブログのようなものがモデルかも知れない。
    • (意見)これは個人的な意見にすぎないのではないか? また、ここで唐突に「ブログモデル」が登場するが、説明抜きで困惑させられる。


  • (回答1補正)現状として、あまりに最近のことや、サブカルチャ(漫画,アニメ,映画,テレビ番組,J-POPなど)関係が多いので、もっと歴史的視野を持った記事が欲しいし、そのような視点を持った記述・編集が望ましい。日本語版では、「百科事典的」は、紙の百科事典とは異なる、ある意味、無限の容量を持つ事典なので、項目は百科事典の記事に値いするものは幾らでも増やしてゆき、記事分量も多ければ多いほどよいという考えがある。他方で、必要な記載に留めるべきと云う意見もあるが少数派と思える。「情報データベースではない」という考えである。古典的な百科事典をモデルに、電子媒体を使った容量無際限の百科事典というコンセプトが有力。ただし、サブカルチャでは、データベース的な方向に向かっているようである。役割モデルは、紙の日本語百科事典を意識している人がいるが、少数で、多くの編集者は、何でも書く場所だという考えで、モデルを持っていない。


試訳(無茶苦茶なので訂正願います)--Maris stella 2007年5月11日 (金) 21:26 (UTC)[返信]

As the current conditions, we feel that most editors are lack of wide-range of knowledges, historical visions and recognitions, therefore the articles relating to sub-cultural fields, such as manga (comics), animes, cinema-films, TV broadcast programmes, or J-POP (Japanese pop music), take very large part, and also recent materials which have no range of historical traditions, such as topics, events, new words, new concepts taken place in only recent 1 or 2 years time span, have attracted many users. We hope editors have more wide historical and global views.

In our wikip, people have the opinion that electronic/ computer technology based wikip-Encyclopedia may have infinite capacity, which is thought to be the major difference from traditional paper encyclopediae, so infinite entries, large volumes are desirable. On the other hand, there is another opinion that volumes of each articles shall have adequate, proper size, that is, wikipedia shall not be simple accumulation of data. The latter seems to be minor group.

Regarding to role models, a few people need some models and consider the traditional paper Japanese encyclopediae as model, but most editors' opinion is that wikip is the place where they write anything, and seem not to have clear model images.

(Remark) : one person says this is but personal opinion.

この回答を、回答候補としたく思います。以下に意見を述べてください。特に異論がない場合、これを翻訳して戴きます。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]
  • (意見)記事数が日本語版未満の言語版にさえ幾多の日本語版にない日本発の架空の人物の記事があり、英語版のポップミュージック・アニメ/カートゥーン・ビデオゲーム関連項目の比率も日本語版より明らかに高いためサブカルチャ関係が多いというのは疑問。そればかりでなく、新たに産声を挙げた記事ですら記事としての存在価値を鑑みない無闇な統合(現実への影響ではなく文章量だけで記事を存続させるかを判断する)をよしとする利用者気質・サブカルチャへの弾圧思想に懸念を感じる。しかしながらそれらの記事編集回数だけは多く、情報のまとまりは散漫。主に執筆者を占めていると考えられる若年者の国語力の低下は前述のサブカルチャ弾圧に拍車をかけており、それによって益々文章力のある歳嵩の利用者が寄り付かなくなる悪循環となっている。また「情報データベースではない」というのも英語版の方針の誤訳に等しく、この誤った解釈の所為で日本語版は一部の記事群(行政区画など)を除き統一感のない混沌とした状態に見える。--Sionnach 2007年5月14日 (月) 19:44 (UTC)[返信]

