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利用者‐会話:Uribou2

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テキストの除去はおやめください。 こんにちは。記事からテキストを除去するのはおやめください。こうした編集は荒らし投稿とみなされます。テキストを除去した記事に問題等が有りましたらWikipedia:連絡先/記事の問題をご覧ください。もしテスト投稿がしたければ、テスト専用ページWikipedia:サンドボックスの使用をおすすめします。このほか便利な機能をいろいろ紹介するガイドブックもご参照ください。あなたのウィキペディア・ライフが充実したものでありますように。--多摩に暇人会話2012年6月3日 (日) 14:21 (UTC)[返信]

内容に問題というか項目の存在自体が問題かと。百科事典に、特に個人の批評が必要な理由をお聞かせ願えませんでしょうか?

コミュニティの議論によって必要であると判断されています。問題があるとあなたが思うのであれば勝手に除去を強行せず新規に各ノートに於いて提案してください。(ノート:AIR (ゲーム)#批評についてノート:Fate/stay night#批評が記事に必要かどうかWikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見も参照してください。--多摩に暇人会話2012年6月3日 (日) 15:56 (UTC)[返信]

読みました。百科事典に批評は不要なのは当然ですよね。作品とは何の関係もない単なる売名行為的なスタンドプレイとしか見えませんが?削除が妥当とおもいます。

荒らし行為はやめてください。荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。

常識的に考えて作品がどういう評価がされているかを書くためには必要ですよね。しかも適当な出典を個人的意見を以て削除するのは不適切です--B.R会話2012年6月3日 (日) 16:45 (UTC)[返信]

あのー、ですから、百科事典に批評はそもそも不要だと言っているのですが。ごく個人がどういう評価を下しているかなど、書く必要はありませんよ?あと、何をもって適当な出典というのか根拠を示して下さい。

これは最後の警告です。
これは最後の警告です。

これは最後の警告です。次に荒らし行為を行った場合、あなたは編集ができない状態におかれます。

まあ評価の必要性は上記で言った通りとして、あなたが批評についてどう思おうともいずれにせよ出典が付記された記述を個人の独断で除去するのは止めてください。--B.R会話2012年6月3日 (日) 17:11 (UTC)[返信]

どこにも作品評価の必要性とは書かれてませんが。言い負かされるのが嫌だからと言って捏造するのは良くないですよね。そちらこそ荒らし行為は控えて下さい。

ブロックいたしました。[編集]

あなたはブロックされました。
あなたはブロックされました。

あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。今後の対話ならびに異議申し立て、解除依頼はあなたの会話ページで受け付けます。会話ページも編集できないブロックの場合は、IRC#wikipedia-ja-unblock、もしくはメーリングリストで、会話ページの編集許可を求めてください。(ヘルプ投稿ブロックへの異議申し立て投稿ブロックへの異議申し立ての手引き参照)


出典が伴う記述を除去するときは、あなた個人の感覚で除去してしまうのではなく、この会話ページでも指摘が行われているように、ほかの方との協調を図ってください。上記で案内されている「Wikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見」を再読してもなお、百科事典に第三者からの視点による批評は必要がなく除去されるべきである、と判断することは自由ですが、実際にすぐさまその判断をもとに記述を除去することは避けてください。少なくとも記事のノートページでほかの方の意見を聞いたうえで、合意が得られてから、除去を行ってください。

わかりやすく言いますと、「百科事典には批評は必要がない」ということもまた、あなたの独自の判断でしかないかもしれない、という可能性を、常に頭の片隅において活動してくださるとよいと思います。--海獺会話2012年6月3日 (日) 17:29 (UTC)[返信]

