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利用者‐会話:Serezha/過去ログ

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Template:特筆性の貼り付けについて

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Template:特筆性を貼り付ける前にWikipedia:特筆性 (音楽)を読んでください。せめてググるようにしてください。--Clarin 2008年8月11日 (月) 10:50 (UTC)

特筆性を満たしていることの立証は項目の主題が百科事典への記載に価すると主張する側が行うべきです。陳綺貞は「幾つかのレコーディングをインディーで行う」とあり、ディスコグラフィの節にはレコード会社の情報が記載されていないのでWikipedia:特筆性 (音楽)の条件を満たしていることが立証されていません。{{特筆性}}をはがすのならWikipedia:特筆性 (音楽)#音楽家のいずれかの条項に該当していることを検証可能な資料に基づいて項目本文に記載して下さい。--serezha 2008年8月11日 (月) 14:30 (UTC)
レーベル名なら他言語版を見るなり、ネット検索すればわかることです。わたしとて特筆性のない音楽家項目の大量生産には反対ですが、ネットで58万件ヒットして4言語版作られている歌手にTemplate:特筆性を貼り付けるのは多少無茶ではありませんでしたか。記事に不備があることは認めますが、頭に「特筆性」をつけて立項するということは、そのアーティストに失礼とまではいいませんが名誉なことではないのです。また、こういったテンプレートはここぞというときに使わなければ、使う側の信頼が低くなることもあります。ですから慎重になっていただきたいのです。よろしくお願いします。--Clarin 2008年8月12日 (火) 09:34 (UTC)
確かに人物の項目冒頭に{{特筆性}}を貼り付けるのはその人物の名誉を傷つけかねないことですが、一方で本文を読んだだけではその人物がなぜ百科事典に掲載されているのかがわからないような項目を放置しておくことはWikipdiaの信頼性を損ねることになります。時間に余裕があれば自分で調べて加筆することも可能ですが、曖昧さ回避ページへの大量のリンクを修正する作業をしている最中にこういう項目に出会ってしまえばそうもいきません。Wikipediaが質量ともに史上最大の百科事典を目指すプロジェクトである以上、先を急いでいる中で二者択一の選択を迫られればWikipediaの信頼性を高める方向に舵を切らざるを得ません。ですから項目を立てるのならその主題が百科事典に記載されるに相応しいものであることをたまたまそこを通りがかっただけの利用者にもすぐにわかるようにしておくべきです。Wikipediaの発展のためを考えれば、項目をそういう状態に放置していた初版立項者や編集参加者に注意を促す方が建設的ではありませんか? --serezha 2008年8月13日 (水) 10:24 (UTC)
特筆性の有無をどうしてWikipdiaの信頼性に結びつけるのでしょうか。Wikipedia:特筆性によれば、特筆性のない話題への対応は削除および統合であり、Template:特筆性を貼り付けは項目の削除または統合の可能性を想定するものです。先を急いでいる中というのは個人的な都合の問題であり、だから調べもせずに貼り付けて回ったというのは記事の執筆者に対して無礼な話です。だからせめてググるようにしてくださいと申しましたし、慎重になっていただきたいと申しました。わからないというだけでテンプレートを貼り付けて回る行為はおやめください。よろしくお願いします。--Clarin 2008年8月13日 (水) 13:24 (UTC)
特筆性が問題になるケースというのは項目主題の関係者が宣伝や売名を目的に立項したと考えられるケースが非常に多いのです。そのような項目が放置されていることはWikipediaの中立性に疑義を抱かせることになります。大量の草取り作業を行っている利用者にわざわざ手を止めて別の手のかかる作業に取り組むことを強いるような項目を放置している執筆者こそ無礼ではありませんか。項目主題が特筆に価するものであるのかどうかは草取り作業をしていて偶然通りかかった利用者よりその項目の主執筆者の方が詳しいに決まっているのですから、{{特筆性}}が貼られたら適切な加筆を行った上ではがせばいいだけのことです(もちろん実際に特筆性があればの話ですが)。--serezha 2008年8月13日 (水) 15:01 (UTC)
記事中で特筆性が立証されていないというだけでどうして特筆性案件→宣伝案件になってしまうのですか。それは記事に出典が示されていない記事のすべてが独自研究案件だといっているのと同じです。確かに記事に出典を示すに越したことはないのですが、出典が示されていない記事のすべてにTemplate:独自研究を貼り付けて行く行為は間違いなく執筆者に対し無礼です。記事を一見してWikipedia:特筆性 (音楽)が立証されていないからといってTemplate:特筆性をすべてに貼り付けて行く行為も同じです。特筆性に疑問を呈するということは、削除または統合を検討するということであり、それを防ぎたければ防ぎたい側が特筆性の条件を記事中で立証しろ、という話なのです。大量の草取り作業中だったというのはあなたの個人的な都合の問題であり、本来万全を期して一つ一つ丁寧に行わなければならないメンテナンスを片手間に行ってしまっただけです。あなたのおっしゃるように、特筆性の条件をすべての記事中で立証することがWikipdiaの信頼性のためのメンテナンスであり、加筆を呼びかけるためにTemplate:特筆性をすべての該当項目に貼り付けるというなら、そのようなコンセンサスを先に作ってください。--Clarin 2008年8月14日 (木) 13:16 (UTC)