6. article quality
How important is the quality of the articles for you? Which actions do you take in your community to raise the level of quality and improve the articles? (Examples could be the election of featured and good articles, writing contests and time or theme oriented quality initiatives.) Which exclusion criteria are there to enforce low level demands about article quality?
(6. 記事の質: 記事の質はどの程度に重要と考えますか? 記事の質を高め、改善するため、コミュニティのなかでどのような活動を行いますか? -例としては: 秀逸記事の選考や執筆コンテスト、また time or theme oriented quality initiatives などが考えられるでしょう-。質の低い記事に対応するため、どのような排除規準が存在するでしょうか?)
  • (回答1)記事の質を重要と考えるのは少数派と思える。多数の編集者はあまり質を考えていない。質を高めるため、「加筆依頼」や「査読依頼」などもあるが、あまり機能していない。「スタブ」表示もあまり役に立っていない。新着選考、秀逸選考、執筆コンテストもあるが、質の向上の役割はあまり果たしていない。新着選考は、毎日、三記事選出なので、内容的にある程度優れた記事が作成される効果を持つと言える(年間千記事になるので)。あまり重要と思えない記事などは、質が低いと、「発展性がない」などの理由を付けて削除依頼で消されることがある。また見る人がいれば発展可能な記事でも、「定義未満」として削除したり、「辞書的」として、ウィクショナリ送りなどとなることがある。
  • (回答2)あくまでも英語版やフランス語版との比較であるが、ポータル機能が充実していない。ポータルは、デザイナーの素養と維持・管理を両立させない限り、良質なポータルは存在し得ないが、過去に作成されたポータルあるいはポータルのドラフトの中では維持をするものがいない状況が続いているものも多い。その結果、ポータルへの信頼性が低下している可能性がある。
    • (意見)「記事の質を重要と考えるのは少数派」とは誤認であろう。「記事の質を高める能力をもった編集者は少ない」ならば、的を得ているが。また、「ポータル」云々は質問の方向とずれているため、削除すべき。
      • (コメント)「記事の質を重要と考えている人」がもし多ければ、かくも大量なスタブやサブスタブはないと思える。「新規作成記事」のページを見ると、分量が少ないだけでなく、質的に問題のあるものが多いのは事実である。個人の経験であるが、新着推薦のため、探すと、多くの人が質を考えて新規作成しているとはとても思えない。体裁の整った記事は、量・質ともにあるが、サイズの小さな記事は質が低く、とりあえず作ってみたというものが非常に多い。ポータルの部分は、質問と少しずれているので省きます。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]


  • (回答1)記事の質を重要と考えるのは少数派と思える。多数の編集者はあまり質を考えていない。質を高めるため、「加筆依頼」や「査読依頼」などもあるが、あまり機能していない。「スタブ」表示もあまり役に立っていない。新着選考、秀逸選考、執筆コンテストもあるが、質の向上の役割はあまり果たしていない。新着選考は、毎日、三記事選出なので、内容的にある程度優れた記事が作成される効果を持つと言える(年間千記事になるので)。あまり重要と思えない記事などは、質が低いと、「発展性がない」などの理由を付けて削除依頼で消されることがある。また見る人がいれば発展可能な記事でも、「定義未満」として削除したり、「辞書的」として、ウィクショナリ送りなどとなることがある。
この回答を、回答候補としたく思います。以下に意見を述べてください。特に異論がない場合、これを翻訳して戴きます。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]
  • (コメント)記事の質を高める仕組みや質の低い記事を排除する基準について問われているので、その仕組みが働いていないのはなぜか、高める動きはないのか、排除する基準の有無や仕組みなどについてもう少し記載したほうがよいのではないでしょうか。また「新着選考~質の向上の役割はあまり果たしていない」「新着選考は、毎日~作成される効果を持つといえる」は矛盾しているように思います。(先の一文から新着選考をはずすだけでよいのかな?)--Clapon 2007年5月9日 (水) 01:28 (UTC)[返信]
  • (コメント)Maris stellaさんのまとめは実感としてはわかるのですが、Claponさんの指摘ももっともだと思います。新着選考についての記述は論理的には矛盾にみえますが、こういうことではないでしょうか。
    1. 量の問題:新着選考を念頭においた良質の記事の投稿はあるが、新規に投稿される記事の総数からいえばごく少数である。一定の効果はあるが、全体に波及するものではない。量の問題は秀逸選考・執筆コンテスト(年1回)にもあてはまります。
    2. 質の問題:新着選考は、新規投稿において質の向上へのモチベーションを高める一定効果がある。逆にいえば、既存の30万余の記事の改善には関わらない。
    以上を踏まえまして、この点については、次の文案ではいかがでしょう。「質を高めるために………がなされている。しかし既存記事の改善については、ごく少数の記事に影響を与えるに留まり、プロジェクト全体への波及効果に乏しい。メインページに掲載される記事を選ぶ新着選考は、一年に千記事を選ぶため、概算で二・三千ほどの記事に年間で影響を与えるかと推測されるが、一方で、同時期に数万の記事が投稿されており、全体への影響はやはり軽微に留まる。」--Aphaia 2007年7月22日 (日) 18:42 (UTC)[返信]

 

6. article quality
  • (回答1補正)記事の質を重要と考えるのは少数派と思える。多数の編集者はあまり質を考えていない。質を高めるため、「加筆依頼」や「査読依頼」などがある。しかしあまり機能していない。「スタブ」表示は質を高める機能のはずだが、あまり役に立っていない。新着選考、秀逸選考、執筆コンテストもある。しかし既存記事の改善については、ごく少数の記事に影響を与えるに留まり、プロジェクト全体への波及効果に乏しい。メインページに掲載される記事を選ぶ新着選考は、一年に千記事を選ぶため、概算で二・三千ほどの記事に年間で影響を与えるかと推測されるが、一方で、同時期に数万の記事が投稿されており、全体への影響はやはり軽微に留まる。「多数の言語版にある記事の一覧」や翻訳依頼なども、新規記事作成で効果があるが、あまり大きくないと思える。ポータルやウィキプロジェクトが記事の質を高める機能を担うべきとも考えられるが、日本語版では、コミュニティ・サブコミュニティが未熟な面があり、これらのシステムがあまり有効に働いていない。質の低い記事は、長くサブスタブ状態であったりし、あまり重要と思えない記事などは、「発展性がない」などの理由を付けて削除依頼で消されることがある。
上の補正回答を作成してみましたが、これではどうでしょうか。「質の低い記事を排除するシステム」というのは、ないように思えます。「質を高めるシステム」ということになると思います。これはわたしの考えで記していますので、適宜修正願います。また翻訳はどなたかにお任せします。(わたしは、8 を訳す予定でいます)。--Maris stella 2007年7月23日 (月) 11:32 (UTC)[返信]