そういうのってなんだか議論のための議論でしかないですよね。批評の必要性のなさに関しては、大体どの項目にも頻繁に反対意見が出ていることで明らかとおもいます。
常に検索上位に来る作品説明に、その作品とは全く何の関係もない事項(特定の人名)を書きたがる人達がいるんだなということが判りました。
まず、署名の仕方から覚えましょう。(--~~~~ と記入、または署名アイコンをクリック)と、編集の際に現れる画面に書いてあります。
今書いてくださったあなたの意見が、ウィキペディアで広く受け入れられるかどうか、それぞれの記事でお話を持ちかけてください。現在のように、ほかの方の意見と、あなたの考えが対立したまま、あなたが記述を除去し続けるならば、あなたの行動だけが問題行動となってクローズアップされてしまうことに気付いてください。
「この記事では、この人の批評がいらないんじゃないか」「この記事ではこの人の批評は有意義な記述だろう」等の意見が、それぞれの記事のノートで話し合われ反映されることは、記事の対象に対する理解を閲覧者がより深めるための、重要な事柄です。--海獺会話2012年6月3日 (日) 17:44 (UTC)[返信]

わざわざ有難うございます。「良い批評(もしくは良い批評者)だな」と思える記述も正直あります。 ただ、わざわざwikiに明記する必要がとてもじゃないですがあるとは思えないような批評でも、他の人に「いえ、ありです」と言われたら、それ一つで平行線になってしまい、先に書いておいた者勝ち的な売名行為を間接的に許すことになってしまいます。 ですから作品の批評項目自体を消すのが解りやすいと思います。

あと、上のBlack-Riverさんや管理人さんも含めて、非公式の批評ををwikiに書くのはナンセンス、という意見に全く反論が出来ていないと思います。 作品批評いうものは、人の数だけ存在するもので、「声の大きいだけの人達」の、(それこそその個人の中でもコロコロ変わるような)意見のみをピップアップするのは、wikiの役割とは思えず、有害であるとすら思えます。--Uribou2会話2012年6月3日 (日) 18:30 (UTC)[返信]

非公式の批評というものの定義自体があいまいです。その辺のすり合わせがまず必要なのです。
記事項目に批評を含めることで、対象の理解を深めることができるという点では、方針文書を一つを既に紹介しておりますので、(「Wikipedia:中立的な観点#芸術作品などの特徴に関する意見」)その決まり事や文書の解釈をもとにし、それぞれの作品のノートページで取捨選択についての議論がされるべきでしょう。
反論ということだけで言えば、私個人も、百科事典には、書かれている対象への批評、評価、分析など客観的な視点での意見が必要であると思います。これが反論になっているかどうかということをあなたが認める/認めないというお話のように思います。
もう一度整理しましょう。
あなたにとっては、「わざわざwikiに明記する必要がとてもじゃないですがあるとは思えないような批評」というものがあるとします。その個人の考えをもとに、記述の除去を繰り返していることは、ウィキペディアのような共同作業の場所では、問題行為であるということです。なぜ、明記する必要がないのか、具体的な理由が必要です。個人の感情やさじ加減で必要かどうかは推し量れないものです。
あなたがおっしゃるような売名行為であると思われるような批評についても同様に、具体的にどれで、なぜ売名行為だと思うのか(「この人物の批評には賛同者があまりない」「エキセントリックな評価をすることで耳目を集めていると思われるほかの事例がある」など)の具体的理由が伴わないまま、「必要ないと思うから除去しました」というのは通らないと思いませんか?
逆の方向からも考えてみてください。あなたが必要だと思っているセクションを、誰かが必要ないと思ったから除去し始めているとしたら、一度立ち止まってもらってその人の意見を聞いてみたいと思いませんか?
あなただけが気に入るような記述のみで、ウィキペディアの記事は構成されるわけではありません。共同作業の場であることをもう少し強く意識してみてください。--海獺会話2012年6月3日 (日) 19:00 (UTC)[返信]

作品についての公式/非公式の定義については非常に簡単だと思います。制作側の最高責任者、もしくはそれに準ずる人物が公式の場、もしくは文章等で認めているかどうかです。勿論そういうケースは非常に少ないです。