(インデント戻します)返答が遅れまして申し訳ありません。この件についての議論にこれ以上の労力を割くのは全く無益だとは思うのですが、あなたの展開する論理には到底承服致しかねますのでやむを得ず…。
項目の不備を見つけた時に自分で修正するか、他の執筆者に修正を促すテンプレートを貼付するかはその人の裁量に委ねられることで、自ら修正を行うとすればそれはその人の善意です。私が特筆性を立証する加筆をしなかったのは善意でそれを行う余裕がなかったというだけのことで、本来かけるべき手間を省略したのではありません。なすべきことを怠ったのはこの項目の立項者及び主執筆者の方でしょう。初版の投稿から一年以上、Wikipedia:特筆性 (音楽)がガイドライン化されてからでも半年以上も必要な情報の加筆を怠っていた人が、この時初めてこの項目の存在に気づいた草取り作業中の利用者に自分のしなかったことを行うよう要求するというのは全く不当なことです。
Wikipedia:特筆性 (音楽)はすでに適正な手続きを経てガイドライン化されているのですから、この文書に照らし合わせて問題のある項目に{{特筆性}}を貼付するのに別の新たな合意を形成する必要などありません。信憑性の疑わしい記述に{{要出典}}や{{出典の明記}}を貼付する根拠としてはWikipedia:検証可能性があれば十分なのと同じです。
自分の行った編集の不備を指摘されるというのはあまり気分のいいものでないのは確かですが、私たちは質量ともに史上最大の百科事典を作ることを目的としたプロジェクトに参加しているのである以上それは仕方のないことでしょう。それを「無礼だ」などといって逆切れするのは恥ずかしいことです。もちろん私とて未熟者ですから自分の行った編集には不備なものも数多くあると思いますが、それを指摘されたら謙虚に受け止めて改善する努力をします。指摘した人に対して「無礼だ」と抗議するなどというのは全く考えも及ばないことです。--serezha 2008年8月23日 (土) 14:41 (UTC)