むちゃくちゃな訳ですが、どなたかの下訳になればと思い、記しておきます。

Among contributors it looks like a minority those who put priority in quality control of article. The majority of contributors don’t take care of article quality. To improve articles, Japanese Wikipedia has request pages including “Request for addition” [1] and “Request for review” [2]. But those request systems don’t work well. Contest of new contributions, Featured article candidate nomination, Writing contests exist. Those pages influence a few number of articles and the project in entire isn’t so much affected. Contest of new contributions aims to select three articles listed on Main page daily so that over 1,000 articles win this contest and few thousand articles are estimated to be reviewed in a year at that page. On the other hand, close to hundred thousand articles are submitted to the project in a year, thus it is considered the contest to the project doesn’t influence wisely as for the enhance the quality of Wikipedia in total. “List of articles in many Wikipedias”, “Translation requests” benefit to create articles in quality, but their impact is also limited. User communities, built on Portals or WikiProjects could be considered to grow core groups which are in charge of quality control, but currently on Japanese Wikipedia those pages don’t play eminent rolls, due to immaturity of those user subcommunities. Short and poorly described articles tend to stay in this condition (so-called “substub”), and if such poor-quality article is considered to treat an unimportant theme, it could be list on requests for deletion due to “lack of further development possibility” and, be deleted.


以下の文章は、英文を少し修正したものです。訂正していて間違いだと困るのですが。--Maris stella 2007年7月24日 (火) 03:05 (UTC)[返信]

6. article quality
  • (回答1補正)記事の質を重要と考えるのは少数派と思える。多数の編集者はあまり質を考えていない。質を高めるため、「加筆依頼」や「査読依頼」などがある。しかしあまり機能していない。「スタブ」表示は質を高める機能のはずだが、あまり役に立っていない。新着選考、秀逸選考、執筆コンテストもある。しかし既存記事の改善については、ごく少数の記事に影響を与えるに留まり、プロジェクト全体への波及効果に乏しい。メインページに掲載される記事を選ぶ新着選考は、一年に千記事を選ぶため、概算で二・三千ほどの記事に年間で影響を与えるかと推測されるが、一方で、同時期に数万の記事が投稿されており、全体への影響はやはり軽微に留まる。「多数の言語版にある記事の一覧」や翻訳依頼なども、新規記事作成で効果があるが、あまり大きくないと思える。ポータルやウィキプロジェクトが記事の質を高める機能を担うべきとも考えられるが、日本語版では、コミュニティ・サブコミュニティが未熟な面があり、これらのシステムがあまり有効に働いていない。質の低い記事は、長くサブスタブ状態であったりし、あまり重要と思えない記事などは、「発展性がない」などの理由を付けて削除依頼で消されることがある。

Answer 6

Among contributors, it looks like a minority those who put priority in quality control of article. The majority of contributors don’t take care of article quality. To improve articles, Japanese Wikipedia has request pages including “Request for Expanding (addition)” [1] and “Request for Review” [2]. But those request systems don’t seem to work well. Daily "Contest of New Contributions", "Featured article Candidate Nomination", and annual "Writing Contests" exist. Those contests/nomination pages influence but a few number of articles, and the project isn’t so much affected in entire. "Contest of New Contributions" aims to select three articles listed on Main page daily, so that over 1,000 articles win this contest and few thousand articles are estimated to be reviewed in a year at that page. On the other hand, close to hundred thousand articles are submitted to the project in a year, thus it is considered that this contest doesn’t influence widely to the project, from the view-point of the purpose enhancnig the quality of ja-Wikipedia in total. “List of Articles Existing in Many Wikipedias", "Translation Requests" benefit to create articles in quality, but their impact is also limited. User communities, built on Portals or WikiProjects, could be considered to grow core groups which are in charge of quality control, but currently on Japanese Wikipedia, those pages don’t play eminent rolls due to immaturity of those user subcommunities. Short and poorly described articles tend to stay in this condition (so-called “substub”), and if such poor-quality article is considered to treat an unimportant theme, it could be listed on "Requests for Deletion" due to “lack of further development possibility”, and be deleted.