特に対象への批評、評価、分析という極めて曖昧なものまでwikiに、何でもかんでも列挙する必要性は無いように思いますが、その前提の所で既に平行線なのだな、と理解しました。

>(「この人物の批評には賛同者があまりない」「エキセントリックな評価をすることで耳目を集めていると思われるほかの事例がある」<

先に書いた通り、まさにこう思えるおかしな批評のみを削除したいとも思いますし、その自身の妥当と思える判断に同意してくれる人が多数いるのも分かっています。 そういう批評と反対の良い批評は残してもいいなとは思っていますが、それだとえこ贔屓になって公平性に欠ける意味がありますので、自分なりに公平に、今回は概ね全部削除させて頂きました。

>あなたが必要だと思っているセクションを、誰かが必要ないと思ったから除去し始めているとしたら、一度立ち止まってもらってその人の意見を聞いてみたいと思いませんか?<

ここに関しては全く聞いてみたいとは思えないです。 「検索上位に来るwikiに、自身に取って都合の良いイデオロギーを含んだ作品批評」が「残ってくれないと自身の経済的・社会的に困る(と思っている)人達」が相手な訳で、 最初から結論ありきな人達と判断されるからです。

残念なことに、そういう本音を常時隠したい人達かつ、顔の見えない人との議論は、概ね意義の無い徒労に終わることがこれまでの経験で分かっています。 「あなたは何も分かってない。とにかく余計なことはしないで下さい。」と機械のようにしか言わない人達でしょう。 こちらの意見に同意してくれる(本来いるはずの)多数の人達が、こまめに議論を閲覧したり、付き合ってくれるものでもありませんので、局地的に孤立して見えるというだけで、 「ちょっと人より要領を得るのが上手いだけの人達」のイデオロギーに満ちた批評が残り続けるというのが残念です。--Uribou2会話2012年6月3日 (日) 20:21 (UTC)[返信]

まず、批評、評価というのは、製作側からのものでは客観的なものにはなりにくいということに気付いてください。
一点ご確認いただきたいことがあります。「Fate/stay night」において、あなたが除去した批評の節には東浩紀氏や宇野常寛氏はウィキペディア日本語版に単独の記事があります。これらの記事にはfateについて触れられている箇所はなく、両名がfateに対する批評で名を成していることは全く推し量ることができません。
まず、このお二人のfateへの批評が売名行為であり、「ちょっと人より要領を得るのが上手いだけの人達」のイデオロギーに満ちた批評であることを具体的な例を挙げて示す必要があると思います。
もしそれをなさらないまま、上記のように、あなたの印象以上の例示ができないのであれば、あなたの偏った思い込みの域を出ないと判断されるでしょう。自分なりに公平にの根拠がないのです。
私はあなたが除去した記事の対象については全くと言ってよいほど知識がありませんし、興味もありません。しかし最初から結論ありきなのは、むしろあなたの行動および動機に見えることから、現在の編集制限が解除された後も、同様の編集を行わずに、お話し合いをしていただく必要があると感じています。
再度申し上げますが、あなただけが気に入るような記述のみで、ウィキペディアの記事は構成されるわけではありません。様々な決まりごとがある共同作業の場であることを、もう少し強く意識してみてください。--海獺会話2012年6月4日 (月) 01:54 (UTC)[返信]

「この批評はおかしい」と思う人の頭数の問題のようですので、今度があればそういう人達を連れて来ますね。--Uribou2会話2012年6月4日 (月) 07:05 (UTC)[返信]

単純に、あなたのお考えの具体的な根拠が伴っていないことには、ただ気に入らない記述を除去している人だとしか思われなくなってしまうということです。頭数の問題ではありません。ミートパペットという文書についてもご理解をお願いします。--海獺会話2012年6月4日 (月) 17:40 (UTC)[返信]