Wikipedia:特筆性 (音楽)は音楽に関して作成すべき項目とそうでないものの区分に関して述べているだけで、すべての音楽記事の記事中にそのガイドラインを満たしていることの立証を義務付けているものではありません。他人の書いた記事に関して「信憑性の疑わしい」とするのなら、せめて事前に最低限度の方法で調べてくださいと申し上げているだけなのに、それを頑なに受け入れない理由は何でしょう。確かにWikipedia:検証可能性は{{出典の明記}}を貼付する根拠には十分なものですが、だからといって調べもせずに出典のない項目に貼り付けて回ることがコミニュティに受け入れられるのかどうかとはまた別の話と考えます。--Clarin 2008年8月24日 (日) 09:02 (UTC)
Wikipedia:特筆性 (音楽)がガイドラインを満たしていることの立証を明示的に義務付けているわけではないのは確かですが、方針とかガイドライン文書の問題以前に扱っている主題がどのような特筆すべき性質を持ち合わせているのかが明記されていないというのは百科事典の項目として明確な欠陥です。これは特に歌手の項目の場合には致命的です。というのも、世の中に歌を歌ったことのない人なんていないので「誰それはどこそこの国の歌手である」というのは情報量としてはゼロに等しいからです。歌手の項目を立項するからには、単に「歌の好きな人が休みの日によくカラオケに歌いに行っている」というのとはどこがどう違うのかが明確にされていなければ閲覧者の利便に供することはできません。
自分で調べて加筆できればよかったのは確かですが、Googleで検索しても上位にはCDの販売サイトや個人のブログのようなものしか見当たらず、また詳しく調べようとすれば自分の全く理解できない中国語の資料を見なければならない可能性が高かったので早々に断念せざるを得ませんでした。取り敢えず放置してリンクの修正だけ行うという選択肢もあったわけですが、その時にやっておかなければ私はこの項目のことを失念してしまう可能性があり、この項目が不備なまま長期間放置されてしまうことが考えられました。そこでこの人物について自分よりはるかに詳しいはずの主執筆者に加筆を促すテンプレートを貼付することにしたのです。
私としては与えられた条件の中でWikipediaの充実のために最善と思われる手段を講じたのであり、結果的に見てもこれをきっかけとして「魔岩レーベルとの契約」という実績が加筆され、執筆者自身の感想と思われる部分が除去されて項目の信頼性は確実に向上したわけです。それにも関わらず(本来項目の執筆に割くことができるはずの時間と労力をあまり益があるとは思われない対話のために費すことを強要してまで)この行為を「無礼だ」と詰らなければならない必要性を私は理解できません。--serezha 2008年8月24日 (日) 16:04 (UTC)
そうそう、最初からGoogleで検索しても確認できませんでしたとか、中国語の資料は理解できませんとか、そのようにおっしゃっていただければよいのです。そうすればここまで話が長くなる必要もなかったのですよ。無礼という言葉に引っかかってらっしゃるようですが、本来項目の内容に関して、方針に照らし合わせて特筆性がない、または独自研究であるという考えに基づいて嫌疑をかけることは真っ当なことです(考えを持つからには、調べるくらいのことはするはずです。)。しかし内容に関して調べず、嫌疑だけは置いていくというアクションに関しては、わたしは記事をつくった側に対して最低限度の礼節をわきまえた行為ではないと考えています。わたしがカラオケに行って自分自身を歌手の項目として作成しても、Googleでは全くヒットしませんから即時削除されるだけの話で、それだからプロの歌手も含めて嫌疑をかける必然性があるとは、やはり思えません。ネット検索すればある程度わかるのですから、誰がどこの国の歌手であるという記述は情報量ゼロではなく、誰がどこの国の歌手であるという情報を持った記述だと思います。最後にどうでもよいですが、対話のために時間と労力を費すことを強要されているのはお互い様ですよ。しかしながら今回の件に関してはGoogleで調べていただき、ありがとうございました。今後の serezha さんのウィキペディアでのご活躍を期待します。--Clarin 2008年8月25日 (月) 14:43 (UTC)
まあ初めに「Googleで検索してもわからなかったし中国語は理解できないので勘弁してくれ」とでも返答しておけば簡単に済んだのでしょうけど、あなたの最初の書き込みがあまりに理不尽だったのでその前にいろんなことをいわざるを得なかったのです。Wikipedia:特筆性 (音楽)の履歴やノートには私の本アカウントが記されているのですから「読んでください」はかなり侮辱的な発言です。それにこの文書には「Google検索で何件以上ヒットすればOK」みたいな条項はないのですから「せめてググるようにしてください」というのは意味のない要請です。ある程度以上のヒット数があればこの文書が定める条件は満たしていてそれを立証する資料がその中に含まれているだろう、ということは推定できますが、実際にそれを捜し当てるのは決してやさしいことではありません。ですから特筆性の立証は立項者もしくは主執筆者が行うべきなのです。
このように「読んでください」といった当人が本当に読んでいるのかどうかわからないようなことを述べているので、私としてもいろいろと述べるべきことが生じてしまったのです。こういう不毛な論戦を避けるためにも、人の行為について抗議する際には要点を的確に指摘するようにして下さい。--serezha 2008年8月26日 (火) 15:53 (UTC)