7. neutrality
How important is the idea of a Neutral Point of View (NPOV) when new articles are created? How do you describe the concept of a Neutral Point of View?'
(7. 中立性: 新規記事が立ち上げられたとき、中立性の観点(NPOV)への考慮はどの程度に重要と思いますか? NPOV の概念をどのように理解されていますか・どういう風に説明されますか?)
  • (回答1)新規記事立ち上げのとき、中立性はあまり問題となっていない。速報記事の類は、問題となり議論・紛争がしばしば起こる。NPOV は、典型的には政治的な立場の違いが日本語版では特徴と言える。左派と右派の争いが激しく、中立性の維持が困難である。両論併記か、または確実な典拠に基づく争いの解決が必要である。中立性とは、確実な典拠のある場合は、その典拠に従うことで、典拠が異論を述べる場合は両論を併記して、ウィキペディアでは何が正しい・何が事実という判断は行わないことである。
    • (意見)「政治的な立場の違い」は別に日本語版に限った特徴ではない。英語版でも「政治的な立場の違い」による論争は日常的に大量に発生している。従い、そのくだりは削除すべき。
      • (コメント)アメリカには、人種問題、宗教問題、性的少数者問題など、中立性が危うい問題が多数ある。日本にも人権問題などは存在するが、特に、中国・朝鮮半島との関係、歴史問題をめぐる中立性の問題が大きいと考える。


  • (回答1加筆)新規記事立ち上げのとき、中立性はあまり問題となっていない。速報記事の類は、問題となり議論・紛争がしばしば起こる。NPOV は、典型的には政治的な立場の違いが日本語版では特徴と言える。左派と右派の争い、あるいは中国・韓国・北朝鮮などとの関係において、歴史問題をどう捉えるかで編集者間の対立が激しく、中立性の維持が困難である。両論併記か、または確実な典拠に基づく争いの解決が必要であるが、両者ともに典拠とする資料があり、両論併記を望まない者がいるので、問題が難しい。中立性とは、確実な典拠のある場合は、その典拠に従うことで、典拠が異論を述べる場合は両論を併記して、ウィキペディアでは何が正しい・何が事実という判断は行わないことである。


試訳(無茶苦茶なので訂正願います)--Maris stella 2007年5月11日 (金) 21:26 (UTC)[返信]

Till recent time, many people are not so conscious of the concept of neutrality when creating articles. In articles dealing newly happened social events, matters, or currently proceeding and continuing events, controversy and disputes about correctness and neutrality frequently take place.

As for NPOV problems, ja-wikip may be typically characterized in the confrontation of certain political standing points. There are severe confrontations regarding Deutung/ interpretations of historical problems about the period of ruling of the Empire of Japan among editors who stand on either the left-wing views or the right-wing (correctly conservatism) views. The points of disputes are mainly relate to the relations of Japan and the certain East Asian countries, i.e. China (PRoC), Korea and North Korea. In these problems such as Jugun-ianfu (en:Comfort women), Nankin-gyakusatsu (en:Nanking Massacre) or Yasukuni-sanpai (靖国神社問題, see en:Yasukuni Shrine) etc., realizing (achieving) neutrality is quite difficult. Both sides have their own sources and both the sides tend to think that other opinions can not be accepted and so should be removed from the articles description, thus realization of the NPOV is difficult. Therefore, articles of such themes are usually lack of neutrality when they are newly created.

The NPOV is that 1) if there are reliable source(s), editors shall write according to the(se) source(s), and 2) if there are two or more reliable sources which have contardictive statements, we shall write both opinions/ statements and we shall not judge and decide which is correct or which is truth.

(Addition) : Some people who have enough understanding of the principle of the NPOV, they think the considerations to NPOV are very important when creating new articles. But many users/ editors have not enough understandings of the Principles of Wikipedia at the present state of us.

この回答を、回答候補としたく思います。以下に意見を述べてください。特に異論がない場合、これを翻訳して戴きます。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]



8. assessment of the product
How do you judge the general condition of your encyclopedia? Where do you see strengths and weaknesses?
(8. 事典の評価: 日本語版百科事典の全般的な状態をどのように評価されますか? 長所と短所-強みと弱点-はどこにあると考えますか?)おおまかな訳。--Maris stella 2007年4月20日 (金) 18:03 (UTC)[返信]

全般的な状態

  • (回答1)サブカルチャが優勢で、またオタク的分野(日本の鉄道・道路・アニメ・声優など)が無闇に巨大である。歴史的視点や、学問の広範囲な視野に欠ける編集者が多く、専門馬鹿も多数いる(専門馬鹿が、メイン分野の記事の発展を攪乱しているのではという問題もある)。良心的な編集者も多数いるが、比率的に、安易な方向に流れているのが状況である。本格的な専門家が執筆に加わって貰えれば、記事の質は格段に高まると思えるところでも、なかなかそういう人は少ない。カテゴリ編集、ユーザーボックス作成、一覧作成など、百科事典にとっては補助的な機能などに固執する者が多数おり、「遊びの場」と勘違いしている者もいる。しかし、少しずつではあるが、記事は充実して行っており、単に記事数が多いと言うだけではなく、一般の人が実際に使って役立つ百科事典に、最近は漸く近づいている感がある。
    • (意見)「サブカルチャ」「オタク」に対する皮肉的な一文はNPOVであり、削除するべき。「専門馬鹿」云々の下りは事実でなければ中傷の可能性がある。検証が必要であり、それが不能であれば削除するべき。また「遊びの場」と勘違いしている者もいる - 執筆は報酬を得て行っているものではない以上、「遊び」である側面は除けないはず。「勘違い」ではない。遊びから文化が生まれてくることを理解するべき。従い、上記箇所は削除するべき。


  • (回答2)総じて「1-2年前の英語版の状況」を思い浮かべてもらえば、日本語版の現状を伝えることができるだろう。他言語版との交流が少ないため、模範とするものがなかった英語版が通った道のりを、遅れて辿っているような状況にあり、ドイツ語版のように独自性を打ち立てようとするよりは、全体としては英語版の方針に追随する(いわゆる「日本人」的な)傾向が強い。現在、出典明記の重要性が参加者に定着し、その周知徹底が始まろうという時期の段階にある。個々の記事について見れば、英語版記事より優れた内容が新規執筆されたものや、英語版秀逸記事からの翻訳などによって品質は高まりつつある。そのような見方をすれば、成長は遅れているが順調に育っていると言えるだろう。英語版の発展は日本語版の発展を間接的に、だが強力に後押しするだろう。
  • しかし一方では、社会一般からの認知が急激に高くなったことや、英語版の状況に合った判断をそのまま日本語版に当てはめようとする人がいることなどのため、そのような、ゆっくりとした順調な成長が許されないという状況に置かれている。そして、その期待されている発展のスピードに、能力のある参加者の増加が追いついていない。(Y tambe)
    • (意見)「1-2年前の英語版の状況」を思い浮かべてもらえば - この一文はほとんど検証不能であるから削除するべき。
      • (コメント)ご意見ありがとうございます。ですが、この部分に関しては「検証性」の有無を理由として除去を主張していただく必要はありません。アンケートに対する回答という性質上、どのコメントもあくまでPOVであり、それがどの程度の賛同を得られるか(複数人のPOVとなりうるか)こそが重要です。したがって「私は、このような印象には違和感がある」と言う人がいて、それが多数派であるのならば、それだけで除去する対象となるでしょう。
      • この一文を残すに当たっては、正直言うと私も違和感があることは承知してますのでかなり逡巡しましたが、それでも敢えて残したのにはそれなりの理由があります。一言でいうと「冒頭にキャッチフレーズを置き、それを印象づける」ためです。ご存知の通り、他国語版の多くの参加者にとって日本語版は、それなりに大きな規模を持ちながら、その内情が判らない、うまくいってるんだかいってないんだか把握できない、という印象を持たれています。今回のアンケートは(もちろん、そういう意図で実施されているものではないにせよ)、その状況に変化を与え、日本語版は日本語版なりに頑張っていることをアピールする、一つの機会に利用できるだろうと思っています。で、そういったアピールを「上手く」行うための一つの手法が、「大まかなイメージを、読者にまず与える」ということです。キャッチコピーみたいなものだと言ってもよいでしょう。この手の、いわばイメージ戦略というのは、時折「固定されたイメージ」を植え付け、一人歩きさせかねないというリスクがありますが(まぁその対策もあって、わざわざ「1-2年前の英語版」という、計時変化を連想しやすいフレーズを使ってるわけですが)、そのリスクと、日本語版の状況を大まかに知ってもらえるというメリットを天秤にかけて、まぁチャレンジしてみる価値はあるんじゃないかな、と判断し、文頭にフレーズとして残したものです。こういった背景も合わせて、再度、判断の上コメントいただければ幸いです(もちろん、「それでも違和感が大きいのでダメ」「こういう問題を見落としてるのでダメ」でも構いません)。--Y tambe 2007年5月2日 (水) 08:00 (UTC)[返信]
    • (意見):「しかし一方では……」以下にはほぼ同感です。英語版と比較するのは書きやすさの点でもいいと思いますが、「1-2年前の英語版の状況」と説明するのはあまりうまくないと思います。理由はみっつあり、1)英語版と比較対象にしていることについて限定が足りない可能性がある。英語版の運営の一番の特徴は Jimmy Wales と財団が要所要所で介入するということです。コンテンツに関してもこれはあてはまります(en:WP:OFFICE)。ですので、その要素はないことなど、英語版にあって日本語版にないものを意識して書いたのでなければ、イメージが伝わらないのではないでしょうか。2)英語版の1年前と2年前ではかなり差があるので、ばくぜんとしすぎている。少なくとも、1年前の英語版と似ているとは私には思えません。1年前の英語版ではすでにピアレビューが本格稼動し、Living Bio policy も採用され、全記事の分野別評価と出典のない記事へのタグ付けがはじまっています。この前リリースされた CD の企画もちょうどこの頃はじまっています。Nature で評価されたのは2006年の年頭です。やや誇大な表現なのではないかと思わざるを得ません。3)サブコミュニティの存在の有無、という大きな特色が捨象される。英語版はかなり以前からピアレビューが稼動し、分野別のサブコミュニティも2005年から急速に発達し、それ以前にもBritanica1911版の移入などPD素材を用いた蓄積もありますので、コンテンツの質をいうときに英語版を持ち出すのは、誤解を生むのではないかと思います。--Aphaia 2007年5月3日 (木) 07:50 (UTC)[返信]


  • (長所回答1)長所:メジャーな最近の日本のサブカルチャ記事に限れば、比肩できるもののない膨大な資料集である。強みとしては、日本語は高度に自立した孤立言語であるため、一旦他国語版から、記事等が翻訳を通じて移入されると、「日本語化」がほぼ完全に行われるので、日本語にはかつて存在しなかった知識集積・アーカイブがウィキペディアで成立することになる。おそらくこれに近い強みを持つのは英語版だけではないかと思える。西欧語の場合、言葉や概念は、語幹自体はそのまま流用するので、言語や知識の豊かさの増大への寄与は少ない。日本語化するというのは、多数のカタカナ語以外に、膨大な翻訳漢字語の蓄積と造語伝統がある為、新しい言葉の誕生や概念の生成、知識の構造表現が成立することである。これは、「未来に想定される世界普遍百科事典」が日本語で実現するということのステップの一つである。ウィキペディアは、「普遍百科事典」を構築する作業となっているが、自国語でこの普遍事典を実現するのは、英語と日本語だけではないかと考えられる(これは私見であり仮説であるが)。
    • (意見)「日本語の特徴」に関する自論(?)の妥当性はさておき、質問の方向とずれているため、このくだりは削除すべき。また「世界普遍百科事典」という表現は少し妄想が過ぎるのではないか?


  • (短所回答1)短所:日本のサブカルチャであっても、輸出などで他国に流布しているものは、ときに、他国語版の方が記事の質が高いことがある。日本語版は、サブカルチャは中学生・高校生レベルの記事水準で、他国語版は、大学生から大人の水準になっている。日本語の文章語は、ネイティブ日本語話者にも習得が難しく、これがサブカルチャを含め、記事全般の質の低さの原因とも思える。また、広い視野や教養を持ち、文章力も構成力もある大人の編集者が少ない可能性がある。これは日本語版の弱点である(比率的にも、数的にも少ないと思える。あるレベルの質の記事を書けるのは、時間的余裕のある大学院生・大学生などと考えられるが、彼らは専門分野では優秀であっても、視野や知識レンジが狭いことが多々あり、就職すると多忙になって、無期限ウィキブレークに入るため、編集経験の蓄積が起こりにくい。日本語版は編集者の平均精神年齢が幼い可能性がある。このことから更に、教養や経験を持つ大人の編集者が、真面目に編集する意欲を失い去って行くという悪循環になると考えられる)。
    • (意見)日本語版の執筆者の主体が中学生・高校生であると認識されかねないが、事実か?
    • (意見)日本のサブカルチャは、海外では一部を覗いて非常に高価です。執筆者の主体が、日本語版で子供が主体になり、他国語版で大人になるのは当然の結果ではないかと。また、日本語版で執筆者に子供が多く見えるのは、フィルタリングのないインターネット接続環境を与える親が多いからではないかと思います。最近では学校裏サイトとか話題になっていたりします。--Yhiroyuki 2007年5月1日 (火) 01:43 (UTC)[返信]
    • (意見)利用者の精神の幼さを示すものに、対話能力のなさを挙げたい。日本語版での問題の発生原因は利用者間のコミュニケーションの乏しさであり、事情を文章で論理的に説明する能力と他人の意見を論理的に理解して同意ないし反駁する能力のいずれかに問題のある利用者が特に日本国内の創作物関係において目立つ。--Sionnach 2007年5月14日 (月) 19:44 (UTC)[返信]
  • (短所回答2)短所:他言語版から日本語版への翻訳について。日本語版の利用者のうち、日本語が母語あるいは同等レベルで多言語を日本語に翻訳する者は、圧倒的に英語に堪能な者が多い。それ以外の言語については質の高い和訳を提供できる者、またその翻訳内容を査読できる者が非常に少ない。結果として、英語以外の言語の翻訳依頼に対応しない、英語版にない記事が翻訳されない、英語圏外の事物についても英語版からの翻訳で英語版以外に書かれた内容が日本語版に反映されない、英語版のみを参考にするので内容に偏りが生まれる、といった傾向にある。
    • (意見)インターネットでは他言語から日本語、他言語から英語が可能な翻訳サイトが多数存在する。これらを利用している執筆者も多いと思われる。従い、上記の記述内容は問題が多い。


  • (回答候補)
  • 概論 Overview
    • 日本語版は、コミュニティのメンバーの平均年齢が相対的に低く思える。記事には、グローバルな視点と歴史的な幅広い認識が必要であるが、このような編集者が少なく思える。優れた編集者も多数いるが、それを上回る、オタク的サブカルチャ分野に関心のある人が多い。そのため、日本の鉄道、道路、アニメ、声優、アナウンサーの記事などが過剰に大きな要素を占めている。このような分野では、視点がここ数年程度の流行に置かれていることが多く、どうしても、地理的、歴史的なPOVが起こる。しかし、メジャー・カルチャー分野の記事も、それなりにできつつある。英語版の記事の質を見ると、やはりまだまだ不十分であるが、英語版からの記事翻訳なども通じて、質は徐々に向上していると思える。二年前に較べれば、数だけでなく、質もまた全般的に着実に高まっていると思える。
    • ある人の意見として、全体的概観として、日本語版の現状は、英語版の1、2年前を想像して戴けると、イメージが得られるとの回答があった。(ドイツ語版は独自の路線を進んでいるが、英語版はモデルのない状態から出発し、日本語版は英語版を追随しており、優れた英語版の記事翻訳なども通じて、徐々に質が高まっている)。
    • しかし、これに対し反論があり、英語版では、ジミー・ウェールズや財団等が運営に直接介入している。また、英語版の一年前は、すでにもっと進んでおり、このようなイメージは不適切との意見があった。(すなわち、英語版は、日本語版にない、サブコミュニティが存在する。そこから、1年前にはすでに、ピア・レビューの導入、記事の個別評価、出典明示テンプレートの全記事への貼付開始、Britanica1911, PD版の利用などもあった)。
  • 長所 Strong points
    • 日本語版の編集者の多くは日本人である。日本は、欧米以外の国にあって、唯一の先進国である(技術、経済、社会、学術、文化等で)。実際、ウィキペディアにおいて、日本語版は、中国版と比較しても量的・内容的に非常に大きい。日本語版よりも大きな、または同等なウィキペディアは、すべて欧米の言語のものである。
    • 1)日本語版は、日本語の文献などによって、記事が独自に構成できるという長所がある。グローバルな事象について、日本語でその言葉や概念や事象が、かなりな広さですでに日本語となっている。
    • 2)他の言語版とも共通する長所として、日本語版の編集者も英語やフランス語、ドイツ語に堪能な者がおり、欧米の言語版の記事から翻訳を通じて記事を移入できる利点がある。翻訳のためには、言葉や概念が日本語ですでに存在しないと困難であるが、1)の事情から、多くの場合、ウィキペディア用に新規の訳語を造らなくともよい場合が多い。
  • 短所 Weak points
    • 1)英語版との比較でいえば、英語版には、世界中の様々な文化や国の人が記事編集に加わっている、そのため、非常にグローバルである。日本語版では、日本語はかなり多くの国でも理解できる人がいるが、ネイティヴ・スピーカー以外では、記事を日本語版で書くほどに堪能な者は少ない。
    • 2)英語版からの翻訳による移入が大きな部分を助けている。しかし、英語版の記事には、独特な偏りが存在する。英語版POVがあり、これが日本語版での英語由来のPOVとなって出てくる。
    • 3)日本語版ユーザーは多く日本人である。ウィキペディアのようなシステム・プロジェクトは、日本人の文化に合っていない可能性がある。ユーザー間のコミュニケーションがうまく行かないことが多い。共同作業が色々な面でうまく進まず、コミュニティが未熟で、そのことが記事の質などにも影響するように思える。


試訳(無茶苦茶なので訂正願います)--Maris stella 2007年7月23日 (月) 20:23 (UTC)[返信]

Answer 8

  • Overview

It seems that the average age of members of the ja-wikipedia community relatively low. To write good articles, editors are required to have both global view-point and historically wide-ranged knowledges and recognitions. But such editors seem to be few in us. Of course, there be many excellent editors in us, but there are more people who have addictive interestings in Otaku-like subcultural fields such as railroad stations and trains in Japan, roads list, animation, game-softs, voice-actresses/ -actors, and TV/radio announcers. So our encyclopedia has excessively large amount of such articles. In thses fields, editors' view-points are often adhered to recent two or three years ranged popularized matters, and thus geographical/historical POV inevitably tends to take place due to their narrow views. On the other hand, we are having fairly enough number of fine Major Fields articles at the same time. In contrast to quality level of en-wikip fine articles, our quality level is still low. We think, however, quality is gradually improving in us, e.g., through translating fine articles in en-wikip etc. Comparing with the conditions in 2 years ago, totally saying, both quantity and quality of articles seem to have been steadily improved.

(Opinion of one person) There is also an answer that as a total overview, the present conditions of ja-wikip are similar to those of en-wikip in 1 or 2 years ago, and you may be obtain the image of ja-wikip by thinking the those conditions of en-wikip. (On the one hand, de-wikip has been going along their unique way, but en-wikip had started its way on the status without model, and ja-wikip has followed the manner of en-wikip and its quality has gradually improved through translation of excellent articles of en-wikip.)

(Opposition) However, there is an opposing to this opinion. The situations of en-wikip and ja-wikip are definitely different and not comparable. E.G. in en-wikip, Jimmy Wales and/or the Foundation directly intervene important points of administration, and contents themselves (en:WP:OFFICE). In addition, the states of en-wikip in 1 year ago already far more advanced. Therefore, such imaging or simile are inadequate. The another person states. (That is, there are sub-communities in en-wikip, which ja-wikip does not equip. Based on these sub-communities, introduction of peer reviews, evaluation and ranking of each article, starting of attachment of source-template to every articles, and utilisation of Encyclopedia Britanica, 1911, PD version were already realized one year ago.)

  • Strong Points

Most editors on ja-wikip are Japanese. Japan is the only advanced nation except Euro-American nations. (In technologies, economics, social structures, various sciences, and cultures etc.) In fact, among many wikipedias, ja-wikip is highly larger than zh-wikip, if comparing in quantity and quality. Wikips larger than or equal to ja-wikip in contents are all those of European/North-American languages (English, German, French, Spanish, Polish etc.) This is since :

  1. JA-wikipedia has strong points that we can construct articles by using Japanese books and references (almost only). Japanese has wide range of terms/words/phrases to express Global matters, concepts, events, sciences etc.
  2. As the strong points shared with other languages wikips, there are editors who are fluent in English, French, German, Spanish, Chinese etc. in ja-wikip, and we can introduce the articles in various wikips to us through translation. If one language has not enough terms/words for translation, it is difficult to translate, but our language (Japanese) has many terms/vocabulary for translating foreign matters as stated above 1.
  • Weak Points
  1. Saying in contrast with en-wikipedia, there are many people from various countires and cultures world-wide, engaging in editing en-wikip articles, and so en-wikip has very global contents. As to ja-wikip, many people in the world have learned and understand Japanese, however, persons who are fluent enough to be able to contribute to ja-wikip are few. Really, most editors are Japanese native speakers.
  2. We are very thanks to en-wikip for import of its articles through translation. But articles of en-wikip include their peculiar bias. There are en-wikip POV's. These result in ja-wikip POV's derived from en-wikip.
  3. Most users of ja-wikip are Japanese. There may be possibility that the system or project like the Wikipedia don't fit with the culture of Japan. Communication among users each other frequently tends to be failed. Collaborative activities don't proceed well in various aspects. Our community under the Wikipedia Principle seems to be immature and this seems to affect quality of articles etc.
これも複雑で、意見が錯綜しているので、もう少し意見をよく読んで、回答候補の文章を作成したく思います。--Maris stella 2007年5月8日 (火) 10:43 (UTC)[返信]
一応、色々な意見や批判を元に、まとめて見ました。かなり長いですが、このような回答でどうでしょうか。問題ないようであれば、無茶苦茶な英語ですが、翻訳してみます。--Maris stella 2007年7月23日 (月) 10:41 (UTC)[返信]

deadline extended[編集]

Dear Japanese Wikipedia community,

I owe a big "thank you" to everybody who has helped answer my questions.

So far over 50 people across six Wikipedia communities have contributed to their community's answers and I am grateful for their help. However, for the study to be comprehensive I need more people to get involved. Some communities also seem to need more time to discuss and work out the answers.

Therefore I have extended the deadline for participation until May 13th.

I have used mailing lists and village pumps to spread the initial announcement about my research questions, but every community has their own channels for the distribution of information. So, I ask you to help get more people involved to make sure the results accurately represent your community.

When phrasing the answers, please approach it as if you were writing a Wikipedia article: try to work on joint answers that your community can agree on. The answers don't need to be neutral in an NPOV kind of way, but please try to give a comprehensive picture of the processes and ideals of your community.

Best wishes,
Kurt Jansson 2007年4月30日 (月) 11:23 (UTC)[返信]

関連項目 (See also)[編集]